「美味しんぼ」論争 科学者からの反論
「美味しんぼ」論争 科学者からの反論
今更ですが、正確な記述だと思ったので引用させて頂きます。
こういう正しい論に対して、朝日新聞などは、正面から反論せず(できず?)、例えば「主婦の不安」を武器に対抗してきました。(笑)
「科学者はそんなこと言ってるけど、身の周りでは、おかしなことがたくさん起こっているじゃない」、と。
この新聞は、客観性の仮面をかぶりながら、印象操作を多用するところがあります。(ステマ的テクニックです)
登場人物に(主観的に、かわいそうな形で)語らせたりとかね。
*「私たちが言ってるんじゃないよ、みんなが言ってるんだよ」という体裁で自分の意見を押し付ける。
*自身の主張を誰かに代弁させて「私は何も言ってませんよ」的な逃げ道を確保しつつ印象操作しようとするやり方。
私なんか「またやってるよ、よく飽きずにやるなー」と思うのですが、そういう感情に訴える記事が好きな人も多いのかもしれません。
客観(過去の調査結果、基準、広範囲、多いサンプル、統計・・)に対して、主観(印象、身の回り、少ないサンプル、子供中心バイアス、陰謀論・・)で立ち向かっているわけで、話がかみ合うわけもなく、結論にたどり着くことなど永遠にできるわけもありません。
一方で、事故後3年ぐらいでがんが激増し、30年間で5千万人ががん死するとか、事故後から断言してきたわけですから、もうそろそろ被曝の影響が出てこないとおかしいんじゃないかと言うことで、少ないデータ数の調査から何十%増加とか、鼻血が周囲で多くなったとか、言っているみたいです。
でも、もう少し統計とか有意差とか勉強してからモノを言った方が良いんじゃないかと思います。
ほとんどの事例が理解不足か、科学的な経験不足でニセ科学を見分けられず、迷走しているものと思います。
次の文章をしっかり読むべきですね。
『Voice』 2014年7月号
高田純(札幌医科大学教授・理学博士)
無責任な差別表現
未曾有の地震津波に襲われた被災地が復興に向けて歩むなか、『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)掲載、雁屋哲氏原作のマンガ「美味しんぼ」が福島県民をいじめています。4月28日発売号では、現地を訪れた主人公の山岡士郎が突然、鼻血を流し、井戸川克隆元双葉町長が「私も鼻血が出ます。今度の立候補をとりやめたのは疲労感が耐え難いまでになったからです。福島では、同じ症状の人が大勢いますよ」と、鼻血の原因は放射線と仄めかす驚きの発言が飛び出しています。さらに、5月12日発売号に掲載された「福島を広域に除染しても人が住めるようにするなんてできない」という福島大学・荒木田岳准教授の無責任な差別表現も見逃せません。
急性放射線障害を引き起こす線量は、1シーベルト以上です。白血病や発がんの後障害を誘発する線量は0.2シーベルト以上です。これらは瞬時の線量であり、年単位の積算値ではありません。「美味しんぼ」で指摘されているマイクロシーベルトのマイクロはその100万分の1しかなく、急性症状も発がんなどの後障害も絶対に生じない範囲です。
レントゲン博士がX線の発見で世界最初のノーベル物理学賞を受賞し、その2年後には、マリーおよびピエール・キュリー、アンリ・ベクレルらが放射能の発見で同賞を受賞しました。これらを背景として、低線量率放射線診断であるCT(コンピュータ断層撮影)やPET診断(陽電子放出断層撮影)が発明されて、医学・医療が大きく進歩しています。
医学界では、放射線の安全利用に努めています。放射線防護学は100年以上の歴史があります。毎時1マイクロシーベルトの超低線量率や毎日1ミリシーベルト低線量率では、人体被害はありません。
福島の超低線量率放射線にリスクはないにもかかわらず、マンガ「美味しんぼ」による実害が急性に発生しました。人気観光地・飯坂温泉のある旅館では、県外の学校や団体(数百名分)が宿泊をキャンセルしたと5月13日のニュース番組(福島テレビ)で報じています。「美味しんぼ」の表現を気にした保護者からの反対が理由とのことです。医科学を逸脱し、人権問題をも引き起こした小学館は風評加害者であり、出版業の道を踏み外しているといえます。
3.11の東日本大震災で誘発された福島第一原発事故以来、国内は放射線情報で混乱しました。3年目のいま、あらためて医学物理および放射線防護学の専門家として、放射線の医科学を解説したいと思います。私は震災の翌4月以降、福島第一原発周辺を含む現地を継続的に調査してきました。併せて、現地の超低線量率の現状の真実も読者に向けてお伝えします。
(中略)
第五福竜丸の船員ですら鼻血は出なかった

2002年に、私は放射線防護学の研究成果に基づき、放射線の危険度(リスク)を判断するための「線量6段階区分」を発表しました。
6段階区分は、もっとも危険なAからまったく問題のないFまでに分かれています。AからCが危険な範囲、DからFが安全な範囲です。CとDは10倍の差があり、そのあいだは放射線の取り扱いを職業とする人たちの年間線量限度の範囲にあります(レベルD+)。職業人の線量限度は他産業のリスクと同じレベルにあると考えられています。運輸業での交通事故、医療従事者の院内感染など、どの職業にもリスクはあります。
