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ジュニアアルペン競技とスキー全般についての情報ブログです。

【銀嶺のシュプール 日本のスキー100年】

【銀嶺のシュプール 日本のスキー100年】(7-1)

2010.11.1 05:00 Sankei.Biz

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今年、日本で一番早くオープンした「スノータウンYeti」。スキーヤーらが初滑りを楽しんだ=10月15日、静岡県裾野市

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群馬県草津町の「草津国際スキー場」。80年余りの歴史のあるスキー場で、今年は12月17日にオープンする予定だ(草津国際スキー場提供)

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昭和30年代の「草津国際スキー場」の風景。ウェアに時代を感じる(草津国際スキー場提供)

 ■ゲレンデで生まれた大衆文化

 今年もスキーの季節がやってきた。富士山麓(さんろく)のスキー場「スノータウンYeti」(静岡県裾野市)が10月15日に今シーズンの営業を開始したのを皮切りに、各地でスキー場が続々とオープンし始めている。来年春ごろまで、雪山に無数のシュプールが描かれる。

 誰もが楽しめるウインタースポーツの代表選手といえるスキー。しかし日本は欧米に比べて一般に普及し、スキー人口の多い「スキー天国」であることはあまり知られていない。

 スキーは一般的に金がかかるとされ、欧米では富裕層が楽しむ“あこがれの”スポーツ。これに対し、日本では比較的リーズナブルに楽しめ、一般大衆に根ざしたスポーツとして定着している。

 日本は急峻な地形に加え、冬季には国土の約6割に当たる約23万平方キロが雪に覆われ、スキー場に適した場所が数多く存在する。また交通網が整備されて、都市部からスキー場へのアクセスが容易になったこともあり、スキーの大衆化が進んだ。

 経済発展でレジャーに対する関心が高まったことも大きかった。特にバブル景気に沸いた1980年代の後半から90年代の前半にかけては、スキーは最先端のトレンドとして広く人気を集め、ピーク時には1800万人超が雪山に押し寄せたほどだ。

 日本のスキー場には海外のスキーヤーも関心を寄せている。長野県白馬村では昨年、オーストラリア人が1万7163人も訪れ、「増加傾向にある」という。オーストラリアの人々にとっては自国のオフシーズンに楽しめるほか、日本の雪質の良さなども魅力の一つとなっている。

 また、北海道留寿都村のルスツリゾートスキー場を運営する加森観光(札幌市)は10月、中国の万龍スキー場(河北省張家口市)との業務提携を発表。加森観光はこれまでにも韓国やフランスのスキー場とも提携しており、海外のスキーヤーの取り込みを進めている。国内ではスキー人気の低迷も叫ばれているが、スキー場の質の高さは外国人の折り紙付きで、その魅力はむしろ増しているといっていい。

 日本にスキーが“伝来”して来年1月で100年を迎える。日本スキー界の100年の歩みを振り返る。


【銀嶺のシュプール 日本のスキー100年】(7-2)

2010.11.1 05:00  Sankei.Biz

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テオドール・フォン・レルヒが伝えた1本の杖で滑るスキー術を実践する女性(野沢温泉提供)

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オーストリアのスキー講師、ハンネス・シュナイダーによる指導風景。「アルペンスキーの父」として知られ、1930年に来日すると各地で指導を行った(野沢温泉提供)

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ハンネス・シュナイダーが持参し愛用したスキー(野沢温泉提供)

 ■日本スキーの祖「レルヒ少佐」が指導

 「メテレスキー(スキーを履け)!」

 日本のスキーはこの一言から始まった。

 ノルウェーで生まれた近代スキーは、19世紀後半から普及し始めた。1888年には、同国の極地探険家で科学者のフリチョフ・ナンセンがスキーを使ってグリーンランドを横断する偉業を成し遂げ、スキーの存在を世に知らしめた。

 日本とスキーの“出会い”は、それから間もないことだった。1895年には陸軍の松川敏胤大尉(後に大将)がスキー板を日本に持ち帰ったとされ、1902年に約200人が凍死する大惨事となった「八甲田山雪中行軍遭難事件」が起きると、数年後にノルウェー国王から明治天皇にスキー板が贈られた。ほかにもこのころ日本に滞在した外国人がスキーを楽しんだとの記録もある。

