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ジュニアアルペン競技とスキー全般についての情報ブログです。

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東日本大震災で津波で死に掛けたけどなにか質問ある?

東日本大震災で津波で死に掛けたけどなにか質問ある?

被災当時中3、現在高3の方が、様々な質問に答えています。

話を読んで、ここまで立ち直れたのかという安堵と、自分が生きていることに感謝をしなければならない、と痛切に感じました。

みなさんも、ぜひお読みください。

まとめサイトは、こちら。(一例です)

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国家的パニックの収束に必要な年月

国家的パニックの収束に必要な年月

ブロガー?として著名なChikirinさんの投稿です。

混乱や感情の渦から冷静さを取り戻し、合理的に考えられるようになるまでには、一定のプロセスと期間が必要なのだと思います。

エリザベス・キューブラー・ロスが提唱した「死の受容のプロセス」と呼ばれるモデル(①拒絶、②怒り、③ 交渉、④ 抑うつ、⑤受容の過程を踏むこと)に似たものがあるのかもしれません。

現実を受け止めることができて、初めて正しい対応ができるのだと思います。

全文は、こちら

下は、抜粋。

最近になってようやく「本当に、このままの方法で除染を続けるべきなのか」といった報道がでてきました。

「除染が終われば、村&町には人が戻ってくるのか?」

「除染の費用対効果はどう考えればよいのか」


そんなことを口にするだけで「非人間的だ」と後ろ指を指されるような空気が支配的だと、誰も彼もが「本当にひどいです。きちんと除染を行ってほしいものです」みたいなコメントを、したり顔で続けるしかありません。

あまりにも理不尽な目に遭った人たちが「何が何でも俺の故郷を元に戻してくれ」と望むなら、何年でも何回でも除染を続けます、という方針に疑問を持つような人は、他人の気持ちのわからない“人でなし”だと後ろ指を指されるからです。


柚月裕子(作家) 心はまだ震災の中にある

柚月裕子(作家) 心はまだ震災の中にある

2013.4.14 09:29 産経新聞

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柚月裕子さん

 3月1日に、大藪春彦賞の贈賞式があった。私のような駆け出しは、候補に挙げていただいただけでも大変な励みになる。受賞など端(はな)から考えていなかったから、知らせを聞いたときは耳を疑った。宝くじが当たったようなもので、まさに望外の幸せである。

 文学賞なるものを頂戴して驚いたのは、付き合いのある出版社から、さまざまな形でお祝いをもらったことだ。

 受賞後の慌ただしさも一段落し、落ち着いて仕事に向かえるようになった頃、S社の担当編集者から連絡をもらった。受賞のお祝いを贈りたいがなにがいいか、という問い合わせだった。そういうものだから遠慮せずに、という言葉に甘えて考えた。

 花は好きだが、すでにたくさんいただいた。かといって形ある物もすぐには浮かばない。ふと思いついて、「取材」をお願いした。

 私はいま、連載の仕事と書き下ろしを並行して行っている。目の前の締め切りをつい優先し、真っ先に声をかけてもらったにもかかわらず、S社の書き下ろしは滞りがちだった。その作品は公的機関等への踏み入った取材が必要なのだが、忙しさにかまけて儘(まま)ならず、それも筆が進まない理由のひとつだった。個人では取材が難しいという問題もあった。

 そこで、S社の名前を借りて取材させてもらえないか、とお願いしたところ、担当編集者から快諾をもらった。なおかつ、素人には入手不能な資料まで調達してくれた。取材は5月の予定だが、いまから心待ちにしている。ちなみにS社で書いている作品は、東日本大震災直後-震災が起きてから3週間の被災地を舞台にしている。

 大藪賞受賞後に受けた新聞の取材でこの話をしたところ、ある記者の方から「なぜ震災後ではなく震災直後なのですか」と訊(たず)ねられた。震災から2年が経(た)つが、多くの人が復興に向けて歩きだしている。震災を乗り越えるために努力している姿ではなく、なぜ混乱していた震災直後なのか、というのだ。

 記者に問われて、腑(ふ)に落ちた。復興という言葉が繰り返される中、なぜ震災直後を描こうとしているのか。言い換えるなら、なぜ震災後を書く気になれないのか

 それは、震災から2年経ったいまでも、自分の中ではあの出来事がまだ過去のものではないからだろう。食べ物があり、風呂に入れて寝る場所がある。生活環境だけ考えれば、一見暮らしは日常に戻ったように見える。だが気持ちは、行方不明の両親を捜しながら町の残骸の中や遺体安置所を歩き回ったあの日から、前に進めずにいるのだ。心はまだ震災の中にある。

 震災の、なにをどう書くべきかという迷いと、それでも前に歩を進めて書かなければ、という焦りにも似た高揚感を抱えながら、日々パソコンに向かっている。

 S社からの書き下ろし小説は、年内刊行の予定である。



【プロフィル】柚月裕子

 ゆづき・ゆうこ 昭和43年、岩手県生まれ。平成19年『待ち人』で山形新聞主催の山新文学賞入選・天賞受賞。20年『臨床真理』で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞。『検事の本懐』(宝島社)を執筆中、東日本大震災による津波で岩手県宮古市に住む父母を失った。同著は24年、山本周五郎賞候補となり、今年3月、同著で第15回大藪春彦賞を受賞。山形市在住。


「パンダ見に行こうね」

「パンダ見に行こうね」

キャプチャ

若い命が失われるのは、本当に辛いです。

合掌。

4月から宮崎で福祉の仕事 福島から避難の長沢さん

4月から宮崎で福祉の仕事 福島から避難の長沢さん

2012年3月29日 13:28 西日本新聞

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五ケ瀬スキー場でスノーボード客を教えるインストラクターの長沢文明さん(右)=10日、宮崎県五ケ瀬町

 福島第1原発事故のため福島県南相馬市から避難し、宮崎県五ケ瀬町にある全国最南端のスキー場「五ケ瀬ハイランド」で働いてきたスノーボードインストラクターが、異郷で初めての春を迎えた。長沢文明さん(55)。幼子への影響を考え、家族3人で宮崎市に移った。被災から1年-。スキー場は20日に今季の営業を終えたが、この地にとどまり、古里への思いを胸の奥にしまって、4月から新たな仕事を始める。「迷いを断ち、永住に踏み出す時だ」。再起を誓う。

 初体験の南国の冬。五ケ瀬のゲレンデは雪質が変化に富み、予想以上の手応えがあった。「非日常に放り出されたような1年で目先のことしか考えられなかった。でも、九州で雪に関わる仕事をできただけでも幸運でした」と振り返る。

 南相馬の特別養護老人ホームで働きながら趣味のスノボの腕を磨いた。日本スノーボード協会の公認A級インストラクターの資格を取得後、福島県猪苗代町のスキー場で2002年、仲間とスクールを設立、運営に専念しようと20年間のサラリーマン生活に区切りをつけた。

 昨年3月11日。スクールがある山間部の町にいて津波の難を逃れ、福島市の妻(29)と長男(3)も無事だった。だが、原発事故禍が続いた。スノボ客は消え、スクールも解散に追い込まれた。

   □   □

 4年前、77歳の父を亡くした。前立腺がん。福島第1原発の協力企業で原子炉設備のメンテナンスに携わった。「原発の仕事があるから食べてこられた」が口癖だった。

 翌年、待望の長男を授かった。父の生まれ変わりに思えた。「違う仕事なら父は長生きできたかも」。震災後、こんな思いも膨らんだ。原発と自宅は約25キロ。この子を危険にさらせない。福島を離れる決断は早かった。

 昨年7月、避難先に宮崎市を選んだのは、原発から遠いことや、同郷の避難者がいると聞いたから。五ケ瀬スキー場を知って「経験を生かしたい」と頼み込んだ。非常勤での勤務が決まり、同12月から毎週末、車で3時間近い山道を通った。

   □   □

 東京電力の補償で当面の生活はできるが、何の目標もなくただ過ぎる日々は、自分が抜け殻になったようだった。蓄えをはたき、宮崎市に土地を買った。「家は人生を決断する証し。あえて後戻りできない状態をつくらないと前に進めない」

 特養ホーム時代の介護支援専門員の資格を生かし、4月から宮崎市社会福祉協議会から介護認定調査員の仕事を請け負う。看護師の妻も就職が決まった。でも、生きがいのスノボにはこだわり続けたい。「宮崎を第二の古里にする覚悟ができた。来季も時間が許す限り、五ケ瀬には通うつもりですよ」と笑った。

=2012/03/29付 西日本新聞夕刊=


曽野綾子 「与うる時、人は「絆」の中に立つ」

与うる時、人は「絆」の中に立つ

曽野綾子

2012.1.1 産経新聞


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無数にいた被災地の「英雄」

無数にいた被災地の「英雄」

論説委員・鳥海美朗
 
2011.11.5 03:07 産経新聞

 スペインのフェリペ皇太子が、原発事故に立ち向かった「福島の英雄たち」を称(たた)えるスピーチの英訳文を読み返した。

 「日本社会全体が見せた、冷静で自己犠牲的な対応にも光を当てたい。『福島の英雄たち』は、その勇気と寛大さで、社会奉仕や他人のために自分の命さえもなげうつ行いへと私たちを駆り立てる無私の精神の象徴です

 「人類への貢献」を顕彰するスペインの「アストゥリアス皇太子賞」8部門のうちの「共存共栄」部門で、今年は「福島の英雄たち」が選ばれた。10月21日、同国北部のオビエドで行われた授賞式が東日本大震災後の日本人の鬱屈を一掃してくれたように思う。

 ◆言い換えたスピーチ

 授賞式に出席した5人を紹介する。ただし、「福島の英雄たち」は特定の人物を指してはいない。5人はあくまで代表である。

 陸上自衛隊中央即応集団・中央特殊武器防護隊長、岩熊真司1等陸佐(50)▽陸自第1ヘリコプター団第104飛行隊長、加藤憲司2等陸佐(39)▽警視庁警備部警備2課管理官、大井川典次警視(56)▽福島県警双葉警察署長(事故当時)、渡辺正巳警視(57)▽東京消防庁ハイパーレスキュー隊、冨岡豊彦消防司令(48)。