レベルA(線量4シーベルト以上)のリスクは死亡です。チェルノブイリ黒鉛原子炉暴走事故の運転職員、東海村臨界事故時の現場職員、広島・長崎の爆発直下の市民、中国の楼蘭地表核爆発周辺住民が、レベルAの線量を受けた事例です。短時間に嘔吐し、下痢症状を示します。
レベルB(線量1~3シーベルト)では必ずしも致死リスクはないのですが、顕著な急性症状が現れます。症状は、嘔吐、めまい、皮膚熱傷、脱毛、血球数変化などです。「美味しんぼ」で描かれた鼻血が垂れる症状は、レベルBの一般的な症状ではないし、死亡した東海村のウラン燃料会社職員にも鼻血を垂らす症状はありませんでした。しかも、福島第一原発の職員のなかで急性放射線症状を示した職員は1人もいません。
昭和29(1954)年3月1日、アメリカの水爆実験海域に接近し、核の灰を浴びたマグロ漁船第五福竜丸の船員たちはレベルBに属します。彼らは、核が放射するベータ線による皮膚熱傷、脱毛、頭痛、めまいはありましたが、鼻血は出ませんでした。帰国後、売血輸血の治療が原因で23人中、17人が急性肝炎になったのです。とくに肝臓障害が重かった1人が9月に亡くなりましたが、放射線が原因で死んではいません。
私は、マーシャル諸島のロンゲラップで暮らした島民の調査を2度、1999年と2005年に実施しましたが、島民たちに急性肝炎も鼻血の症状も見られませんでした。皮膚熱傷、脱毛、血球数減少の急性症状です。64人中、一人の少年が後年、白血病で亡くなりました。線量はレベルBでした。当時レベルBだったロンゲラップの島民でさえ鼻血がないのに、レベルD以下のいまの福島で鼻血が出ることは絶対にありえません。
当時の放射能を比べると、ロンゲラップは福島の1000倍以上です。北海道がんセンターの西尾正道名誉院長の発言「放射性物質が付着した微粒子が鼻腔内に入って低線量でも鼻血が出る現象はあり、医学的根拠がある」(5月24日付『朝日新聞』)は、まったくありもしない妄想です。非科学的な風評加害は許せません。
放射線による甲状腺がんは発生しない
レベルC(線量0.1~0.9シーベルト)は無症状です。ただし、受精から15週までに瞬時にレベルCの線量を受けた妊婦の場合に、流産、奇形、精神遅滞のリスクがあるので要注意です。繰り返しますが、福島の超低線量ではこのリスクはありません。広島と長崎の被災者のなかでレベルC以上(線量0.2シーベルト以上)の生存者は、白血病、胃がん、甲状腺がん、乳がんなどの悪性腫瘍のリスクが高まりました。一方、レベルC未満のケースでは、悪性腫瘍のリスクは見られませんでした。福島県民の外部被曝はレベルDであって、レベルC以上はいません。白血病、固形がんのリスクは増加しないのです
小児の甲状腺影響の心配に対し、福島県は10メガヘルツのエコープローブ(超音波探触子)を使用して甲状腺検査を実施しています。しかも、確かな疫学調査とするために、ケース(福島県)&コントロール(他県)スタディが実施されています。平成24年度、福島県民13万4074人と県外(青森県、山梨県、長崎県)4365人の両者の甲状腺検査結果に統計的有意差はありませんでした。高分解能超音波エコーを用いた10万人規模の検査は世界でも珍しいものです。通常、100万人に一人の小児甲状腺がんとは、未検査の場合に見つかる甲状腺がんの確率であり、10万人規模の実検査で発見される確率ではありません。県内外の比較で、異常なしのA判定が99.3%(県内)に対して99.0%(県外)、二次検査の必要ありのB判定は0.7%(内)に対して1.0%(外)、直ちに二次検査の必要なC判定は0.001%(内)、に対して0.0%(外)でした。
すなわちこの疫学調査の結果は、福島の子どもたちに特別な甲状腺の異常は発生していないことを示しています。県内外で、特段の差異は見つかっていません。今回の事例は、多数の検査で、普通の生活のなかで発生するごく稀な甲状腺異常が見つかった範囲です。
加えて福島県民の甲状腺線量は35ミリシーベルト以下でした。私も、震災の翌4月に浪江町民40人、二本松市民24人、飯舘村民2人の計66人を検査した結果、最大の人でも8ミリシーベルトでした。この値は、チェルノブイリ事故周辺住民の最大線量50シーベルトの1000分の1以下しかありません。
チェルノブイリと同じリスク係数を当てはめても、放射線由来の小児甲状腺がん年間発生リスクが1000万人に1人以下と予測されます。すなわち、放射線による甲状腺がんは福島県で発生しない、と判断できます。
福島県の親御さん、心配無用です。
政府の誤推定では未来永劫、浪江町に帰れない
私は先述のように、東日本大震災の翌4月8~10日に福島県民の放射線衛生を調査しました。浪江町民から、残してきた牛たちを見てきてほしいといわれ、末の森に行きました。一人で畑の放射能測定をしていたら、遠くにいた20頭ほどの黒毛和牛たちが集まってきました。飼い主たちがいなくて淋しかったのでしょう。そのなかで下痢や脱毛など、急性放射線障害を示す牛は一頭もいませんでした。これは低線量率の証拠です。現地では、牧畜家の元浪江町議会議長の山本幸男さんに偶然出会いました。それ以来、牛たちの放射線衛生調査を継続しています。最大の悲劇は、政府による非道な殺処分です。牛3500頭、豚3万頭、ニワトリ44万羽、馬100頭が犠牲になりました。民主党政権から始まった風評加害事件はまるで中世の魔女狩りです。