 スキーの黎明期を語る上で最も欠かせない人物がいる。オーストリア=ハンガリー帝国の軍人だったテオドール・オードラー・フォン・レルヒ少佐(後に少将)だ。

 レルヒ少佐は日露戦争に勝利した日本陸軍の軍事力を視察するため、交換将校として1910年に来日。新潟県高田町(現上越市)の第13師団に着任した。同少佐は近代スキーの父といわれるマチアス・ツダルスキーに当時最先端のスキー術を学んだ過去があり、山岳地帯の行軍にスキーを活用したいと考えた陸軍が指導を依頼したようだ。レルヒ少佐は13師団の兵に日本初の本格的な実技指導を行い、さらには周辺住民にも教えた。

 「メテレスキー」はスキーを学ぶために選抜された兵を前に、レルヒ少佐が初めて発した言葉だった。 

 実は陸軍側では虚勢を張り、前もって兵たちに滑り方を自己流で練習させていた。だがレルヒ少佐がこの言葉を発すると誰も従えなかったという。実際はスキーを履こうにも履き方すらわからなかったのだ。

 レルヒ少佐とその弟子たちは郵便局員などの地元住民から将校婦人まで指導し、その技術は周辺地域に広がっていくことになる。

 そのレルヒ少佐が初めて指導したのが、今から約100年前の1911年の1月12日。多くの文献はこの日をもって日本スキーの発祥としている。

 レルヒ少佐は1年後に高田を離れた後、北海道旭川市の第7師団でも指導にあたった。合計の滞日期間は2年にすぎなかったが、その後のスキー文化の興隆を考えれば果たした役割の大きさは計り知れない。日本スキー界にとって、まさに恩人といえる存在だ。


【銀嶺のシュプール 日本のスキー100年】(7-3)

2010.11.1 05:00 Sankei.Biz

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新潟県湯沢町の苗場スキー場で昨年開催されたイベント「スキーの新潟オープニングin苗場2010」。スキー発祥100周年キャラクターの「レルヒさん」を先頭にした1本杖スキーが披露された(新潟県提供)

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ミズノが販売した1962年型のスキー板の広告。大卒の初任給が1万7000円程度だった時代に、値段は5900~1万1000円と高価だった(同社提供)

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ミズノが販売していた1958年型スキー板(同社提供)

 ■最新技術紹介 ミズノ、普及に貢献

 1930年、日本のスキー界にとって重要な出来事があった。オーストリアの超一流スキーヤー、ハンネス・シュナイダーが来日したのだ。シュナイダーは日本に滞在した約1カ月の間、精力的に講演や実技指導を行った。

 「リリエンフェルトスキー術」と呼ぶレルヒ少佐のスキー術は、長いさおでバランスを取る「1本杖」の滑りだった。これに対し、シュナイダーがもたらしたのは2本のストックを使い、急峻も巧みに滑り降りることが可能なはるかに高度な技術だった。シュナイダーの指導はスキーヤーの技術向上熱を大いに刺激した。それはやがて、1956年に行われたイタリア・コルティナダンペッツォ五輪における猪谷千春選手の銀メダル獲得という、日本人初の快挙として花開くこととなる。

 シュナイダーの来日より8年前の1922年、大阪中央公会堂で日本初のスキー映画の上映会が行われた。上映された映画は「スキーの驚異」。主演したのはシュナイダーだった。数々の最新テクニックが紹介され、シュナイダーの名声を確固たるものにしたこの映画は、世界的なスキーブームをもたらし、日本でもスキーへの関心を深めるのに貢献した。

 この上映会を開催したのは、スポーツ用品メーカーの美津濃(ミズノ)だった。日本を代表する総合スポーツ用品メーカーの同社は、スキーにも深いかかわりを持ち、その普及に大きく貢献してきた。

 創業は1906年。当初は野球用品の製造販売からスタートした。スキーとの関係はその14年後、スウェーデンのサンドストラム社と総代理店契約を結んだことに始まる。

 上映会開催の背景には、スキーの底辺拡大が用具販売の拡大につながるとの考えがあったとみられる。

 上映会の1年後、創業者の水野利八はスポーツ好きで知られた秩父宮さまにヒッコリースキーを献上した。その際に秩父宮さまから「日本でこういうスキーはできないのか」と問われた水野は恐縮し、自らスキー板を製造することを決意する。その決意は固く、数々の苦労を重ねながらも4年後の1927年に独自開発のヒッコリースキーを完成させた。

 その年、ミズノは上映会と並ぶもう一つのスキー普及策に乗り出した。東京、大阪、京都、神戸の4カ所でアマチュアスキークラブを発足させたのだ。このうち大阪のクラブは今も全日本スキー連盟に登録して活動を続けている。