 受賞の答礼スピーチを担った冨岡さんは、こう締めくくろうと考えていた。

 「賞はわれわれだけではなく、今も事故現場で奮闘するすべての人々に与えられたものです」

 実際には「『英雄』の称号はわれわれだけではなく、すべての日本人に与えられたものだ」と言い換えた。直前に他の4人と話し合っているうち、「それが皆の一致した考えだと確信した」からだ。

 事故現場を振り返り、冨岡さんは「子供たちに日本の未来を残したい一心だった」と話す。

 ◆総動員の放水作業

 3月11日の東京電力福島第1原発の事故で、まず死活的に重要だったのは原子炉の冷却である。稼働していた原発1~3号機は全電源を喪失して冷却水の供給が止まり、各原子炉が「空だき」状態になったためだ。

 1号機で水素爆発が起きた。放置すれば、放射能が拡散する。それを食い止めようと、自衛隊、消防、警察の放水機能が総動員されたのである。

 核・生物・化学兵器に汚染された地域の偵察や除染を専門とする大宮駐屯地(さいたま市)の中央特殊武器防護隊(CNBC)は3月14日午前、岩熊隊長が自ら第1原発に入った。その直後、水素爆発で今度は3号機建屋の上部が吹っ飛び、コンクリート片が岩熊さんの指揮車を直撃した。隊員4人が肩や背中を負傷し、うち1人は放射線医学総合研究所(千葉市)に搬送されている。

 こうした苦闘があって、加藤さんが指揮する飛行隊のヘリが強風の中、3号機への海水投下を敢行し(3月17日)、CNBCも地上での放水を増強する。冨岡さん率いる東京消防庁ハイパーレスキュー隊の屈折放水塔車も7時間以上の連続放水を行った(19日)。原子炉の「冷温停止」を目指す局面打開を象徴する出来事だった。

 避難住民や隊員の除染作業を指揮する重要な任務のため8月1日まで福島にとどまった岩熊さんが、原発事故への対応の要諦を簡潔に語る。

 「より放射線量の少ない地点を探し、いかに人員・機材を投入するかに成否がかかる」

 ◆かけがえのない国民性

 2人の体験を聞き、かけがえのない日本人の国民性を改めて思う。「英雄たち」が被災地のあちこちにいたはず、という岩熊さんの指摘にはハッとさせられた。

 例えば、宮城県南三陸町職員の遠藤未希さん(24)は海沿いの防災対策庁舎で、津波到達の直前まで防災無線のマイクを握り、「早く高台に避難してください」と呼びかけ続けた。自身は津波にのまれ、命を失った。

 警察官では岩手県警11人、宮城県警14人、そして福島県警の5人が住民の避難誘導中に犠牲となり、消防団員の死亡・行方不明者は3県で計253人にのぼる。

 アストゥリアス皇太子賞財団は授賞理由で、事故現場の東電職員らについて「過重な交代勤務や食料不足などに耐えて作業を続けた」と踏み込んで言及している。

 東電によると、事故発生後、福島第1原発には約70人の東電社員がとどまり、暗闇の中で中央制御室の計器類の復旧作業や注水ホースの敷設を続けた。高い放射線量の中での作業だった。

 東電が原発事故の当事者である点から言えば、当然の義務である。だが、現場の労苦は企業責任とは別に評価していい。


 復興へ。名も無き「英雄たち」を記憶にとどめたい。(とりうみ よしろう)


日本地震学会:「反省」シンポ 地震学者に限界 3割「役に立ってない」

日本地震学会:「反省」シンポ 地震学者に限界 3割「役に立ってない」

 地震学の成果は実際の防災に役立っているか--。静岡市で開かれていた日本地震学会は最終日の15日、地震学の社会的役割を問い直す会員対象のシンポジウムを開いた。議論の材料として会員に実施した調査結果も公表され、回答者の8割以上が「地震学の知見は防災に役立つ」と認識する半面、東日本大震災など実際の場面では「役に立っていない」と考える人が約3割に上った。【八田浩輔】

 調査は研究者や防災実務者ら全会員約2000人に実施し、627人が回答した。

 地震学が防災に役立つかどうかを5段階で聞いたところ、一般論としては約83%が「役立つ」と考えていたが、「実際に役立っているか」との別の質問には約29%が「役立っていない」と答えた。

 役立てる際の障壁は「蓄積データの少なさ」(約53%)といった学術的な課題に加えて「研究者の他分野への関心が希薄」(約68%)▽「研究者の防災意識が希薄」(約56%)など、中心的な役割を果たすべき研究者自身の限界も浮かんだ。

 シンポジウムには立ち見も含め研究者ら約500人が参加。東日本大震災を想定できなかったとの反省から、自己批判が目立った。

 東北沖の地震の研究を続けてきた松沢暢・東北大教授は、マグニチュード(M)9の巨大地震を想定できなかった理由について規模を最大でもM8級と想定してきた主流の学説や観測データによる「思い込みがあった」と振り返った。「過去の地震も過小評価している可能性がある」として古い地震の再評価を求め、「(世界で観測されたことがない)M10も否定せず検討すべきだ」と強調した。

 予知を目指す地震学を支える学説に懐疑的な立場を取る井出哲・東京大准教授は「地震予知」という言葉は社会に過度な期待を与えかねないとして再定義を求めた。巨大地震の直前に起きるとされる前兆現象をとらえる「直前予知」だけでなく、過去の事例に基づいて数十年先までの発生確率を予測する研究も社会では予知と混同されていると指摘、予知という言葉が研究費獲得の手段になっていると批判した。

 地震が原発事故を引き起こす「原発震災」に警鐘を鳴らし続けてきた石橋克彦・神戸大名誉教授は「原発に対して地震学は沈黙してきた。国策か否かにかかわらず、地震がかかわる社会的重要課題には自由な議論が必要だ」と、研究者の社会的責任を訴えた。

 シンポジウムを主催した委員会は今回の議論を踏まえ、学会と社会との関係や地震研究の方向性などを盛り込んだ提言を来年5月をめどにまとめ、公表する方針だ。

毎日新聞 2011年10月16日 東京朝刊


地震学のあり方議論

2011年10月16日 朝日新聞

 静岡市で開かれていた日本地震学会は最終日の15日、同市駿河区の静岡大学で特別シンポジウムを開催。東日本大震災を想定できなかったことを反省し、今後の研究にどう結びつけるかなどを議論した。来年5月までに提言をまとめるという。
 シンポジウムには約500人が参加。地震予知に否定的なロバート・ゲラー東京大学教授は「三つのリセットが必要」とし、(1)地震発生の考え方(2)国の地震、津波防災対策(3)研究者の姿勢、を再検討することを呼び掛けた。
 ゲラー教授は「実用的な地震予知は絶望的」として、予知の可能性を前提にした大規模地震対策特別措置法の撤廃を求めた。
 「東海地震説」を最初に唱えた石橋克彦神戸大学名誉教授は「災害科学としての地震学に大きく欠けているのは、大災害を未然に防ぐ社会を築くための批判精神。地震学が沈黙している限り、社会は真実を知ることができない」と、科学的事実に基づいて国などに発言していく重要性を訴えた。
 一方で、「純粋に地震学を研究すべきだ」「防災は専門家に任せるべきだ」などの意見も出た。
 若手研究者からは、研究以外の作業に追われ、将来への不安を訴える発言も相次ぎ、人材の先細りへの危機感が指摘された。
 阪神大震災から16年が経ち、この間の学会の取り組みを巡る議論もなされた。日本地震学会会長の平原和朗京都大学教授は「あの頃は、地震学が防災に直接役立つという考えはなかった。学会のあり方を、若い人を中心に活発に議論していって欲しい」と話した。
               ◇               ◇
  阪神大震災が発生した1995年以来、16年ぶりに県内で開かれた日本地震学会。多くの研究者にとって、あの時感じた「敗北感」と16年間の研究の意味を自問する大会となった。
 そんな研究者が教訓の一つに挙げたのが、「分からないことを分からないと伝えること」だ。従来の理論にとらわれず、思い込みを排し、自然科学に謙虚に向き合おうとしている。
 東日本大震災を教訓にした東海地震の発表も相次いだ。マグニチュード(M)8・6とされてきた宝永地震(1707年)はM9を超え、明応東海地震(1498年)は、安政東海地震(1854年)の2~3倍の範囲まで津波が到達した可能性が指摘された。
 約2千年前、東海から四国沖で四つが連動した地震が発生した可能性があり、4連動地震が発生すると、県内には5~10分で15メートルの津波が押し寄せる可能性が指摘された。
 学会員でもある岩田孝仁・県危機報道監は特別シンポジウムで、「地震学の成果が県の防災対策に生かされている」と研究成果を評価した。今回、学会で発表された新たな成果をどう受け止めるのか。対策の再検討が求められている。
(大久保泰)

大震災「想定できず反省」 日本地震学会出直し宣言  :日本経済新聞

2011/10/15 11:26

日本の地震学者2000人以上が参加する日本地震学会は15日、東日本大震災後に初めて開いた全国大会(静岡市)で、東北での巨大地震を想定できず反省するとの異例の見解を表明した。会長を務める平原和朗京都大教授は「きょうが始まり」と述べ、出直しを宣言。同学会震災対応責任者の鷺谷威名古屋大教授は「想定外の震災に負い目を感じる。地震学や学者の姿勢に問題がなかったか問い直す」と語った。

 今後、海溝付近の地殻変動の観測や、古い地震・津波の調査研究などを強化し、国民の信頼を取り戻したいとしている。

 全国大会の最終日に当たる同日、「なぜ想定できなかったのか」「国の施策とどう関わるのか」と題するシンポジウムを開催。予知が可能と国民に期待させてきた面は否めず、一方で原子力発電所の安全対策などに地震学会が積極的に関与することを避けてきたとして問題点を検証した。

 東北沖では地震の規模を示すマグニチュード(M)を最大でもM8.2と見積もっていた。M9は多くの地震学者にとって想定外で、地震研究の内容や観測体制などに厳しい目が向けられた。