誤解されるようですが、放射能は伝染病ではありません。放射能は弱まり、消滅する法則があります。半減期が短い核種ほど強い放射線を出しますが、最初に消滅します。半減期が約8日間の放射性ヨウ素は、すでに消滅しています。大気中および体内のセシウムも3年たったいまでは大幅に減少しています。
福島第一原発の境界敷地でも2日間の測定をしました。胸に装着する個人線量計で積算線量を確認すると、0.1ミリシーベルト。震災元年4月の2泊3日の現地調査では1日当たり0.05ミリシーベルトです。この低線量率は危険でないので、私は持参していた防護服とマスクを着用しませんでした。もちろん当日、私に鼻血はなく、脱毛もなく、いまも髪はフサフサです。
2年目の3月に、政府が年間50ミリシーベルトを超えると断定し、帰還困難区域と指定した浪江町末の森にある山本さんの自宅で、2泊3日の調査を行ないました。すると1日の実線量は0.05ミリシーベルト、年間17ミリシーベルトだったのです。政府の調査は畑での空間線量率を測り計算しているので、3倍くらいの過大の線量評価になっています。政府の誤った線量推定では未来永劫、浪江町には帰還できません。この地は政府が放置し、まったく除染がされていないのです。放牧地と自宅周辺の除染をすれば、すぐに年間5ミリシーベルト以下に改善できます。
5月14日、日本人初の国際宇宙ステーション船長を務めた若田光一さんが、半年ぶりに、ソユーズ宇宙船でカザフスタンの草原に帰還しました。そのときの映像をテレビで観ましたが、彼は至って元気そうでした。もちろん、鼻血は垂れていません。宇宙飛行士が、国際宇宙ステーション内で受ける線量率は1日1ミリシーベルトです。この線量率は、地表の平均値の30~300倍です。今回の若田さんの場合は188ミリシーベルトになります。
私の調査グループは、宇宙飛行士522人の線量と死因を調査しています。522人の宇宙飛行士とアメリカの一般人の死因を比べて、特段の違いは見つかっていません。月面着陸したアームストロング船長は2012年8月に、82歳でこの世を去りましたが、アメリカ人の平均寿命79歳よりも3年長く生きました。
生命にとって、受けるエネルギーは総量よりも毎日の量がとくに重要です。放射線でいえば、1日当たりのエネルギー=線量・線量率(ミリシーベルト/日)です。生命活動は休みなく持続し、細胞に寿命があって再生されているからです。たとえば、白血球であれば3~5日、小腸栄養吸収細胞が24時間です。だから、各細胞が受けたエネルギーは蓄積しません。宇宙飛行士が健康を維持している理由がここにあります。
震災から3年たったいま、福島県民の多くは、セシウムによる線量は年間1ミリシーベルト程度か、それ以下です。これは、食品摂取による体内セシウムも含めての値です。線量率は宇宙飛行士の300分の1程度で、健康被害のリスクはまったくありません。食品流通の目的で農地や放牧地さえ除染すれば、20km圏内の産業も再建できます。
昭和20(1945)年8月、広島は70年間、草木が生えないといわれました。しかし同年10月には、市内電車も全線再開し、人たちも少しずつ戻ってきました。翌年には市内で農作物が収穫できていますし、広島市の女性の平均寿命は日本一に輝いたこともあります(86.3歳、2005年)。当然、福島県は完全に復興できます。
さらば迷信、こんにちは科学。
今更ですが、正確な記述だと思ったので引用させて頂きます。
こういう正しい論に対して、朝日新聞などは、正面から反論せず(できず?)、例えば「主婦の不安」を武器に対抗してきました。(笑)
「科学者はそんなこと言ってるけど、身の周りでは、おかしなことがたくさん起こっているじゃない」、と。
この新聞は、客観性の仮面をかぶりながら、印象操作を多用するところがあります。(ステマ的テクニックです)
登場人物に(主観的に、かわいそうな形で)語らせたりとかね。
*「私たちが言ってるんじゃないよ、みんなが言ってるんだよ」という体裁で自分の意見を押し付ける。
*自身の主張を誰かに代弁させて「私は何も言ってませんよ」的な逃げ道を確保しつつ印象操作しようとするやり方。
私なんか「またやってるよ、よく飽きずにやるなー」と思うのですが、そういう感情に訴える記事が好きな人も多いのかもしれません。
客観(過去の調査結果、基準、広範囲、多いサンプル、統計・・)に対して、主観(印象、身の回り、少ないサンプル、子供中心バイアス、陰謀論・・)で立ち向かっているわけで、話がかみ合うわけもなく、結論にたどり着くことなど永遠にできるわけもありません。
一方で、事故後3年ぐらいでがんが激増し、30年間で5千万人ががん死するとか、事故後から断言してきたわけですから、もうそろそろ被曝の影響が出てこないとおかしいんじゃないかと言うことで、少ないデータ数の調査から何十%増加とか、鼻血が周囲で多くなったとか、言っているみたいです。
でも、もう少し統計とか有意差とか勉強してからモノを言った方が良いんじゃないかと思います。
ほとんどの事例が理解不足か、科学的な経験不足でニセ科学を見分けられず、迷走しているものと思います。
次の文章をしっかり読むべきですね。
『Voice』 2014年7月号
高田純(札幌医科大学教授・理学博士)
無責任な差別表現