 スキー文化の底辺拡大には、こうしたメーカーや関係者の尽力があったことを忘れてはいけないだろう。


【銀嶺のシュプール 日本のスキー100年】(7-4)

2010.11.1 05:00 Sankei.Biz

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今冬も近畿日本ツーリストではスキー・スノーボードツアーを用意している(同社提供)

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JR東日本のスキーキャンペーン「JRSKISKI」。新幹線を利用したスキーを提案し、普及に一役買った(同社提供)

 ■手軽なレジャー ツアーが普及に一役

 「スキー場に行きたいけど車は持っていないし、場所も遠い」

 そんなスキーの“弱点”を克服し、門戸を広げるのに貢献してきたスキーツアー。その登場は戦後間もない時期だった。ミズノは1954年、同社の東京支店から草津温泉スキー場までスキーヤーを運ぶツアーを始めている。

 やがて日本が豊かになり、スキーも一般に浸透。旅行会社によるツアーも増えていく。1967年、日本交通公社(現JTB)は「エック」という商品名で蔵王・天元台スキー場を訪れるツアーを商品化。列車を使って日帰りもしくは1~2泊で手軽にスキーを楽しめるものだった。近畿日本ツーリストも1973年に名古屋近鉄バス(現名阪近鉄バス)とバス利用による信州方面へのツアーを発売した。当時は売れるかどうか確信が持てず、共同で企画したのもリスク回避のためだったようだ。だがそうした心配は杞憂(きゆう)だったようで、翌年には単独企画に乗り出している。

 その近ツーは1988年6月にスキーを中心にスポーツ関連の旅行商品を企画する子会社を設立した。スキー場を舞台にした恋を描いた映画「私をスキーに連れてって」が大ヒットしてスキーブームを巻き起こしたのがその前年。設立は時代の流れに沿ったものだった。

同社によると、1988~95年には首都圏だけで、1日40~50台のバスがスキー場に向け出発。バスが当日まで確保できないこともあった。宿も同じで、強力なコネを持つ大手旅行会社でも確保は至難の業。人気の高い志賀高原スキー場へのツアーでは、客を周辺スキー場近くのホテルに宿泊させてシャトルバスで運ぶという、苦肉の策をとったことも。

 そんなスキー人気も1990年代後半に入るとレジャーの多様化や景気低迷を背景に下火となる。「レジャー白書」によると、1993年には1900万人近くいたスキー人口は、2007年には560万人と急減している。ただ厳しい状況はツアー内容に新たな変化をもたらしている。近ツーによるルスツリゾートスキー場へのプランは、2月上旬のハイシーズンにもかかわらず、同社がスキー場を丸ごと借り切っているため、家族で訪れてゆったり滑れるのが魅力だ。

 減り続けていたスキー人口も、2008年には690万人と前年を上回るなど、増加に転じている。自家用車を使わないスキーツアーは環境にもやさしい。「スローライフ」の浸透と合わせ、再注目されていい時期に来ている。


【銀嶺のシュプール 日本のスキー100年】(7-5)

2010.11.1 05:00 Sankei.Biz

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新作ウエアのインナー。部分的に素材の締め付け力を変え、安定した姿勢補助を可能にした(デサント提供)

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今年のバンクーバー五輪に日本代表として臨んだ皆川賢太郎選手。着用するウェアはデサントだ(同社提供)

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従来のウエアがワンピースだったのに対し、動きやすさを考え、上からジャケットを羽織るツーピースとした(デサント提供)

 ■デサント 過酷な競技「鍛錬」の場

 急な斜面を一気に滑り降りるダウンヒル(滑降)やスラローム(回転)などのアルペンスキー。ときにスピードが時速100キロを超え、100分の1秒差で勝敗が決まることも珍しくないこの競技は、選手に超人的なテクニックや強靭(きょうじん)な精神力を求める一方、選手に用具を提供するスポーツ用品メーカーにとっても「鍛錬」の場となってきた。

 今年2月のカナダ・バンクーバー五輪。日本代表の皆川賢太郎選手は、デサントが総力を挙げて開発したウエアを身にまとってスラローム競技に臨んだ。このウエアは従来と全く異なる発想の下で開発されたものだった。

 従来ウエアは、「空気抵抗をいかに減らすか」を最大の開発ポイントとしてきた。これに対して、デサントはそれに加えて選手のパフォーマンスを最大限に引き出すことを重視した。競技中の筋肉の動きや姿勢制御を効果的にサポートするウエアを目指したのだ。