 東北大の松沢暢教授は「海溝沿いのどこでもM9は起こりえる。M10の可能性も否定せずに検討すべきだ」と語り、地震学者が1970年代に提唱された仮説にとらわれていたと指摘。この理論では、東北地方の下に潜り込む太平洋プレート(岩板)はひずみをためにくいが、実際には、東日本大震災でひずみが一気に解放されて巨大地震や大津波を引き起こした。

 また政府の委員会の部会長を務める東北大の長谷川昭名誉教授は「地震学は災害を軽減・防止するためだが、(どう社会貢献するかは)学問の進展度合いもあって難しい」と話した。

関連記事は、こちら

幼稚園側、争う姿勢=「津波到達の予見不可能」―遺族「失われるはずのない命」

幼稚園側、争う姿勢=「津波到達の予見不可能」―遺族「失われるはずのない命」

時事通信 10月11日(火)11時4分配信

 東日本大震災で、宮城県石巻市の私立日和幼稚園の送迎バスが津波に巻き込まれ、園児5人が死亡した事故で、5人のうち4人の遺族が同園を運営する学校法人「長谷川学院」と当時の園長を相手に、計約2億7000万円の損害賠償などを求めた訴訟の第1回口頭弁論が11日、仙台地裁(斉木教朗裁判長)であった。
 訴状によると、同園は3月11日の地震発生直後、大津波警報が発令されていたのに、情報収集や適切な判断を怠り、園児を乗せたバスを海側に向け出発させた。大地震の際は高台にある同園にとどまるとのマニュアルの周知徹底や訓練もしていなかったとされる。
 園側は答弁書で「大津波が発生し、市街地にまで到達することを具体的に予見することは不可能だった」として、争う姿勢を示した。
 原告側は意見陳述で「自力避難できない園児を預かる幼稚園の責任は重大。本来、津波で失われるはずのない命だった」と指摘。傍聴席からはすすり泣きの声が漏れた。

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東日本大震災:沼田の客に支えられ 南相馬の田中さん、ラーメン店5カ月 /群馬

東日本大震災:沼田の客に支えられ 南相馬の田中さん、ラーメン店5カ月 /群馬

 ◇薄味で勝負「温まってもらいたい」

 東京電力福島第1原発事故で、福島県南相馬市から避難してきた田中一夫さん(71)一家が、沼田市利根町平川にラーメン店「尾瀬つかさ亭」を開店して5カ月になる。オープン当初は、一緒に逃れてきた古里の仲間たちが店を盛り上げてくれたが、その多くは南相馬に戻った。今では地域の客らに支えられ、夜遅くまで湯気の立ち込める厨房(ちゅうぼう)に立つ。

 午前9時半過ぎ、三男の俊和さん(33)が開店の準備に取りかかる。一夫さんが「さあ、今日も頑張ろうか」と声をかけ、妻米子さん(61)がテーブルの花瓶に花を生けて開店準備完了だ。

 オープン当初は、地元の人のアドバイスに従って濃いめのスープを提供していたが、現在は南相馬時代と同じ薄味で勝負している。「自分で作り上げたスープを味わってほしいからね」と一夫さん。

 サラリーマンをやめた一夫さんは、96年から南相馬で飲食店を始め、6年前からはメニューにラーメンを加えた。店内にはカラオケも置き、大勢の客でにぎわっていたが、原発事故が生活を一変させた。

 片品村に移り住み、沼田市内に借りた店まで車で15分。午後10時に閉店する。南相馬の人々が次々と帰郷する中、地元客らに支えられているが、経営は厳しいという。一夫さんは「これから雪が降ると大変だが、スキー客が大勢来ると聞いている。ラーメンで温まってもらいたいね」。

 南相馬の店は福島第1原発から20~30キロ圏にあり、緊急時避難準備区域に指定されていた。政府は9月30日に解除決定したが、戻っても飲食店経営が成り立ちそうになく、一家は群馬で生計を立てる方針だ。「いつか帰れる日が来るのかね」。一夫さんはそう話し、遠くを見つめた。【米川康】

毎日新聞 2011年10月8日 地方版


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東北の高速、全車種無料化 国交省方針 悪用防止へ料金システム改修

東北の高速、全車種無料化 国交省方針 悪用防止へ料金システム改修

2011.9.29 11:27 産経新聞

 国土交通省は28日、東日本大震災の復興に向け、12月にも東北地方の高速道路無料化を被災者以外の全車種に拡大する方針を決めた。平成23年度第3次補正予算に250億円程度を計上する方向で調整しており、曜日や時間帯に関係なく、ETC(自動料金収受システム)と現金利用のいずれも無料とする見込み。ただ被災地復興に関係のない車両の悪用を防ぐため、料金システムを改修し、無料化エリア外を走行した分については有料とする。

 料金のシステムの改修は、補正予算の成立後に実施されることから、全車種無料化は12月から来年1月ごろに始まる見通しだ。予算の手当ては年度内の実施に限られるため、来年4月以降は継続するかどうか検討する。

 無料化するエリアは、被災者らを対象とする現行の措置と同じ東北道の白河、常磐道の水戸などの各インターチェンジ(IC)より北とする。

 東北の高速道無料化では、被災者や原発事故の避難者については現在も行われている。ただ、トラックなど一般の中型車以上は、被災地への輸送に関係ない車両の悪用が相次いだことから、8月末で終了した。さらに被災者の利用が想定以上に多く、高速道路会社の収益への悪影響も懸念されていた。

 国交省は「東北の観光支援につながる」などとして、全車種を対象とする無料化措置に必要な予算を2次補正に盛り込む方針だったが断念していた。


<東日本大震災>おかえり小晴…重機で捜し続けた母 大川小

<東日本大震災>おかえり小晴…重機で捜し続けた母 大川小

毎日新聞 9月23日(金)13時10分配信

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重機を操り、行方不明の児童を捜す平塚なおみさん=2011年9月6日、百武信幸撮影

 東日本大震災の津波で多くの児童が流された宮城県石巻市立大川小学校から数キロ離れた海で、遺体の一部が見つかりDNA鑑定の結果、中学校教諭の平塚真一郎さん(45)と妻なおみさん(37)の長女で6年生だった小晴さん(当時12歳)と22日確認された。「せめて一部だけでもと思っていたら、本当にそうでした。それでも帰ってきてくれてうれしい」。捜索のため6月に重機の資格を取った、なおみさん。愛娘が帰ってきた今も重機を操り、なお不明の児童4人の捜索に加わる。最後の一人が見つかるまで--

 遺体が見つかったのは名振(なぶり)湾の漁港付近。地元漁師が見つけ8月9日、夫婦2人で確認に出向いた。津波に流され、たどりついたのか。「へそを見れば分かる」と思っていたが、損傷は激しい。ただ、重ね着していた下着は見覚えがあった。震災当日はまだ寒かったからだ。「小晴が、私たちが分かる形で帰ってきてくれた」と夫婦は確信した。遺体は翌日に一晩だけ帰宅、11日に火葬に付した。

 正式確認に真一郎さんは「ようやく葬儀を出して、みんなの元に送ってやれる」とほっとした様子で話す。なおみさんは「他の子たちの捜索で、できることを続けます」と力を込めた。

 全児童108人のうち、小晴さんを含め70人が亡くなり今も4人が行方不明の同小。震災直後は冠水し近づくことさえできなかった。水が引いてからは周辺で、他の不明児童の保護者らと土を掘り返すなどしてきた。真一郎さんが仕事に復帰後、なおみさんは6月下旬に教習所に通って重機の資格を取得。石巻市から借りた重機を他の保護者とともに操縦し、手がかりを求め地面を掘り返した

 同小に入学した長男冬真君(6)、保育所に入り言葉が増えた次女小瑛(さえ)ちゃん(2)は成長していく。その喜びをかみしめる間もなく、小晴さんが見つからない焦りが募る。お盆が近づくころの「帰宅」だった。

 震災半年の今月11日。警視庁の応援部隊が引き揚げ警察の捜索態勢が縮小された。長靴姿のなおみさんは、今も帰らぬ4人の児童を思い「これからどうなるの」と大粒の涙で部隊を見送ったが、その後再び重機に乗った。

 小晴さんが帰ってくるまで「ずっと見つからず、取り残されるんじゃないか」と不安だった。気遣って足を運んでくれた他の保護者への感謝が、なおみさんを突き動かす。捜索で精いっぱいな保護者に代わり「まだ捜す場所はある」と捜索の継続を訴えている。【百武信幸】


震災半年・あの現場は:戻らぬ娘へ母手紙 宮城・石巻の大川小、祭壇に5通

 ◇さがし出せなくてごめんね お母さんはすっかり泣き虫

 悲劇の学びやを取材で訪れる度、校門跡の祭壇で、かわいらしい文字の手紙を見かけるようになった。全児童108人のうち69人が死亡し、1人がDNA鑑定中、4人が行方不明のままの宮城県石巻市立大川小学校。手紙は、今も戻らぬ4年生の長女、鈴木巴那(はな)ちゃん(当時9歳)へ、母実穂さん(43)が思いをつづったものだ。【百武信幸】

 <9月3日のお葬式どうだった?>

 6日、実穂さんが祭壇に供えた5通目は、巴那ちゃんへの問いかけで始まる。<喜んでもらえるように祭だんに音符とにじをお花で作ってもらいました。お父さんとお母さんはこれくらいしかしてあげられません>

 6年の長男堅登君(当時12歳)は遺体で見つかった。義母の好子さん(同72歳)も。夫義明さん(49)と共に捜し続けているのに、家族の中で巴那ちゃんだけが帰らない。「命を奪うだけでなく、みんなを別々に連れていくなんて

 7月下旬、知人に「お兄ちゃんやおばあちゃんも待っている」と諭され死亡届を出し、3日の葬儀を予約。せめてこの日までに帰ってくれば、という願いは届かなかった。

   ◇  ◇

 最初に手紙を書いたのは4月。自宅が全壊し、避難所から学校に通っていたころだ。<さがし出してあげられなくてごめんね><何もしてあげられなくてごめんね>。謝罪が並ぶ。捜すだけ、の無力感。ショックで娘の笑顔を思い出せない。実穂さんは自分を責めた。