未曾有の地震津波に襲われた被災地が復興に向けて歩むなか、『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)掲載、雁屋哲氏原作のマンガ「美味しんぼ」が福島県民をいじめています。4月28日発売号では、現地を訪れた主人公の山岡士郎が突然、鼻血を流し、井戸川克隆元双葉町長が「私も鼻血が出ます。今度の立候補をとりやめたのは疲労感が耐え難いまでになったからです。福島では、同じ症状の人が大勢いますよ」と、鼻血の原因は放射線と仄めかす驚きの発言が飛び出しています。さらに、5月12日発売号に掲載された「福島を広域に除染しても人が住めるようにするなんてできない」という福島大学・荒木田岳准教授の無責任な差別表現も見逃せません。
急性放射線障害を引き起こす線量は、1シーベルト以上です。白血病や発がんの後障害を誘発する線量は0.2シーベルト以上です。これらは瞬時の線量であり、年単位の積算値ではありません。「美味しんぼ」で指摘されているマイクロシーベルトのマイクロはその100万分の1しかなく、急性症状も発がんなどの後障害も絶対に生じない範囲です。
レントゲン博士がX線の発見で世界最初のノーベル物理学賞を受賞し、その2年後には、マリーおよびピエール・キュリー、アンリ・ベクレルらが放射能の発見で同賞を受賞しました。これらを背景として、低線量率放射線診断であるCT(コンピュータ断層撮影)やPET診断(陽電子放出断層撮影)が発明されて、医学・医療が大きく進歩しています。
医学界では、放射線の安全利用に努めています。放射線防護学は100年以上の歴史があります。毎時1マイクロシーベルトの超低線量率や毎日1ミリシーベルト低線量率では、人体被害はありません。
福島の超低線量率放射線にリスクはないにもかかわらず、マンガ「美味しんぼ」による実害が急性に発生しました。人気観光地・飯坂温泉のある旅館では、県外の学校や団体(数百名分)が宿泊をキャンセルしたと5月13日のニュース番組(福島テレビ)で報じています。「美味しんぼ」の表現を気にした保護者からの反対が理由とのことです。医科学を逸脱し、人権問題をも引き起こした小学館は風評加害者であり、出版業の道を踏み外しているといえます。
3.11の東日本大震災で誘発された福島第一原発事故以来、国内は放射線情報で混乱しました。3年目のいま、あらためて医学物理および放射線防護学の専門家として、放射線の医科学を解説したいと思います。私は震災の翌4月以降、福島第一原発周辺を含む現地を継続的に調査してきました。併せて、現地の超低線量率の現状の真実も読者に向けてお伝えします。
(中略)
第五福竜丸の船員ですら鼻血は出なかった

2002年に、私は放射線防護学の研究成果に基づき、放射線の危険度(リスク)を判断するための「線量6段階区分」を発表しました。
6段階区分は、もっとも危険なAからまったく問題のないFまでに分かれています。AからCが危険な範囲、DからFが安全な範囲です。CとDは10倍の差があり、そのあいだは放射線の取り扱いを職業とする人たちの年間線量限度の範囲にあります(レベルD+)。職業人の線量限度は他産業のリスクと同じレベルにあると考えられています。運輸業での交通事故、医療従事者の院内感染など、どの職業にもリスクはあります。
レベルA(線量4シーベルト以上)のリスクは死亡です。チェルノブイリ黒鉛原子炉暴走事故の運転職員、東海村臨界事故時の現場職員、広島・長崎の爆発直下の市民、中国の楼蘭地表核爆発周辺住民が、レベルAの線量を受けた事例です。短時間に嘔吐し、下痢症状を示します。
レベルB(線量1~3シーベルト)では必ずしも致死リスクはないのですが、顕著な急性症状が現れます。症状は、嘔吐、めまい、皮膚熱傷、脱毛、血球数変化などです。「美味しんぼ」で描かれた鼻血が垂れる症状は、レベルBの一般的な症状ではないし、死亡した東海村のウラン燃料会社職員にも鼻血を垂らす症状はありませんでした。しかも、福島第一原発の職員のなかで急性放射線症状を示した職員は1人もいません。
昭和29(1954)年3月1日、アメリカの水爆実験海域に接近し、核の灰を浴びたマグロ漁船第五福竜丸の船員たちはレベルBに属します。彼らは、核が放射するベータ線による皮膚熱傷、脱毛、頭痛、めまいはありましたが、鼻血は出ませんでした。帰国後、売血輸血の治療が原因で23人中、17人が急性肝炎になったのです。とくに肝臓障害が重かった1人が9月に亡くなりましたが、放射線が原因で死んではいません。
私は、マーシャル諸島のロンゲラップで暮らした島民の調査を2度、1999年と2005年に実施しましたが、島民たちに急性肝炎も鼻血の症状も見られませんでした。皮膚熱傷、脱毛、血球数減少の急性症状です。64人中、一人の少年が後年、白血病で亡くなりました。線量はレベルBでした。当時レベルBだったロンゲラップの島民でさえ鼻血がないのに、レベルD以下のいまの福島で鼻血が出ることは絶対にありえません。
当時の放射能を比べると、ロンゲラップは福島の1000倍以上です。北海道がんセンターの西尾正道名誉院長の発言「放射性物質が付着した微粒子が鼻腔内に入って低線量でも鼻血が出る現象はあり、医学的根拠がある」(5月24日付『朝日新聞』)は、まったくありもしない妄想です。非科学的な風評加害は許せません。
放射線による甲状腺がんは発生しない