その結果として生まれたのが、「e-ライナー」と呼ぶインナーウエアだ。このインナーは、部分的に締め付ける力を変えることで、姿勢を安定させるように設計されている。デサントはこれをスキーウエアのインナーとして採用。さらに動きやすさを考え、上下一体のワンピースだった以前のスーツと違い、袖のないランニングシャツとパンツを一体化したスーツに、薄いジャケットを上から羽織るツーピースタイプとした。

 「これによってワンピースの欠点だった突っ張り感がなくなり、下半身の安定性と上半身の運動性が両立できた」

 開発にあたった企画開発部R&Dセンターの板垣良彦さんは胸を張る。

 さらにこのウエアはもうひと工夫、加えてある。イルカの皮膚をヒントに開発した素材を使っているのだ。

 普段はつるつるしているイルカの皮膚は、速いスピードで泳ぐときだけ、表面に凸凹ができる。体の周辺にできる水の流れを整えて、抵抗を減らすためだ。

 そこでイルカの皮膚を参考に、一定以上のスピードが出て、しかも生地が伸びた場合にだけ表面に凸凹ができる新素材を開発。空気抵抗を減らすのに成功した。

 デサントは、ほかにもトカゲの皮膚やゴルフボールのくぼみに似た凸凹ができる素材を開発。バンクーバー五輪では、ウエアを提供したスイスチームから金メダリストも出た。

 過酷な競技が生み出すウエア技術は今も進化を続けている。


【銀嶺のシュプール 日本のスキー100年】(7-6)

2010.11.1 05:00 Sankei.Biz

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長野県野沢温泉村の「野沢温泉スキー場」のゲレンデ。一面に広がる銀世界が幻想的だ(野沢温泉提供)

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長野県野沢温泉村の「野沢温泉スキー場」。ピーク時には行列が絶えない(野沢温泉提供)

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昭和初期の「野沢温泉スキー場」。すでに食堂が出店していた(野沢温泉提供)

 ■野沢温泉 村民が育てたビッグスノーエリア

 長野県と新潟県の県境近くにそびえる毛無山(けなしやま)。「野沢温泉スキー場」(長野県野沢温泉村)は、標高1650メートルもの高さにあるその山頂から3本の尾根沿いにふもとの野沢温泉に向かって大きく広がる。標高差1085メートル、総面積785ヘクタール、最大斜度39度と、日本屈指の“ビッグスノーエリア”として名をはせている。

 この野沢温泉にスキーが伝わったのは、スキーが日本に発祥した翌年の1912年。旧制飯山中学(長野県飯山市、現飯山北高)が新潟県でのスキー講習に参加したことによるものだった。その後、23年になるとスキー愛好家の若者たちが「野沢温泉スキー倶楽部」を結成、大学などの団体客誘致に乗り出し、翌24年には法政大スキー山岳部を呼び込んだ。野沢温泉スキー場の開場だった。

 本格的なスキーリゾートとして集客力を高めていくきっかけになったのは、リフトの整備だ。50年に第1号となるリフトが完成。これは国内3番目、民間によるものとしては群馬・草津に次いで2番目だった。その後も54年には第2リフト、59年には第3リフトと次々と拡充され、発展を続けていった。

 当時は折しも高度経済成長期。レジャーの概念が浸透し始め、スキーにも人気が集まり、ファッション性や遊びの要素が求められるようになっていた。

ただその人気とともに各地では新しいスキー場がオープンし、野沢温泉にも一般企業から開発目的の土地買収やリフト建設の申し込みが相次ぐようになった。野沢温泉ではスキー倶楽部がリフト建設やゲレンデ開発・整備などスキー場経営に当たっていたが、「歴史と伝統が村外資本に撹乱(かくらん)されてはならない」と、63年にスキー場の管理経営権を村に委譲することを決定した。「村営スキー場」となった後も、79年には“東洋一”と呼ばれた全長3520メートルのゴンドラリフトが建設されるなど整備拡充が相次ぎ、現在でも国内屈指のスキー場の地位を不動のものにしている。

 しかしバブル経済が崩壊し、レジャーも多様化する中で、スキーは“冬の時代”に突入。野沢温泉スキー場も例外ではなく、2005年からは村民出資の新会社「野沢温泉」が管理運営に乗り出している。