 実家に移った5月半ばの2通目。<お兄ちゃんと巴那には「なみだをみせるな!」って言っていたお母さんなのに すっかり泣き虫になってしまいました>。描き添えた「お母さん」の似顔絵も泣いていた。

 3、4通目は6月。気持ちが少し落ち着いてきたように見える。巴那ちゃんが通っていたピアノ教室が8月に追悼コンサートを開いてくれるという。ピアノの形に切り抜いた紙に音符も躍らせた。<きっときっと会えるから。待っててね。待っててね>

 5年生になると2泊3日の野外合宿に参加する。巴那ちゃんはそれを楽しみにしていた。「ずっと一緒に寝ていたのに急に『1人で寝る』と言い出して」と義明さん。震災数週間前のことだ。合宿の練習だったのだろう

 もどかしさ、寂しさ、よみがえる思い出。手紙にも込めた揺れる思いを胸に、実穂さんは葬儀の日と悪天の日を除き現場に足を運んだ。4月からはおにぎりを持参し続ける。

   ◇  ◇

 祭壇前の風景は半年で大きく変わった。震災3日後、初めて取材で訪れたときは、浸水し泥に埋まった校舎で、消防団や警察、自衛隊が懸命に捜索していた。一人また一人と児童が見つかり、来る度に校舎内のがれきは減った。捜索の手も減り5度目の9月初旬、警察も態勢を縮小した。

 今は、不明児童の保護者と手伝う遺族が目立つ。保護者や遺族にとって、半年は何かの節目ではない。「早く会いたい」という実穂さんの願いも変わらない。

 ただ最近はこうも感じているという。

 他の友達が出て来てから、その後に、と巴那は思っているのかもしれない。「必ず出てきてくれる。だからその日を待ち続けます

毎日新聞 2011年9月14日 東京朝刊


残された家族の悲しみ、苦しみを思うと、この事実を決して風化させてはいけないと、強く感じます。

家族を捜して逃げず 震災直後の避難「わずか57%」政府面接調査

家族を捜して逃げず 震災直後の避難「わずか57%」政府面接調査

2011.8.16 22:18 産経新聞

 政府が岩手、宮城、福島3県で避難している東日本大震災の被災者870人を対象に実施した面接調査で、震災の発生直後に避難した人は57%にとどまり、42%の人は家族を捜したり自宅に戻ったりして、すぐに避難していなかったことが16日、分かった。大津波警報を見聞きしなかったと回答した人も58%に上った。内閣府は「家族を捜すといった行動が迅速な避難行動を妨げる要因になっている」と強調。津波警報を確実に伝達する必要があるとして、震災発生時の避難対策の見直しを検討する。

 調査は内閣府と消防庁、気象庁が7月、3県の沿岸地域にある仮設住宅や避難所で実施。16日の中央防災会議専門調査会で示した。

 調査によると、地震直後に避難した人のうち、津波に巻き込まれたのは5%にとどまったが、津波が来るまで避難しなかった人は49%が流されたり、体がぬれるなどしていた。

 すぐに避難しなかった人に理由を尋ねると、自宅に戻った(22%)▽家族を捜した(21%)▽過去の地震でも津波が来なかった(11%)-などの回答が上位。津波警報を見聞きした人の約8割が「避難しようと思った」と答えており、確実な警報伝達の必要性が浮き彫りになった。


津波5人死亡事故、幼稚園を提訴=警報後沿岸へ、安全配慮怠る-仙台地裁

津波5人死亡事故、幼稚園を提訴=警報後沿岸へ、安全配慮怠る-仙台地裁

 東日本大震災の直後、宮城県石巻市の私立日和幼稚園の送迎バスが沿岸部へ向かい、津波に巻き込まれて園児5人が死亡した事故で、5人のうち4人の遺族が10日、幼稚園側の対応に問題があったとして、同園を運営する学校法人「長谷川学院」と当時の園長を相手に、慰謝料など計約2億7000万円を求める訴訟を仙台地裁に起こした。
 提訴したのは、園児4人の両親8人。
 訴状では、同園は大津波警報が出ていたにもかかわらず、安全配慮義務を怠り、園児をバスで沿岸部に連れて行ったほか、大地震の際は保護者に引き渡すまで園児を園内に待機させるというマニュアルも守られなかったとしている。
 原告側弁護士によると、遺族らは当初和解を求めたが、園側が「予見、回避ともに可能性はなかった」と責任を認めなかったため、提訴に踏み切ったという。(2011/08/10-13:15)


津波で送迎バスの園児死亡、4遺族が園側提訴

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送迎バスのルート

 宮城県石巻市の私立日和(ひより)幼稚園の送迎バスが津波に巻き込まれ、園児5人が死亡した事故で、4遺族は10日、園側の対応に問題があったとして、園を運営する学校法人「長谷川学院」と当時の園長に対し、計2億6690万円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。震災後、避難誘導をめぐって遺族らが学校や園側の責任を問う訴訟は初めて。被災地では、避難誘導などに問題があったとして学校側の責任を問う動きが広がっている。

 提訴したのは佐藤愛梨(あいり)ちゃん、佐々木明日香(あすか)ちゃん、西城春音(はるね)ちゃん(いずれも当時6)、男児(当時5)の父母8人。

 訴状などによると、バスは3月11日、大津波警報発令後の午後3時ごろ、園児らを自宅に帰すため、高台にある園を出発。海辺の住宅街を回って園に戻る途中の坂道で渋滞に遭い、津波と火災に見舞われて女児4人、男児1人が死亡、添乗員の女性が行方不明となった。


津波で園児死亡、遺族が損賠提訴 石巻市の私立幼稚園に

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 仙台地裁に提訴し、記者会見する亡くなった園児の両親ら=10日午前、仙台市青葉区

 東日本大震災の津波に宮城県石巻市の私立日和幼稚園の送迎バスがのみ込まれ、園児5人が死亡したのは、高台にあった園から海沿いに送迎バスを出発させるなど園側が安全配慮を怠ったためなどとして、死亡した園児4人の両親計8人が10日、約2億6千万円の損害賠償を求める訴訟を仙台地裁に起こした。

 訴状によると、地震直後に大津波警報が発令されたのに、園に残っていた園児をバスに乗せ、高台の幼稚園から海沿いに向けて出発させたのは、幼稚園側が防災無線やラジオで情報収集しなかったためで、安全配慮義務を怠ったなどとしている。

2011/08/10 12:17 【共同通信】


新聞報道のみでは、状況が良くわかりません。

下記TV番組の内容が正しいとすれば、

①津波後も、子供達は瓦礫に埋まったバスの中で生きていて、夜中まで「助けてー」と声を出していた。
②バスから流されたものの一命を取り留めた運転手が幼稚園に戻り、報告した。
③しかし、幼稚園は捜索・救助を行わなかった。
④翌日バス付近から火災が発生し、子供達は焼死した、という経緯のようです。

本当だとすると、あまりにもひどい話です。



「地震学者は、地震の科学の無力さを徹底的に見せつけられた」大木聖子

【先端技術大賞】東大地震研究所 大木聖子氏が記念講演

第25回先端技術大賞授賞式で講演する東大地震研究所の大木聖子・助教=27日(瀧誠四郎撮影)

■科学は「解明途上」周知を

(前略)

東日本大震災は数多くの犠牲者を出したが、そのうち90%以上は津波によるものと発表された。あの日、テレビに映し出された津波が町を襲う惨状を見て、私は本当に言葉を失った。

 ◆地震学者の衝撃

 今回、地震学者は地震の科学の無力さを徹底的に見せつけられた。

 現在の地震学では地震がいつ起きるのかを予測することはまず不可能だ。「いつ」だけでなく「どこで」「どのくらいの大きさになるか」といったあいまいな予測すら、過去に起きた地震の事例に頼っているこの地域ではおよそ100年周期で地震が起きている、というレベルの予測を、たった2つか3つの事例から出す。そして、われわれの持つ知見ではM(マグニチュード)9.0の地震が日本で起きたことは確認されていなかった。

 そもそも科学・技術に関する学問は、仮説を立て実験などで検証することで事実を積み上げていく。でも、地震学では実験ができない。シミュレーションで何通りもの予測を立てたとしても、本物の地震が起きないと証明すらできない。しかも大きな地震ほど頻度が少なく、ときには数万年に1度という低頻度になるという問題を常にはらんでいる。これまでの地震の科学は、あまりにも物理や数学に偏っていた。あるいはスーパーコンピューターに頼っていた。地震学の知見を本当に防災に生かすのであれば、古代の地震を記録した古文書を分析する歴史学や、大地に残された歴史を調査している地質学との連携を進めるべきだった。

 科学の世界のごく当たり前のおきて、すなわち仮説を立て実験で証明されるまでは正解がわからないということを、私たちは今回ようやく理解した

 M9.0の地震が起きるという事実は、これまで知られていなかった。あるいは証明されていなかった。ただそれだけの理由で多大な人命が奪われ、さらには原子力発電所の事故に至るような事態になってしまった

 何をどう償っていいかわからない。失われたあまりに大きな犠牲に対し、(科学者として)今も申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

◆避難行動の抑制

 震災発生から3週間後、岩手県宮古市に現地調査に行った。宮古市は歴史的に、何度も津波の被害に遭っている。市内には閉伊川という川が流れ、市街地は高さ8メートルの堤防によって守られている。

 調査の際、市役所5階から撮ったという震災時の映像を見た。津波によって増水した川から今にもあふれそうになっている恐ろしい黒い水がはっきりと見て取れた。あふれる前は堤防が町を守っている。しかし、この堤防は凶暴な津波の目隠しにもなってしまった。

 透明な堤防を造る技術があれば、どれほどの人を助けることができただろう。あの映像を見て、そう考えることしかできなかった。透明な堤防を造る技術がないならば、私たちは何をすべきなのか。