レベルC(線量0.1~0.9シーベルト)は無症状です。ただし、受精から15週までに瞬時にレベルCの線量を受けた妊婦の場合に、流産、奇形、精神遅滞のリスクがあるので要注意です。繰り返しますが、福島の超低線量ではこのリスクはありません。広島と長崎の被災者のなかでレベルC以上(線量0.2シーベルト以上)の生存者は、白血病、胃がん、甲状腺がん、乳がんなどの悪性腫瘍のリスクが高まりました。一方、レベルC未満のケースでは、悪性腫瘍のリスクは見られませんでした。福島県民の外部被曝はレベルDであって、レベルC以上はいません。白血病、固形がんのリスクは増加しないのです
小児の甲状腺影響の心配に対し、福島県は10メガヘルツのエコープローブ(超音波探触子)を使用して甲状腺検査を実施しています。しかも、確かな疫学調査とするために、ケース(福島県)&コントロール(他県)スタディが実施されています。平成24年度、福島県民13万4074人と県外(青森県、山梨県、長崎県)4365人の両者の甲状腺検査結果に統計的有意差はありませんでした。高分解能超音波エコーを用いた10万人規模の検査は世界でも珍しいものです。通常、100万人に一人の小児甲状腺がんとは、未検査の場合に見つかる甲状腺がんの確率であり、10万人規模の実検査で発見される確率ではありません。県内外の比較で、異常なしのA判定が99.3%(県内)に対して99.0%(県外)、二次検査の必要ありのB判定は0.7%(内)に対して1.0%(外)、直ちに二次検査の必要なC判定は0.001%(内)、に対して0.0%(外)でした。
すなわちこの疫学調査の結果は、福島の子どもたちに特別な甲状腺の異常は発生していないことを示しています。県内外で、特段の差異は見つかっていません。今回の事例は、多数の検査で、普通の生活のなかで発生するごく稀な甲状腺異常が見つかった範囲です。
加えて福島県民の甲状腺線量は35ミリシーベルト以下でした。私も、震災の翌4月に浪江町民40人、二本松市民24人、飯舘村民2人の計66人を検査した結果、最大の人でも8ミリシーベルトでした。この値は、チェルノブイリ事故周辺住民の最大線量50シーベルトの1000分の1以下しかありません。
チェルノブイリと同じリスク係数を当てはめても、放射線由来の小児甲状腺がん年間発生リスクが1000万人に1人以下と予測されます。すなわち、放射線による甲状腺がんは福島県で発生しない、と判断できます。
福島県の親御さん、心配無用です。
政府の誤推定では未来永劫、浪江町に帰れない
私は先述のように、東日本大震災の翌4月8~10日に福島県民の放射線衛生を調査しました。浪江町民から、残してきた牛たちを見てきてほしいといわれ、末の森に行きました。一人で畑の放射能測定をしていたら、遠くにいた20頭ほどの黒毛和牛たちが集まってきました。飼い主たちがいなくて淋しかったのでしょう。そのなかで下痢や脱毛など、急性放射線障害を示す牛は一頭もいませんでした。これは低線量率の証拠です。現地では、牧畜家の元浪江町議会議長の山本幸男さんに偶然出会いました。それ以来、牛たちの放射線衛生調査を継続しています。最大の悲劇は、政府による非道な殺処分です。牛3500頭、豚3万頭、ニワトリ44万羽、馬100頭が犠牲になりました。民主党政権から始まった風評加害事件はまるで中世の魔女狩りです。
誤解されるようですが、放射能は伝染病ではありません。放射能は弱まり、消滅する法則があります。半減期が短い核種ほど強い放射線を出しますが、最初に消滅します。半減期が約8日間の放射性ヨウ素は、すでに消滅しています。大気中および体内のセシウムも3年たったいまでは大幅に減少しています。
福島第一原発の境界敷地でも2日間の測定をしました。胸に装着する個人線量計で積算線量を確認すると、0.1ミリシーベルト。震災元年4月の2泊3日の現地調査では1日当たり0.05ミリシーベルトです。この低線量率は危険でないので、私は持参していた防護服とマスクを着用しませんでした。もちろん当日、私に鼻血はなく、脱毛もなく、いまも髪はフサフサです。
2年目の3月に、政府が年間50ミリシーベルトを超えると断定し、帰還困難区域と指定した浪江町末の森にある山本さんの自宅で、2泊3日の調査を行ないました。すると1日の実線量は0.05ミリシーベルト、年間17ミリシーベルトだったのです。政府の調査は畑での空間線量率を測り計算しているので、3倍くらいの過大の線量評価になっています。政府の誤った線量推定では未来永劫、浪江町には帰還できません。この地は政府が放置し、まったく除染がされていないのです。放牧地と自宅周辺の除染をすれば、すぐに年間5ミリシーベルト以下に改善できます。
5月14日、日本人初の国際宇宙ステーション船長を務めた若田光一さんが、半年ぶりに、ソユーズ宇宙船でカザフスタンの草原に帰還しました。そのときの映像をテレビで観ましたが、彼は至って元気そうでした。もちろん、鼻血は垂れていません。宇宙飛行士が、国際宇宙ステーション内で受ける線量率は1日1ミリシーベルトです。この線量率は、地表の平均値の30~300倍です。今回の若田さんの場合は188ミリシーベルトになります。
私の調査グループは、宇宙飛行士522人の線量と死因を調査しています。522人の宇宙飛行士とアメリカの一般人の死因を比べて、特段の違いは見つかっていません。月面着陸したアームストロング船長は2012年8月に、82歳でこの世を去りましたが、アメリカ人の平均寿命79歳よりも3年長く生きました。
生命にとって、受けるエネルギーは総量よりも毎日の量がとくに重要です。放射線でいえば、1日当たりのエネルギー=線量・線量率(ミリシーベルト/日)です。生命活動は休みなく持続し、細胞に寿命があって再生されているからです。たとえば、白血球であれば3~5日、小腸栄養吸収細胞が24時間です。だから、各細胞が受けたエネルギーは蓄積しません。宇宙飛行士が健康を維持している理由がここにあります。