 「日本のスノーリゾートの歴史の見える村民が育て上げたスキー場」(河野博明社長)。スキー発祥とともに歩んできた野沢温泉スキー場は、スキー100年を機にさらなる飛躍を目指す。


【銀嶺のシュプール 日本のスキー100年】(7-7)

2010.11.1 05:00 Sankei.Biz

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昭和40年代の大湯付近の風景。このころはすでにスキー客が訪れるようになっていた(野沢温泉提供)

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野沢温泉の外湯「大湯」。スキー客が冷えた体を温めにやってくる(野沢温泉提供)

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スキー博物館の館内にはさまざまなスキーやウエアなどが収蔵されており、日本のスキー史をたどることができる(野沢温泉提供)

 ■湯治場から本格リゾート地に発展

 冬になると3メートルを超す雪が積もるという長野県野沢温泉村。かつては湯治場としてにぎわいをみせたが、大きな発展をみせるようになったのは、村にスキーが入ってきてからだった。

 スキー愛好家の若者たちによる「野沢温泉スキー倶楽部」が、結成された翌年の1924年に法政大スキー山岳部を誘致して以来、鉄道網の整備も相まって村には多くのスキー客が訪れるようになった。

 さらに50年にリフト第1号機が建設されたのを皮切りに、その後もリフトの拡充整備やゲレンデ整備が相次ぎ、本格的なスキーリゾートとしての発展を目指す中、スキー客も年を追うごとに急増した。

 しかし、もとからある温泉旅館だけでは急増するスキー客の“受け皿”が足りない。このため、周辺の民家にスキー客の宿泊を頼んだ。これが“野沢温泉名物”ともいえるスキー民宿の始まりだった。

 次第に農閑期には「民宿」の看板を掲げる民家が増えていった。女性は旅館、民宿の手伝い、男性はスキー場の仕事-。村ではこれが当たり前となった。

 経済基盤が整うとともに、道路や下水道など、インフラ整備も進んだ。特に下水道では、62年に下水処理場が建設された。増大するスキー客により屎尿(しにょう)の量も増え、旅館などのくみ取りを人力で行うには限界があったことから、県内4番目の早さで下水道が整備された。
また76年には、「野沢温泉スキー資料館」がオープン。79年に「日本スキー博物館」と改称したこの施設は、スキー専門の博物館としては日本初だ。戦前、戦後のスキー用具など、1万を優に超える展示数を誇り、スキーの歴史をいっぺんに振り返ることができる。

 さらに野沢温泉スキー場は、95年にはインタースキー(世界スキー指導者会議)でメーン会場、98年の長野五輪では会場の一つに選ばれ、「野沢温泉」の名前は世界的に広がっている。これに伴い上信越自動車道や北陸新幹線が長野市まで開通して首都圏などからのアクセスも飛躍的に向上している。

 「合言葉は『雪国文化の開発は、スキーに如かず』だ」

 野沢温泉の河野博明社長はこう強調する。100年にわたりスキーとともに発展してきた温泉村は、次の100年もスキーとともに歩み続ける。


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人間万事塞翁が馬:山中伸弥
人生はその時の最適解の積み重ね
量は質を生む
高い山を築くなら、裾野を大きく広げよう
最初の3年で仕事人生の大半が決まる説
根拠なき自信
ノブレス・オブリージュ
中高生のための勉強法
自分の頭で考え、勇気を持つこと。
頑張ったらご褒美があるメンタリティ
自浄作用
いじめについて
タイガーマザーと文武両道

<その他>
インプレッサ路肩から這い上がる
美味しいコーヒーの入れ方
身近なコーヒーあれこれ
スーパーで買える美味しいコーヒー
辞めたくても辞められない
外食産業が日本を滅ぼす?
シナノ:なつかし写真コンテスト
福井県立歴史博物館:昭和のくらし
解放値の計算

<大会ルール(和訳)>
FIS競技用品規格
アルペンスキー国際競技規則(2010-11)
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アルペンポイントルール(2010-11)

<ポイント関連>
ポイントとは?
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プロフィール

ジュニアスキー

Author:ジュニアスキー
子供が小1の冬に家族でスキーを始め、すっかりその魅力にはまっております。小4から地元のスポーツ少年団に所属し、競技スキーを始めています。(現在中3)
ジュニアアルペン競技の情報ブログとしてスタートし、最近ではスキー全般、その他に関する話題も扱っています。
上欄のカテゴリから興味のある話題をお選び下さい。
(2009年7月25日開設)


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