自浄作用
自浄作用
ブログを開設したのは、スキーを始めて4年目、今から4年前のことです。
それまで、単なるファミリースキーヤーだったのが、子供がレーシングを始めて、関係者と接することも多くなり、だんだんスキー事情というものが分かり始めた頃でした。
事情を知るにつけ、スキー界、特にSAJの内情のあまりのひどさに、驚き、憤りを感じていました。
とりわけ、
①理事同士の内紛から、会長の地位確認を巡って訴訟を繰り返し、最終的には最高裁まで行った問題、
②教育部のスキー教程のデタラメさにもかかわらず、疑問・異論を封じていた強圧的な組織体制と、その体制を支えていた「デモ」や「雑誌メディア」の問題、
の2つは、SAJという組織(特に理事会)が、スキーの強化・普及という本来の機能を全く果たしていないばかりか、むしろ阻害要因となっていることを、如実に表している具体例として、「とんでもないこと」という認識を持つようになりました。
①については、理事が会長及び理事を訴え、最高裁にまで上告するという異常な事態になりながら、SAJはその経緯・理由を一切報告しませんでした。
事実関係は、新聞報道を追って確認するしかありませんでした。
一部、事情通が裏話的なことを解説していたりしましたが、基本的には公の場ではみんな口をつぐんで、裏でこそこそ話をしているという状態だったように思います。
②については、基礎スキー教程を理解しようと努力しましたが、結局理解ができなくて、あきらめました。
ある概念が、いくつかの用語によって説明されているのですが、その用語の定義が不明確、もしくは全くされておらず、また、概念が提唱されるに至った論理的な必然性・合理性を見いだすことができなかったのが、その理由です。(単なる従来法への反発と否定に見えました)
競技側にいたので、実害は無かったのですが、それでも、競技スキーのコーチの中に基礎スキーの考えに賛同した人間が一定数存在し、競技スキーの中でも、対立軸を生む状況ではありました。
不思議だったのはデモの存在。
有名デモは、何本もビデオやDVDを出しているので、複数のビデオを経時的に見ていくと、主張が変わった時期が分かります。
まさにキリシタンが踏み絵を踏まされたような状態で、①主張を曲げずに表舞台から去ったデモ、②隠れキリシタンになったデモ、③(能動的・受動的に)洗脳されたデモ、と3グループにきれいに分かれました。
雑誌メディア(SJ, SG)も、基礎と競技は目的が違うのだから、理論や滑走技術が異なって当然という「詭弁」を弄し、ほとんどの人にとって意味不明なスキー教程の内容を具現化するために、毎回毎回「洗脳者」や「隠れキリシタン」を代弁者として登場させ、編集者が想像する教程の中身を語らせるという「喜劇」を演じていました。
一般スキーヤーは、おかしいと思っても声を上げる機会が無い状況でした。
それだけ怖かったのだと思います。スキー界から排除されることが。
私自身は、検定とか受けるつもりも全く無く、SAJ会員でも無いので、完全なる部外者として、ブログを唯一の手段として、自由に意見を書ける状況にありました。
「SAJ問題」というトピックスで、理事会やその他の訴訟などの経緯を新聞記事をまとめる形で、記録・公表していました。
スキー教程のおかしさについても、最初に主張した人間ではありませんが、かなり早い時期に記述していたと思います。
教程に関しては、相当センシティブな問題で、支持する人と、反対する人の間で泥仕合になっていて、ネット上で個人情報の暴露なども行われ、はっきり言って、これ以上巻き込まれたくないという気持ちはありました。
ただ、同じようにおかしいと思う方が多く現れ、議論の過程で問題点も明確になってきて、さらに賛同者も増えるという中で、SAJもついに無視できなくなり、方向転換を決断したようです。
遅すぎた転換ではありますが、とりあえずは、献身的な一部の方の努力が、関係者や一般スキーヤーにも広がっていって、最後はSAJの「自浄作用」に結びついたという事実を喜ぶべきだと思います。
ただ、スキー関係者の多くが逃げ腰で、この問題について沈黙を守っていたのが、保身的で、いかにも日本人らしい対応(間違っていると思っても主張せず、陰でぶつぶつ言う)だと感じました。(プロが自分で考えられなくてどうするんだと。岡田利修さんは別です)
滑稽だったのは、雑誌メディアですね。
体制の変革を読んだスキージャーナルが、昨年いきなり教程のはしごを外しました。反対に、近年教育部寄りにスタンスを変え、御用的なポジションを作ろうとしていたスキーグラフィックは、しばらく悪あがきをしていましたが、少し前にやっと「観念」したようです。
大政翼賛会を支持し、戦争を焚きつけた朝日新聞が、戦後反国家主義にコロッと変わったようなものでしょうか?(そんなに大げさなものではありませんが(笑))
一言でいえば、理事たちは「無能をさらし」、デモやメディアは「定見のなさをさらした」のでしょうね。
でも、良識と正しい判断力を持った人が存在し、彼らのがんばりのおかげで、基礎スキー界は救われつつあります。
経緯はともあれ、とりあえず正常化の方向に向かっていることについては歓迎したいと思います。
ブログを開設したのは、スキーを始めて4年目、今から4年前のことです。