震災から3年たったいま、福島県民の多くは、セシウムによる線量は年間1ミリシーベルト程度か、それ以下です。これは、食品摂取による体内セシウムも含めての値です。線量率は宇宙飛行士の300分の1程度で、健康被害のリスクはまったくありません。食品流通の目的で農地や放牧地さえ除染すれば、20km圏内の産業も再建できます。
昭和20(1945)年8月、広島は70年間、草木が生えないといわれました。しかし同年10月には、市内電車も全線再開し、人たちも少しずつ戻ってきました。翌年には市内で農作物が収穫できていますし、広島市の女性の平均寿命は日本一に輝いたこともあります(86.3歳、2005年)。当然、福島県は完全に復興できます。
さらば迷信、こんにちは科学。
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小中学生は検出限界以下に抑えられている
小中学生は検出限界以下に抑えられている
坪倉正治 (つぼくら・まさはる)
今年の5月から8月にかけて南相馬市で行われた、学校検診としてのホールボディーカウンター(WBC)検査の結果が公表されました。第61回で紹介したものです。
南相馬市内の小中学校に通う全ての生徒約3000人を対象に行われました。
計測の方法は今まで通りの2分間。小学生は南相馬市立病院で、中学生は渡辺病院で検査を行いました。検出限界はセシウム134で220Bq/body、セシウム137で250Bq/bodyで設定されています。
結果としては、全員が検出限界以下であることが分かりました。そりゃそうだと思うかもしれませんが、現状の日常生活での慢性的な内部被曝が非常に低く抑えられており、かつそれが維持されている。現状、スーパーで食品を購入して生活する分において、大きな内部被曝をすることが無い。これを強く裏付ける結果です。
南相馬市において小学生の99.9%、中学生の96.6%が受診しています。ほぼ悉皆調査となっており、バイアスや気をつけている人しか検査に来ていないという話を否定できる結果でもあります。
多くの方には目新しい結果では無いかもしれません。実際、メディアの方でも、だから何なのですか?もうそんなもんでしょう。とおっしゃる方もいらっしゃいました。
検査の結果としては確かに、今までの結果とは変わりませんが、今回の結果は別の部分で大きな意味を持っていると思っています。それは、南相馬市全体として、しっかり小中学生全員の検査を行うことができたという点です。本当にみなで力を合わせた結果です。
以下略。続きは、こちら。
南相馬に住んでいても、普通にスーパーで買った食品を食べている限り、内部被曝は検出限界以下ということですね。
野生の動植物や自家栽培の作物を(チェックなしに)食べ続けない限り、問題はないのだと思います。
食品の検査態勢が、機能しているのだと思います。(といっても、基準値を超えているような食品自体がほとんどないと思いますが)
汚染した草を食べた牛のミルクを住民が飲み続けた結果、甲状腺障害が出たチェルノブイリとは大きく違うところです。
でも、いくら何を言っても信じない人が多いようです。
ご用医師だとか、○○の陰謀だとか、データを隠している、ねつ造している、こういうデータがあるだろう(と胡散臭い論文・調査結果を出してくる)、今は良くても10年後には絶対にがんが増える、など。
ノイローゼとしかいいようがありません。(笑)
汚染水だって、騒ぎすぎですよ。
貯蔵しきれないのなら、(除去できる放射性核種は除いた上で、法の制限内で)薄めて流せば良いんです。
何の影響も出ませんよ。
10年後、20年後に、がんが有意に増えるなど、あり得ません。
参考:
外部の視点から、事故の問題を考える
筆者は海外専門家の視点は意義深いものと考える。日本では福島原発事故後の混乱によって、政府、東電、そして原子力専門家の信頼が失墜した。そのために、事故処理についてメディア、そして自称専門家が好き勝手なことを言う「百家争鳴」状態になっている。
その中には、過度に危険を煽ったり、政府・東電を誤った情報で批判したりする偏向したものも多い。もちろん、この事故は重大なものだが、健康被害が広がるという意味での「危機」は起きていない。
これは多様な意見を示すメリットがある半面、多すぎる情報による世論の動揺や事故の当事者に誤った情報で影響を与える可能性というデメリットもある。客観性を保ち、専門性のある海外のプロの視点は、問題を考えるどの立場の人も必要な情報であろう。こうした意味のある情報の流通は促進されるべきだ。
追記:
子どもの内部被ばく「ゼロ」 研究チーム、住民ら3万人調査
東京大などの研究チームは10日、東京電力福島第1原発事故を受け、福島県の住民や県外に避難した住民ら約3万3千人の内部被ばくを調べた結果、2012年3月以降は体内から放射性セシウムが検出された人の割合は全体の1%程度で、同5月以降では15歳以下の子ども約1万人からは1人も検出されなかったと発表した。
チームの早野龍五東大教授は「チェルノブイリ原発事故と比べ、福島県では慢性的な内部被ばくが非常に低いことが示された。市場での食品検査が有効に働いているのでは」としている。