 科学や技術への信頼によって、かえって被害が拡大した事例はいくつかある。たとえば、今回の東日本大震災の場合、津波の予測高さの第一報は、現実に襲ってきた津波に比べてかなり小さな値となっていた。

 あの日、気象庁は岩手県に3メートルの大津波警報を出したが、実際に襲ってきたのは10メートルを超える津波だった。「うちには8メートルの堤防があるし、3メートルの予測だったから大丈夫だと思った」。調査に行った宮古市で人々はそう口にしていた。

 3メートルの津波と聞いて、自宅2階に避難し、そのまま津波にのまれてしまった人もいる。科学の世界からの情報を信じた結果、かえって人々を危険な目にあわせてしまったということを本当に申し訳なく思っている

 私は子供のころから、科学者という言葉に強いあこがれを持っていた。科学はさまざまな不可思議を解き明かし、解決方策を与えてくれる。先人たちの営んできた科学によって、われわれは物事の背景にある法則を知り、その知見を応用した技術によって暮らしを豊かにしてきた。

しかし、科学を営むこと自体は未解明の事象に取り組み続ける行為であり、本来、科学的といえば解明途上だと認識されるべきだ。

 これを伝えてこなかったこと、科学技術はすごいという印象ばかりを与えてきたことが、今回の震災で被害を拡大した、と私自身はとらえている。

 ◆過剰な期待と誤解

 1995年の阪神・淡路大震災後、われわれは社会へのより具体的な貢献を約束し、「地震発生の長期評価」を公表することにした。地震が「いつ」発生するかを予測するのはほとんど不可能だが、「どこで」「どのくらいの大きさ」の地震となるかは、過去の例を調べることで、ある程度可能になる。こうした考えのもとに、今後30年間での地震の発生確率である長期評価が文部科学省から公表されるようになった。

 地震学の歴史の浅さや地震の発生周期から考えても、ここで得られるのは一定の「目安」だ。それでも目安があれば、どの地域の、どういった対策を急ぐべきか見えてくるだろうし、目安に基づいてハザードマップを策定することもできるだろう。ところが、実際に起きたのはM9.0という、われわれの想定をはるかに上回った超巨大地震だった

 科学の世界から提示された「目安」は、社会に出ると「科学的根拠」と名を変える。そこには科学や技術に対する過剰なまでの期待、あるいは誤解とすら呼べるものがある。しかし、それ以上に地震学者がプレート境界で起きる地震については大体は理解できたと思い込んでしまったように、科学や技術に携わる者にもそうした過信やおごりがあったのではないだろうか

 科学の世界でわかったいくつかは技術の力を経て、われわれの生活に生かされている。しかし、科学の世界でわかっていることは広大な真理のほんの一部であり、わかっていないことが大部分を占める

 それが、ある時、陰の側面として私たちの生活に迫ってくることもある。この陰の側面を伝えることのほうが、光の側面を伝えることよりはるかに重要であることを、私はようやく理解した。

 ◆選択眼問われる時代

 これからは、陰の側面を知ったうえで人々がどちらを選ぶかが問われる時代がくるだろう。よりよい選択を助ける役割の一端として、すでに科学技術コミュニケーションというアウトリーチ活動が始まっている。欧米諸国がアウトリーチ活動に国をあげて力を入れてきたのは、これが民主主義社会における個人のよりよい意思決定の助長、ひいては世界における国家の位置づけにも寄与すると考えているためだ。自然災害の多い日本では命を守り伝えていく知恵にもなると思っている。

 科学の一側面ばかりを強調してきた結果、震災に打ちのめされたこの現状を重く受け止め、徹底的な反省の後に、正しい一歩を踏み出したいと強く願っている。

                   ◇

【プロフィル】大木聖子

 おおき・さとこ 北大理学部卒。阪神・淡路大震災を機に地震学者を志し、2006年東大大学院で博士号(理学)を取得。08年4月から 東大地震研究所広報アウトリーチ室助教として、アウトリーチ活動(広報活動や防災教育、科学コミュニケーション)などを担当。

サンケイ・ビズ


科学者としての痛切な自責の念が伝わってきます。

科学に対する世間の過剰な期待(=誤解)ばかりでなく、自分自身でも能力を過信していたのではないかと。

現実は、シミュレーションなどはるかに超える残酷なものでした。

今回の規模の地震を全く予測できなかったばかりでなく、シミュレーション結果としての警報値も大きく外れたものとなり、その結果、多くの人を死に至らしめてしまった。

シミュレーションによる予測を、現実的な判断・決定の根拠として扱うことの限界、難しさを彼女は十分理解していると思います。


シミュレーションは、多くの場合確率で結果を表しますが、その数字は、前提の置き方、モデルの立て方で大きく変わります。

例えば、低線量被曝での発がん性の問題でも、浜岡原発停止の根拠になった地震発生予測にしてもそうです。

分野が違いますが、経済学などは高度な数学を使ってモデルを立てていますが、なかなか当たりませんね。

いったん予測結果を公表すると、数字の持っている「不確かさ」が抜け落ち、一人歩きする傾向がありますので、とにかく慎重にした方が良いと思います。


最近は、研究予算獲得にも「現実にどの程度役に立つ研究なのか(有用性)」が大きなウエイトを占めるようになっていますので、研究者自身も自分から売り込まざるを得なくなっています。

どうしても不確かさを目立たせない方向で、話をするようになります。

きわめて実学である地震学は、ちょっと結果を急ぎすぎましたね。

もう少し科学の限界に対して真摯に向き合うべきでした。

一方で、この予算配分方針は、基礎科学の衰退を招いています。

一般的なプロジェクトの期間である5年間で、結果の出る基礎科学などほとんど無いですから。

予算が無くなり、研究が続けられなくなっています。

ある意味、基礎科学は社会の「余裕」の中で進歩するものなので。


大木氏のような、科学者としての役割と限界をきちんと理解している人ばかりでないのが残念なところです。

例えば、テレビに出てきて何でも脳科学で説明しようとする科学者?とか、思いつきで理論?をコロコロ変えて現場を混乱に貶めるスキー教程の作成者等ですね。

科学者(であるならば)としての謙虚さが足りません。

こうした人たちが出てくるのは、マスコミあるいはスキー連盟の上層部がその本質を見抜く能力がないためでしょうね。


社会的影響の大きさ、あるいは倫理的な観点から実証実験を行うことが出来ない科学領域は、ある意味、災害・事故によって進歩します。

被ばくに関する広島・長崎、チェルノブイリ、そして福島。地震に関しても同様です。

大きなジレンマであり、学問分野の宿命です。

多くの人の尊い犠牲・苦しみをデータにしている学問であると言うことを十分に自覚し、科学的信頼性のみならず、データの提供者に対しても十分に敬意を払い、そして謙虚であるべきです。

今回の講演抄録を読んで、科学者としての良心を感じました。

こうした人がいる限り、まだまだ日本の科学も捨てたものではないと感じました。

津波で25人死亡の自動車学校、遺族が提訴へ

津波で25人死亡の自動車学校、遺族が提訴へ

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津波で壊滅した常磐山元自動車学校。約700メートル手前に海が広がる(7月10日、宮城県山元町坂元で)=野村順撮影

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 宮城県山元町の常磐山元自動車学校が東日本大震災の津波に襲われ、送迎用マイクロバスなどに分乗して帰宅しようとしていた18~19歳の教習生25人が死亡した。

 25人の遺族は「学校が迅速に避難させていれば犠牲者は出なかった」として、同校側を相手取り、総額約17億円の損害賠償を求めて9月に仙台地裁に提訴する方針を固めた。

 同校が遺族会に行った説明などによると、3月11日午後2時46分に地震が起きると、教習生ら約40人は校舎外や車外に出た。校舎が壊れた恐れがあり、寒さをしのぐため、教官らの指示で何台かのマイクロバスに乗り込んだ。

 「地震直後、教官らには『1時間後に教習を再開するので、少し待っていてください』と大きい声で言われた」と、助かった女子大学生(19)は証言する。

 しかし、同3時20分頃に停電し、同校側は教習生を帰宅させることにした。

 教習生らはマイクロバスやワゴン車、教習車計7台に分乗して同3時40分頃から順次出発。約10分後に山元町の沿岸部が津波に襲われ、7台のうち、山の手に向かったワゴン車と教習車を除く5台がのみ込まれた

 死亡した教習生25人は、5台に乗っていた23人と、路上教習を打ち切って同校に戻った後、徒歩で帰宅していた2人。同校側も、校舎が津波で壊滅し、マイクロバスなどを運転していた教官4人と、学校にいた校長や教官、事務員ら5人が犠牲になった。

 遺族会によると、同校側は「津波の際の避難マニュアルは用意しておらず、対応に危機感がなかった」ことは認めたという。だが、話し合いを重ねている途中、代理人弁護士から「このような大規模な津波は予見できなかった。仮に予見が可能だったとしても、生徒たちは自ら避難することができた」などとして、一連の対応に過失はなかったと主張する文書が遺族に送られてきたという。

(2011年7月28日09時18分 読売新聞)


東日本大震災:送迎手間取り25人死亡…宮城の自動車学校

津波に襲われた常磐山元自動車学校(左奥)。余震による津波に警戒しながら、消防隊員らが行方不明者を捜していた=宮城県山元町で2011年3月14日、丸山博撮影
津波に襲われた常磐山元自動車学校(左奥)。余震による津波に警戒しながら、消防隊員らが行方不明者を捜していた=宮城県山元町で2011年3月14日、丸山博撮影

 宮城県山元町の常磐山元自動車学校は、送迎のワゴン車など7台のうち5台が津波にのまれ、10代の教習生25人が死亡した。防災無線が大津波警報を告げ、避難を呼びかけていたにもかかわらず、学校が送迎車を出発させたのは地震から40分余りたってから。しかも、車は通常の送迎ルートをたどった。遺族は「対応の遅れと不適切さが最悪の事態を招いた」と指摘、裁判で責任を追及する構えだ。【鈴木美穂】