それまで、単なるファミリースキーヤーだったのが、子供がレーシングを始めて、関係者と接することも多くなり、だんだんスキー事情というものが分かり始めた頃でした。
事情を知るにつけ、スキー界、特にSAJの内情のあまりのひどさに、驚き、憤りを感じていました。
とりわけ、
①理事同士の内紛から、会長の地位確認を巡って訴訟を繰り返し、最終的には最高裁まで行った問題、
②教育部のスキー教程のデタラメさにもかかわらず、疑問・異論を封じていた強圧的な組織体制と、その体制を支えていた「デモ」や「雑誌メディア」の問題、
の2つは、SAJという組織(特に理事会)が、スキーの強化・普及という本来の機能を全く果たしていないばかりか、むしろ阻害要因となっていることを、如実に表している具体例として、「とんでもないこと」という認識を持つようになりました。
①については、理事が会長及び理事を訴え、最高裁にまで上告するという異常な事態になりながら、SAJはその経緯・理由を一切報告しませんでした。
事実関係は、新聞報道を追って確認するしかありませんでした。
一部、事情通が裏話的なことを解説していたりしましたが、基本的には公の場ではみんな口をつぐんで、裏でこそこそ話をしているという状態だったように思います。
②については、基礎スキー教程を理解しようと努力しましたが、結局理解ができなくて、あきらめました。
ある概念が、いくつかの用語によって説明されているのですが、その用語の定義が不明確、もしくは全くされておらず、また、概念が提唱されるに至った論理的な必然性・合理性を見いだすことができなかったのが、その理由です。(単なる従来法への反発と否定に見えました)
競技側にいたので、実害は無かったのですが、それでも、競技スキーのコーチの中に基礎スキーの考えに賛同した人間が一定数存在し、競技スキーの中でも、対立軸を生む状況ではありました。
不思議だったのはデモの存在。
有名デモは、何本もビデオやDVDを出しているので、複数のビデオを経時的に見ていくと、主張が変わった時期が分かります。
まさにキリシタンが踏み絵を踏まされたような状態で、①主張を曲げずに表舞台から去ったデモ、②隠れキリシタンになったデモ、③(能動的・受動的に)洗脳されたデモ、と3グループにきれいに分かれました。
雑誌メディア(SJ, SG)も、基礎と競技は目的が違うのだから、理論や滑走技術が異なって当然という「詭弁」を弄し、ほとんどの人にとって意味不明なスキー教程の内容を具現化するために、毎回毎回「洗脳者」や「隠れキリシタン」を代弁者として登場させ、編集者が想像する教程の中身を語らせるという「喜劇」を演じていました。
一般スキーヤーは、おかしいと思っても声を上げる機会が無い状況でした。
それだけ怖かったのだと思います。スキー界から排除されることが。
私自身は、検定とか受けるつもりも全く無く、SAJ会員でも無いので、完全なる部外者として、ブログを唯一の手段として、自由に意見を書ける状況にありました。
「SAJ問題」というトピックスで、理事会やその他の訴訟などの経緯を新聞記事をまとめる形で、記録・公表していました。
スキー教程のおかしさについても、最初に主張した人間ではありませんが、かなり早い時期に記述していたと思います。
教程に関しては、相当センシティブな問題で、支持する人と、反対する人の間で泥仕合になっていて、ネット上で個人情報の暴露なども行われ、はっきり言って、これ以上巻き込まれたくないという気持ちはありました。
ただ、同じようにおかしいと思う方が多く現れ、議論の過程で問題点も明確になってきて、さらに賛同者も増えるという中で、SAJもついに無視できなくなり、方向転換を決断したようです。
遅すぎた転換ではありますが、とりあえずは、献身的な一部の方の努力が、関係者や一般スキーヤーにも広がっていって、最後はSAJの「自浄作用」に結びついたという事実を喜ぶべきだと思います。
ただ、スキー関係者の多くが逃げ腰で、この問題について沈黙を守っていたのが、保身的で、いかにも日本人らしい対応(間違っていると思っても主張せず、陰でぶつぶつ言う)だと感じました。(プロが自分で考えられなくてどうするんだと。岡田利修さんは別です)
滑稽だったのは、雑誌メディアですね。
体制の変革を読んだスキージャーナルが、昨年いきなり教程のはしごを外しました。反対に、近年教育部寄りにスタンスを変え、御用的なポジションを作ろうとしていたスキーグラフィックは、しばらく悪あがきをしていましたが、少し前にやっと「観念」したようです。
大政翼賛会を支持し、戦争を焚きつけた朝日新聞が、戦後反国家主義にコロッと変わったようなものでしょうか?(そんなに大げさなものではありませんが(笑))
一言でいえば、理事たちは「無能をさらし」、デモやメディアは「定見のなさをさらした」のでしょうね。
でも、良識と正しい判断力を持った人が存在し、彼らのがんばりのおかげで、基礎スキー界は救われつつあります。
経緯はともあれ、とりあえず正常化の方向に向かっていることについては歓迎したいと思います。
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