2013/04/11 00:00 【共同通信】
坪倉正治 (つぼくら・まさはる)
今年の5月から8月にかけて南相馬市で行われた、学校検診としてのホールボディーカウンター(WBC)検査の結果が公表されました。第61回で紹介したものです。
南相馬市内の小中学校に通う全ての生徒約3000人を対象に行われました。
計測の方法は今まで通りの2分間。小学生は南相馬市立病院で、中学生は渡辺病院で検査を行いました。検出限界はセシウム134で220Bq/body、セシウム137で250Bq/bodyで設定されています。
結果としては、全員が検出限界以下であることが分かりました。そりゃそうだと思うかもしれませんが、現状の日常生活での慢性的な内部被曝が非常に低く抑えられており、かつそれが維持されている。現状、スーパーで食品を購入して生活する分において、大きな内部被曝をすることが無い。これを強く裏付ける結果です。
南相馬市において小学生の99.9%、中学生の96.6%が受診しています。ほぼ悉皆調査となっており、バイアスや気をつけている人しか検査に来ていないという話を否定できる結果でもあります。
多くの方には目新しい結果では無いかもしれません。実際、メディアの方でも、だから何なのですか?もうそんなもんでしょう。とおっしゃる方もいらっしゃいました。
検査の結果としては確かに、今までの結果とは変わりませんが、今回の結果は別の部分で大きな意味を持っていると思っています。それは、南相馬市全体として、しっかり小中学生全員の検査を行うことができたという点です。本当にみなで力を合わせた結果です。
以下略。続きは、こちら。
南相馬に住んでいても、普通にスーパーで買った食品を食べている限り、内部被曝は検出限界以下ということですね。
野生の動植物や自家栽培の作物を(チェックなしに)食べ続けない限り、問題はないのだと思います。
食品の検査態勢が、機能しているのだと思います。(といっても、基準値を超えているような食品自体がほとんどないと思いますが)
汚染した草を食べた牛のミルクを住民が飲み続けた結果、甲状腺障害が出たチェルノブイリとは大きく違うところです。
でも、いくら何を言っても信じない人が多いようです。
ご用医師だとか、○○の陰謀だとか、データを隠している、ねつ造している、こういうデータがあるだろう(と胡散臭い論文・調査結果を出してくる)、今は良くても10年後には絶対にがんが増える、など。
ノイローゼとしかいいようがありません。(笑)
汚染水だって、騒ぎすぎですよ。
貯蔵しきれないのなら、(除去できる放射性核種は除いた上で、法の制限内で)薄めて流せば良いんです。
何の影響も出ませんよ。
10年後、20年後に、がんが有意に増えるなど、あり得ません。
参考:
外部の視点から、事故の問題を考える
筆者は海外専門家の視点は意義深いものと考える。日本では福島原発事故後の混乱によって、政府、東電、そして原子力専門家の信頼が失墜した。そのために、事故処理についてメディア、そして自称専門家が好き勝手なことを言う「百家争鳴」状態になっている。
その中には、過度に危険を煽ったり、政府・東電を誤った情報で批判したりする偏向したものも多い。もちろん、この事故は重大なものだが、健康被害が広がるという意味での「危機」は起きていない。
これは多様な意見を示すメリットがある半面、多すぎる情報による世論の動揺や事故の当事者に誤った情報で影響を与える可能性というデメリットもある。客観性を保ち、専門性のある海外のプロの視点は、問題を考えるどの立場の人も必要な情報であろう。こうした意味のある情報の流通は促進されるべきだ。
追記:
子どもの内部被ばく「ゼロ」 研究チーム、住民ら3万人調査
東京大などの研究チームは10日、東京電力福島第1原発事故を受け、福島県の住民や県外に避難した住民ら約3万3千人の内部被ばくを調べた結果、2012年3月以降は体内から放射性セシウムが検出された人の割合は全体の1%程度で、同5月以降では15歳以下の子ども約1万人からは1人も検出されなかったと発表した。
チームの早野龍五東大教授は「チェルノブイリ原発事故と比べ、福島県では慢性的な内部被ばくが非常に低いことが示された。市場での食品検査が有効に働いているのでは」としている。
2013/04/11 00:00 【共同通信】
放射能を話題にする際の説得力とは - 植之原 雄二
放射能を話題にする際の説得力とは - 植之原 雄二
抜粋です。原文は、こちら。
福島原発事故は想定外で、皆が大混乱し、玉石混交の情報が大量に出回った。次の見方は不謹慎かもしれないが、これまでにない画期的商品が特許出願もなく発表されたようなもので、それに乗じて粗悪品も大量に出回ったようなものともいえる。
(中略)
しかし、放射能は、食品等から放射性物質を摂取することによる内部被曝があり、日本国民ならず諸外国民も直接的利害がからむ。どうでもよいでは済まされない。内部被曝を避けるために今日の食材について真剣に検討するのも一概に笑えない。したがって、なかなか賞味期限が過ぎないのである。
アゴラで紹介されている記事は、放射能や原子力の専門家でなくても科学技術に通じている人であれば、異議をはさむとは思えないが、国民の多くは必ずしも科学技術に精通しているわけではない。一読すればなるほどと思っても、「教授」とか「医師」といった肩書きがあり、見るからにエリート然とした人がマスコミを通じて異を唱えれば、疑心暗鬼とならざるをえない。