 ■騒 然

 「先生、早く(車を)出して!」「やばい」。3月11日午後3時半すぎ、教官の運転で自動車学校を出たワゴン車が国道6号交差点に差し掛かった時、車内は騒然となった。3人の教習生と乗り合わせていた山元町の川越美幸さん(19)が振り返ると、黒い波が迫っていた。しかし、信号は停電で消えており、2台のトラックが立ち往生して道をふさいでいた。

 「やばいのは分かってる」。教官がアクセルを踏んで急発進し、国道を山側に突っ切って逃れた。川越さんは「停車は一瞬だったが長く感じた。生きた心地がしなかった」と振り返った。

 ■待 機

 3月は免許取得のピーク時期。自動車学校は高校を卒業したばかりの若者ら約40人でにぎわっていた。午後2時46分の地震発生後、建物の倒壊などを心配して外に逃れた教習生らは、寒さをしのぐため前庭に停車中のバス内で待機していた。学校が「午後4時から教習を再開する」と呼び掛けていたからだ。

 角田市の斉藤瞭さん(18)は、亘理町の早坂薫さん(当時18歳)とバス内に並んで座っていた。既に車内のラジオやサイレンを鳴らした車が高台への避難を呼び掛けていた。

 学校側が教習を打ち切り、送迎車で送り届ける方針を打ち出したのは、午後3時半ごろだった。教官から自宅の方向ごとに乗り換えるよう指示があり、斉藤さんは教習生3人とともに別のワゴン車に乗り込んで先発した。早坂さんの送迎車は同乗者が多かったため振り分けに手間取り、なかなか出発する気配がなかった。早坂さんに手を振った斉藤さんは「明日もまた会える」と思った。

 ■漂 流

 斉藤さんを乗せた車は、海沿いの相馬亘理線を走った。学校から約1キロ進んだ時点で海の方を見ると、白い煙が立ち上っていた。

 「火事じゃね?」「津波!」。同乗の友人とそんな会話をした直後、ゴーッという地鳴りとともに「海が勢いよく迫ってきた」。教官がハンドルを切った途端、近くに止まっていた無人の車が波に流されて突っ込んできた。同乗の女子教習生2人がすすり泣いていた。その間にも、車は50~60メートル流された。ガラスが割れ、車内に泥水が入り込む。二波、三波と襲われ、車は次第に横転し始めた。

 「外に出ろ」。教官が叫び、斉藤さんは割れた窓から水中に飛び込んだ。車内に濁流が流れ込み、2人が沈んでいくのが見えた。斉藤さんも水中でもまれ、木や金属とぶつかりながら漂流し続けた。びしょぬれになって民家の上にいたところを救助されたのは、12日午前3時ごろだった。

 ■後 悔

 「あの日、教習所に送り出さなければ」。早坂薫さんの母由里子さん(47)は悔やんでいる。11日午前、薫さんと2人で就職祝いのスーツを買いに出かけ、送迎バスが来る駅に送り届けたからだ。

 午後4時10分すぎ、父満さん(49)と薫さんの携帯電話が1度だけつながった。ゴボゴボと水の音がして、男みたいな声がした。「混線かな」と切ってしまったが、「もしかしたら娘だったかも」と激しい後悔に襲われた。以来、娘の携帯が通じることはなかった。薫さんは6日後の17日に遺体で発見された。

 「お子様を守りきれず申し訳ない」。自動車学校の岩佐重光社長は遺族に謝罪したが、4月中旬には弁護人を通じ「損害賠償責任は負わないと判断される」との文書を送りつけてきた。早坂さん夫婦は「生徒の安全を守るのが学校の責務。せめて高台に避難させてくれていれば」と話す。

毎日新聞 2011年7月22日 22時41分(最終更新 7月22日 23時20分)



当時の記事は、こちら

遺族の気持ちを考えると、リンク先の写真を掲載したままで良いかどうか迷います。

いずれ消すと思います。

電力使用制限令発動…15%節電始動

電力使用制限令発動…15%節電始動

夏の電力不足に備えるため、政府は1日、東京電力と東北電力管内の大口需要家(契約電力500キロ・ワット以上)に対し、電気事業法27条に基づく電力使用制限令を発動した。

 ピーク時使用電力の昨夏比15%削減を義務づける。制限令発動は第1次石油危機の1974年以来、37年ぶり。対象となる工場やオフィスビルなどでは、エアコンの設定温度を上げるなどの節電の動きが広がった。政府は、中小企業や一般家庭にも15%節電を呼びかけており、「節電の夏」が本格化した。

 電力使用制限令の発動は、東電管内(東京都、関東6県、山梨県、静岡県東部)は9月22日まで、東北電管内(東北6県と新潟県)は9月9日まで。それぞれ平日の午前9時から午後8時が対象。違反すれば100万円以下の罰金となる。

(2011年7月1日12時42分 読売新聞)


きょうから電力制限、余力1%切れば計画停電も

 政府は1日、東京電力と東北電力管内の大口需要家(契約電力500キロ・ワット以上)に対し、電気事業法27条に基づく電力使用制限令を発動する。

 夏の電力不足に備えるため、昨夏比15%の使用削減を義務付ける。中小企業や一般家庭にも同率の節電を要請する。

 原子力発電所の運転停止が相次ぐ中、関西電力も管内の利用者に1日から15%の節電を求めるなど、全国に節電の動きが広がっている。

 電力使用制限令の発動は、東電管内(東京都、関東6県、山梨県、静岡県東部)は9月22日まで、東北電管内(東北6県と新潟県)は同9日まで。それぞれ平日の午前9時から午後8時が対象となる。

 経済産業省は30日、電力使用が増して大規模停電の恐れが高まった場合の広報手順を発表した。

〈1〉翌日の電力供給余力が3%未満と見込まれると、夕方に東電と東北電管内に「電力需給逼迫(ひっぱく)警報」を発令する

〈2〉余力が1%を切る場合は、地域ごとに電力供給を止める「計画停電」を予告し、節電の徹底を呼びかける

〈3〉当日朝に第2報を発令し、計画停電の実施の有無を知らせる――としている。

(2011年7月1日01時46分 読売新聞)


「15%節電」きょうから…なぜ?


 政府が東京電力と東北電力の管内で1日から電力使用制限令を発動するのは、東日本大震災で原子力発電所が相次いで稼働停止となり、一度に供給できる最大電力量を示す「ピーク時供給力」が落ち込んでいるためだ。

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 Q ピーク時供給力とは。

 A 電力会社が、電力需要の最も多い時間帯(夏場は昼から夕方)に供給できる電力量を示す。発電設備は〈1〉24時間連続で一定量の発電を行う原発を中心とした「ベース」〈2〉電力需要の伸びに応じて動かす火力発電所を示す「ミドル」〈3〉短時間だが発電量の大きい揚水式水力発電所などの「ピーク」――の三つに分類される。これらの電力施設から得られる最大の電力量を「ピーク時供給力」と呼ぶ。

 Q ピーク時供給力は常に一定なのか。

 A 需要や天候、設備の稼働状況によって変化する。6月4日の東電のピーク時供給力は4000万キロ・ワットだったが、30日は5010万キロ・ワットと、25%以上増えた。猛暑による需要急増に対応するため、揚水式水力や火力発電の稼働を増やしたからだ。

 これに対し、東電が予想した7月1日の最大電力使用量は、前日の予想値より220万キロ・ワット少ない4280万キロ・ワットとなった。電力使用制限令の発動や節電意識の高まりで電力使用が抑制されると見込んだからだ。

 ただ、夏本番を迎え、需要は徐々に増えるとみられる。揚水式水力は、夜間に火力などの余剰電力で水を上部の調整池にくみ上げておき、昼間のピーク時に発電するため、連続して大量に発電するのは難しい。火力発電所も老朽化した施設があり、ピーク時供給力を安定的に保つのは困難だ。

 Q 供給力の調整はどのようにするのか。

 A 電力会社は工場の稼働状況や天候、過去のデータなどを活用して電力需要を予測する。余裕をみて、その日の最大需要より8~10%上積みした供給力が、安定的に電気を送れる適正水準とされる。

 電力会社は、気温が上がるなどして需要が予測を上回った場合、他社から電力を融通してもらったり、揚水式発電の流量を増やしたりして発電量を増やす。需要がピーク時供給力に近づく状況が続けば、電力会社が需要を減らそうとして計画停電に踏み切る恐れもある。(渡辺達也)

(2011年7月1日08時57分 読売新聞)


関電さん、エアコン止めれば本当に停電ないの?

 大阪市の平松邦夫市長は30日の記者会見で、家庭などでのエアコン停止による停電回避の実効性などを問う公開質問状を、1日にも関西電力に提出することを明らかにした。

 平松市長は関電の15%節電要請を巡り、「橋下知事をはじめ、(関西)広域連合はエアコンを止めたら停電が起きないと発信しているが、本当なのか」と疑問視。昨夏に市内で搬送された熱中症患者の4割以上が高齢者で、うち室内の発症ケースが半数以上だったことを挙げ、「暑い夏が予想され、高齢者や病人を抱える家庭には、(エアコンの)設定温度で工夫してくださいと言わないと持たないのでは」と指摘した。

 質問状では、▽エアコン停止を要請する判断材料となる電力の需給予測がどれほど正確なのか▽停電回避に必要なエアコンの停止台数▽他の有効な節電手段――などを尋ねる。来週中に回答するよう求め、内容を公開、市民への節電協力の呼びかけに役立てる考えだ。

(2011年7月1日09時58分 読売新聞)



パフォーマンス(と思い上がり)から原発事故を拡大し、パフォーマンス(と思いつき)で浜岡原発を止めたことにより地元の不安を招き、結果的に全国の原発の再稼働停止を招いたことが今回の原因ですよね。

本来ならば、関東、東北地方の限局的な電力不足であったはずなのに、全国的な問題になっています。

産業界に与える影響はもちろんですが、電力不足は、体力的に弱い老人や子供の死に直結します。

政治的なパフォーマンスが、国民を殺すこともあることを理解しているのでしょうか?

本来政治がすることは、現時点において最大限の電力を確保しながら、長期的な視野で(例えば、古い、あるいは危険な地域の原発を漸次止めることで)将来に向かって原子力に対する依存を減らし、同時に、代替エネルギーの実用化を図っていく環境整備をすることでしょう。

現段階で、原子力か、自然エネルギーか、などの二者択一を迫るものではありません。

第一優先で行うべき被災地の復興は、自治体とボランティアにまかせきり。原発問題も東電まかせで、責めたてるばかり。

順序的にいうと、先の課題で良いはずの自然エネルギーがなぜか直近の主要な柱に。

会議をたくさん作って、延々と話し合いを行い、やっと結論が出たと思っても、それを実行するはずの官僚にそっぽを向かれているため、かけ声ばかりで実効性のある対策を打てない。

あげくに原発解散ですか?

迷走の極みですね。

(上)阪神の3倍206人の現実 幼い兄弟「心配かけたくない」

(上)阪神の3倍206人の現実 幼い兄弟「心配かけたくない」

2011.6.16 23:55 産経新聞

 「兄ちゃん、おれにもDSやらしてよ?」

 「やだね、まだクリアしてないもん」

 「ブー、なんだよ兄ちゃんばっかり」

 6月初旬の岩手県陸前高田市の高台の避難所。ゲーム機を取り合う及川佳紀(よしき)君(9)と弟の晴翔(はると)君(7)の兄弟げんかに「まぁだ始まった」と周りの大人たちが目を細める。あの日、兄弟は津波で両親を失った。見ず知らずの大人たちとの避難所生活にも少し慣れたが、仮設住宅への入居が決まり、転居することになった。

 「ここの生活に比べたら仮設でも十分です」。兄弟の面倒を見る祖母の村上五百子(いおこ)さん(67)はそう話すが、2人は避難所を離れることに、複雑な思いも抱いているという。

 「両親と同じくらいの世代の人には特にかわいがってもらったから離れるのが寂しいんでしょう。父ちゃんと母ちゃんの面影を重ねているのかもしれません

 兄弟は小学校から高台へ避難したが、自宅にいた両親は津波にのみこまれた。父は遺体で見つかったが、母は今も行方が分からない。火葬の日、父との最後の別れを前に佳紀君は泣きじゃくり、晴翔君も涙ぐんだ。それ以来、2人は両親のことを人前で話さない

 避難所の女性(68)は、佳紀君が日に日に成長しているのを感じている。「震災遺児に給付金が支払われるという新聞記事を読んで『人の命はお金で買えない』って叫んでいるんです。『ばあちゃんに心配かけたくない』って言葉もよく出るようになった」

 避難所前には佳紀君が親戚に買ってもらったマウンテンバイクがある。お気に入りの赤いヘルメットをかぶり、乗り回すのが一番の楽しみだ。

 「兄ちゃんばかりずるいよな」。ふくれっ面で話す晴翔君にも、東京の知人から真新しい自転車が届いた。

■ ■ ■

 厚生労働省などによると、東日本大震災で両親が死亡・行方不明となった震災孤児は15日現在、岩手県82人、宮城県106人、福島県18人の計206人。児童養護施設に保護されたケースもあるが、大半は祖父母や親族が引き取っている。親戚に引き取られ、他の地域に移る子供もいる。

 宮城県石巻市など沿岸部で孤児の調査を進める県東部児童相談所次長の鎌田康弘さん(55)は「避難所に孤児がいると聞いて出向くと、アパートや仮設住宅に引っ越していることもあり、実態把握が難しい」と指摘しこう続けた。

 「孤児をケアする学校や保育所の先生たちも自宅を流されたり、家族を失ったりしている。引き取った親族が避難所暮らしだったりで生活環境自体が非常に悪化している。孤児だけを支援すればいいという問題ではない」

■ ■ ■

 「見て、見て。きれいでしょう

 昆愛海(こん・まなみ)ちゃん(5)は町の児童館から帰るとさっそく、塗り絵を開いて祖母の幸子さん(63)に話しかける。

WS000763.jpg

 津波で流された保育園に代わり園児らは送迎バスで児童館に通う。愛海ちゃんが帰るのは幸子さんと2人で暮らす新しい自宅だ。

ずいぶん元気になったんですよ。地震の後、民家の倉庫で避難生活をしていたころは、私にまとわりつくばかりで、誰とも口をきこうとしませんでした」と幸子さんは振り返る。

 岩手県宮古市の重茂(おもえ)半島にある小高い丘に自宅はあった。大きな揺れの後、母の由香さん(32)は保育園に愛海ちゃんを迎えに行き、連れて帰ってきた。

 自宅の隣は避難場所に指定されていた小学校。そこを30メートルもの津波がのみこんだ。

 由香さんと漁師の父、文昭さん(38)、妹の蒼葉(あおば)ちゃん(2)の4人で自宅の庭にいたのが目撃されている。

 「立って(波を)見てた。パパとママ、アオ(蒼葉ちゃん)が流されたの」。愛海ちゃんはクレヨンを握ったまま早口でしゃべりだした。文昭さんら3人は波にのまれたが、愛海ちゃんは漁の刺し網に引っかかって流されずにすんだ

 「『ママ、助けて!』って叫んでたの。ママ、どこ行っちゃったんだろう

 知人女性が第2波が来る前に愛海ちゃんの手を引き、高台まで走った。「走ったときに転んだりしたの」。ずぶぬれで助けられた愛海ちゃんはずっと震えていたという。

 愛海ちゃんが甘えた口調でぽつりとつぶやいた。

 「たみちい(寂しい)

■ ■ ■

 文昭さんら3人は行方不明のままだ。

 幸子さんらはいったん親戚方に身を寄せた後、自宅から遠くない親戚所有の空き家に越してきた。

 「両親が死んだという実感がなく、まだ帰ってくると思っているようです」と幸子さんは目を潤ませる。「何かあると、『パパが帰ってきたら教えてあげるんだ』と言うんです」

 あの日から2カ月近くたった5月10日、愛海ちゃんは両親がいない5歳の誕生日を迎えた。

 幸子さんは「以前は『パパやママと一緒じゃないと保育園に行かない』とぐずっていたが、何も言わず行くようになった」と変化を感じている。

 津波で流された自宅2階跡から両親の携帯電話が見つかり、今は幸子さんが使っている。電話が鳴るごとに愛海ちゃんは両親からの電話を待っているのか、「誰? 誰?」としつこく聞いてくるという。

 黙々とひらがなやカタカナをノートに書いて練習していた愛海ちゃんが恥ずかしそうにノートを持ち上げ、ママに書いたという手紙を読み上げた。

 《ままへ。いきてるといいね おげんきですか

■ ■ ■

 東日本大震災の震災孤児は判明しただけでも阪神大震災の68人の約3倍。就学前の幼児も少なくない。震災孤児たちをどう支援し、見守っていくか。厳しい現実が突きつけられている。


泣けてきます。

言葉になりません。


「パニック神話」 が被害増やす

「パニック神話」 が被害増やす

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「パニックは起こらない」と語る広瀬さん

 東日本大震災では、1万5千人以上の人が津波にのまれて亡くなりました。地震の直後、すぐに避難を始めていたら、死者は激減したに違いありません。人はなぜ逃げ遅れるのでしょうか。

 また、福島第一原発の事故では、政府や東京電力の発表の遅れが目立っています。その背景には「情報をすぐに伝えたらパニックが起こる」という恐れがあったのかもしれません。でも、迅速な情報提供は、本当にパニックにつながるのでしょうか。

 災害心理学が専門の東京女子大名誉教授(安全・安心研究センター長)、広瀬弘忠さんと考えてみました。


 ── 人はなぜ逃げ遅れるのでしょうか?

 人の心の中にある「あそび」が原因です。私たちはそれを、正常性バイアス、あるいは正常化の偏見などと呼んでいます。

 この正常性バイアスは、2003年に韓国のテグ市で起きた地下鉄火災で、乗客が撮った写真に如実に現れていました。死者約200人にのぼる大惨事で、放火された列車と、ちょうど反対ホームに入ってきた列車の乗客に死者が多数出ました。

 死者がより多かったのは、放火列車よりも反対ホームの列車です。この反対ホームの列車内で撮られた写真に、煙が充満してきているのに、携帯電話を眺めていたり、じっといすに座り続けたりする乗客の姿が写っています。みんな何かおかしいと感じているのに、危険を意識して危機対応の行動をとる人がいないのです。

 そこで私たちは、実験を行ってみました。「テレビのインタビュー」という名目でテレビ局に来てもらった男性約80人に、控え室で待機してもらい、そこに煙を吹き込んで反応を見たのです。煙を勢いよく吹き込むと、さすがに逃げ出しますが、ゆっくり吹き込み続けると、室内に白煙が充満しても逃げない人が7割にのぼりました。また、一人よりも複数ですごしている場合、周りが無反応だとそれに引きずられ、逃げ遅れる傾向があることも分かりました。

 煙は無害ですが、少し刺激臭がします。それなのに、最後まで残った人たちは「健康によい煙だと思った」「いいにおいなのでお香かと思った」などと都合のよい受け止め方をしていました。テレビ局で、まさか火事が起こるはずはないという思い込みが、嗅覚まで鈍らせてしまったようです。


 ── いち早く避難するには、正確な情報提供も必要ですね。

 はい。韓国の地下鉄火災では、列車内で「軽い事故が発生したので車内でお待ちください」というアナウンスが流れたという証言があります。このような情報が、被害を増大させた可能性があります。


 ── 情報を提供する側は、パニックを恐れて冷静な対応を求めがちです。ですが、実際は冷静にしている場合じゃないこともありますね。

 現代社会では、災害や事故が突然ふりかかっても、大勢の人が互いに踏みつけたり、押しつぶしたりして死傷者が出るようなパニックはめったに起こらないことが分かっています。パニックを恐れるのは古い災害感に根ざした考えで、われわれは少し皮肉をこめて「パニック神話」と呼んでいます。

 逆に、パニックを恐れて正確な情報を知らせないことが、被害を増やします。米国のクラブの火災では、混乱を恐れた従業員が客に伝えた「ボヤなので心配いりません」という情報が、避難の遅れを招き、重大な結果につながってしまいました。同様のケースは数多くあります。


 ── 東日本大震災で、目立った略奪が起こらなかった日本は世界から賞賛されました。逆に言えば、世界ではパニックや略奪が頻発しているのではないですか。

 略奪がおこるかどうかは、人間心理というよりも、国の豊かさによります。大災害があっても、日本のように数日以内に食糧が届く国であれば、被災者は店から食料を奪う必要はありません。しかし政情不安定で、迅速な救援が期待できない国や地域であれば、決して勧められる行為ではありませんが、生きるために食料を奪わなければならない状況もあるでしょう。


 ── 災害直後の現場で私がこれまで目にしてきた被災者の反応は、パニックで慌てふためくというよりも、腰を抜かしたように動けない人が多いという印象です。

 凍りつき症候群ですね。人は、いきなり身に降りかかってきた災難に対し、何が起こったか分からないと凍りついてしまいます。過去に海外で起こった大津波で、津波が目前に迫っているのに、呆然と立っている人たちの写真を一度は見たことがあるのではないでしょうか。このような人たちは、とにかく急かして逃げさせないといけません。

 大災害時は、パニックが起こることが問題なのではなく、パニックが起こらないほうが問題なのです。政府や行政機関などは、パニックは神話だということを踏まえ、災害時の情報提供のあり方を見直す必要があるでしょう。

ヨミドクター 「佐藤記者の大震災報告 悲しみから復興へ」より


“避難まで30分校庭に待機” :石巻市立大川小学校

“避難まで30分校庭に待機”

6月3日 21時0分 NHK

巨大な津波によって全校児童のおよそ7割が亡くなったり、行方不明になったりしている宮城県石巻市の大川小学校で、児童らは教員に先導されて高台に避難を始めるまで、およそ30分、校庭で待機していたことが明らかになりました。津波に飲まれながら奇跡的に助かった児童がそのときの様子を語りました。
石巻市の大川小学校は2階建ての校舎を超える高さの津波に襲われ、全校児童108人のうち、68人が死亡、6人が行方不明になっており、学校や教育委員会は当時の様子について、助かった児童や教員などから聞き取り調査を進めています。これまでの調査で、地震が起きたあと、校舎内からグラウンドに出た児童らは、学校から200メートルほど離れた高台に避難を始めるまで、およそ30分待機していたことが分かりました。津波に飲まれながらも奇跡的に助かった現在6年生の只野哲也くんは、父親とともにNHKのインタビューに応じ、「先生たちはグラウンドの前でずっと話し合いをしていた。そのとき、先生は『大丈夫だからな』とか言っていた」と話しました。当時、学校には子どもを引き取るため保護者も大勢集まっていました。さらに学校は石巻市が指定する避難所になっていたため、近所の人たちが避難してきており、グラウンドではたき火の準備も始められたといいます。そして、児童らが高台に向かって移動を始めた直後に津波に襲われたということで、そのときの様子を「様子を見に行っていた教頭先生が堤防から走ってきて、もう津波来てるみたいだから早く逃げてくださいって。そこから小走りに逃げた」と話しています。このあと、津波にのまれた只野くんは学校裏の山の斜面に打ち上げられたところを、近所の人たちなどに助け出されたということです。只野くんは今回の地震で同じ学校に通っていた当時、3年生の妹と母親を亡くしています。父親の英昭さんは多くの子どもたちが犠牲になった原因を知りたいとして、ほかの保護者らとともに学校に対して地震が起きたあとの状況や学校の対応について説明を求めています。大川小学校では、4日の夕方、保護者を対象にした説明会を開いてこれまでの調査結果を説明する方針です。


なぜ大川小だけ多数被害…説明求め要望書

 東日本大震災の津波で全児童の7割近い74人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市立大川小の保護者有志が1日、同市教育委員会に対し、避難時の状況について検証し、改めて説明するよう要望書を提出した。

 要望書は、「このような惨事を二度と繰り返さないためにも、なぜ子供たちを救えなかったのかについてしっかり検証すべきだ」と訴え、津波到達までの対応や、避難場所として北上川そばの高台を選んだ経緯など5項目について説明を求めている。

 また、他の学校の例を挙げて、「校舎が津波にのみ込まれながらも安全な高台に避難させ、学校管理下の児童・生徒の命を守っている」とした。

 同小周辺には、津波が逆流した北上川に沿って、ほかにも小中学校が4校あり、計13人の児童・生徒が死亡・行方不明となった。各校や市教委によると、犠牲になったのはいずれも、学校から帰宅した後だったという。

(2011年6月2日03時03分 読売新聞)


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6月4日追記:


<東日本大震災>児童68人死亡、不備認める 大川小説明会

毎日新聞 6月4日(土)21時47分配信

<東日本大震災>児童68人死亡、不備認める 大川小説明会
説明会の会場に向かう保護者たち=宮城県石巻市の市立飯野川第一小学校で2011年6月4日、須藤唯哉撮影

 東日本大震災の津波で全校児童108人中68人が死亡、6人が行方不明となっている宮城県石巻市立大川小学校の保護者説明会が4日夜、同市内で開かれた。市教委側は、過去に津波が同小に到達したことはなく想定外だったとし、同小の避難場所が決まっていないなど避難のマニュアルに不備があったことを認めた。だが明確な謝罪はなく、出席した約70人の保護者からは「がっかりした」との声も出た。

 市教委は児童24人と教員らから聞き取り、経緯を調査。児童や教員が避難を始めたのは地震発生から約40分後の3月11日午後3時25分ごろで、津波到達はその約10分後だったことを明らかにした。

 市教委は、避難が遅れた理由を▽迎えに来た保護者への児童の引き渡し▽小学校に避難してきた地域住民への対応▽避難場所の選定--などに手間取ったためと説明。また、裏山へ避難しなかったのは「地震による倒木の恐れがある」との意見が出たためとした。お盆までをめどに、被災現場近くに慰霊碑を建立することも明らかにした。

 一方、市教委や保護者によると、多数の犠牲者が出たことに対して、出席した亀山紘市長や市教委側から「重く受け止める」などの言葉はあったものの、明確な謝罪はなかったという。

 保護者の思いはさまざまだ。長女の小晴さん(当時6年)が行方不明のままの平塚なおみさん(37)は「親身に受け止めてくれた感じがしなかった。保護者側の思いとかみ合わず、がっかりした」と残念がった。次女愛香さん(同6年)と長男悠登君(同2年)を亡くした加納美雄さん(36)は「これ以上やっても子供たちは帰ってこない。児童全員を助けようとした先生まで責めることにならないか」と複雑な胸中を語った。【須藤唯哉、津久井達、百武信幸】

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アルペン主要情報

<主要サイト>
全日本スキー連盟(SAJ)
アルペンチームジャパン
国際スキー連盟(FIS)
ナスターレース協会
日本職業スキー教師協会(SIA)
WeatherNews(スキーCH)
日本気象協会(tenki.jp)
ドラぷら
2014-2015 スキー用品カタログ

<2014-15 アルペンルール>
2014/15アルペンポイントルール日本語版
アルペン競技:各種ルール等について
SAJポイントに関する ルール等について

<2014-15 大会日程>
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全日本スキー選手権大会(苗場)
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<アルペン・マニュアル>
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<スキー理論>
米国男子ヘッドコーチインタビュー1
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岩谷高峰「トレーニングを再考する」1
岩谷高峰「トレーニングを再考する」2
岩谷高峰「トレーニングを再考する」3
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上林卓司「センターポジション」1
上林卓司「センターポジション」2
上林卓司「センターポジション」3
上林卓司「センターポジション」4

<技術解説本・DVD>
皆川賢太郎DVD
皆川賢太郎 スキー完全上達
皆川賢太郎 最速上達メソッド
浦木健太 GSテクニック
吉岡大輔 落とすGSテクニック
生田康宏 トップアルペンテクニック
竹節一夫 アルペンテクニック

<トレーニング論>
アスリート達は本当に速くなっている?
究極の鍛錬
俊敏性練習は、俊敏性を向上させるか?
「良いトレーニング、無駄なトレーニング」
「ゴールデンエイジ理論」の不思議
運動能力と遺伝、環境
筋収縮とエネルギー

<学ぶということ>
○科学的方法論
「仮説演繹法」再び。
アイスクリームを食べると、水死する?
科学的方法論のエッセンス
○学問のすすめ
米大学における多面的・総合的な評価
稲盛和夫「伸びる人、立派になる人、いらない人」
U.S. News Best Global Universities
いま注目されるリベラルアーツ教育
いちばんやさしい教える技術
人材育成の実践
新たな高等教育機関の制度化
快楽の人生、充実の人生、意味のある人生
全てリクルートから学んだ
創造性を発揮するには?
ノブレス・オブリージュ
大学入試成績と入学後の成績
修正版:博士が100人いる村
教えるということ
のめり込む力
ダニエル・ピンク:やる気に関する科学
ダン・アリエリー:仕事のやりがい
人間万事塞翁が馬:山中伸弥
人生はその時の最適解の積み重ね
量は質を生む
高い山を築くなら、裾野を大きく広げよう
最初の3年で仕事人生の大半が決まる説
根拠なき自信
ノブレス・オブリージュ
中高生のための勉強法
自分の頭で考え、勇気を持つこと。
頑張ったらご褒美があるメンタリティ
自浄作用
いじめについて
タイガーマザーと文武両道

<その他>
インプレッサ路肩から這い上がる
美味しいコーヒーの入れ方
身近なコーヒーあれこれ
スーパーで買える美味しいコーヒー
辞めたくても辞められない
外食産業が日本を滅ぼす?
シナノ:なつかし写真コンテスト
福井県立歴史博物館:昭和のくらし
解放値の計算

<大会ルール(和訳)>
FIS競技用品規格
アルペンスキー国際競技規則(2010-11)
同 決定事項及び指導事項(2010-11)
アルペンポイントルール(2010-11)

<ポイント関連>
ポイントとは?
SAJ ポイントリスト
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子供が小1の冬に家族でスキーを始め、すっかりその魅力にはまっております。小4から地元のスポーツ少年団に所属し、競技スキーを始めています。(現在中3)
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(2009年7月25日開設)


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