(中略)
教授だ、医師だといっても、教授も色々、医師も色々で、専門外なのにわかったようなことを言う人も多い。このような人たちのなかには、「自分で測定した。」と専門家面するから始末におえない。己の経験を強調しすぎる人は要注意である。過度に偏った経験であれば、無いほうがましである。サーベイメータの読み値だけで被曝線量がわかるほど放射線計測は甘いものではない。
簡易システムでの測定が悪いわけではない。システムが簡易であればあるほど、結果の解釈には高度な専門知識と経験が必要となる。自信をもって主張するからには、本人でなくてもスタッフに高度な専門家が必要である。本来なら、専門性の高いスタッフを強調するはずであるが、そんな気配も感じられない。
一般国民は、放射線測定の難しさを適確に認識できるはずもない。大部分はアカデミズム等と無縁だから、あの教授や医師は信用できない、と意地を張りすぎると、「お前ごときが何を言う」とかえって周囲の反発を招く。常識的な一般国民は、忸怩たる思いをしなければならないだろう。
(中略)
放射能については、放射線取扱主任者試験がある。自分の受験経験と照らしあわせれば、論者の経歴等から、論者が合格できるかどうかは十分判断できる。放射線取扱主任者試験に合格できそうもない人たちの論評であれば、今日の食材選びといった具体的な決断の材料にするには、あまりにもばかばかしい限りである。
放射線障害防止法では、放射性同元素の使用・製造・廃棄業者は従業員の被曝管理責任者として事業所に一人の放射線取扱主任者を選任しなければならない。放射線取扱主任者の需用は使用施設(病院等)が多いので、診療放射線技師(いわゆるレントゲン技師)と混同されることもあるが全く別物である。
放射線取扱主任者は、原子力規制委員会が免状を発行する資格で、第一種から第三種までの3種類ある。第一種が全てを網羅するので、以降、ここでは特に断らないかぎり、放射線取扱主任者とは第一種のことである。
放射線取扱主任者になるには(財)原子力安全技術センターが主催する放射線取扱主任者試験に合格した後、所定の研修を受けて免状が交付される。免状が交付されて放射線取扱主任者となることができる。
(中略)
科目は、物理・化学・生物・管理測定技術・法令の5科目で、これらの科目の平均で6割以上、科目の最低得点が5割以上であれば、合格となる。
受験の統計データも公開されている。受験者は毎年3000人から4000人程で、合格率は約20%から30%である。毎年1000人ほどの合格者が出ている。
合格するには物理・化学・生物・数学の基礎知識が必要であるが、高校レベルの知識で解けるように問題を作ってある。現役高校生の合格実績もある。とはいえ、常識で解答できるようなものではない。過去問と回答も公開されているので、一見するとわかる。
大昔はいざ知らず、今では、合格者は放射能のエキスパートになることができると認められたにすぎず、ゴールではなくスタートにすぎない。したがって、この試験に合格すらしていない人が、放射能の害を他人に啓蒙しようとすることは、滑稽極まりないのは言うまでもない。
(中略)
放射能の専門家であれば1ヶ月程度の準備期間で1発合格しないものではないが、試験は水物である。自分の苦手分野は、誰でもてこずる。それでも2回、実力はあっても要領が悪くツキもない人でも、3回受験すれば合格するであろう。
ちなみに、問題と答えは、こちら。
腕試しにいかが?
抜粋です。原文は、こちら。
福島原発事故は想定外で、皆が大混乱し、玉石混交の情報が大量に出回った。次の見方は不謹慎かもしれないが、これまでにない画期的商品が特許出願もなく発表されたようなもので、それに乗じて粗悪品も大量に出回ったようなものともいえる。
(中略)
しかし、放射能は、食品等から放射性物質を摂取することによる内部被曝があり、日本国民ならず諸外国民も直接的利害がからむ。どうでもよいでは済まされない。内部被曝を避けるために今日の食材について真剣に検討するのも一概に笑えない。したがって、なかなか賞味期限が過ぎないのである。
アゴラで紹介されている記事は、放射能や原子力の専門家でなくても科学技術に通じている人であれば、異議をはさむとは思えないが、国民の多くは必ずしも科学技術に精通しているわけではない。一読すればなるほどと思っても、「教授」とか「医師」といった肩書きがあり、見るからにエリート然とした人がマスコミを通じて異を唱えれば、疑心暗鬼とならざるをえない。
(中略)
教授だ、医師だといっても、教授も色々、医師も色々で、専門外なのにわかったようなことを言う人も多い。このような人たちのなかには、「自分で測定した。」と専門家面するから始末におえない。己の経験を強調しすぎる人は要注意である。過度に偏った経験であれば、無いほうがましである。サーベイメータの読み値だけで被曝線量がわかるほど放射線計測は甘いものではない。
簡易システムでの測定が悪いわけではない。システムが簡易であればあるほど、結果の解釈には高度な専門知識と経験が必要となる。自信をもって主張するからには、本人でなくてもスタッフに高度な専門家が必要である。本来なら、専門性の高いスタッフを強調するはずであるが、そんな気配も感じられない。
一般国民は、放射線測定の難しさを適確に認識できるはずもない。大部分はアカデミズム等と無縁だから、あの教授や医師は信用できない、と意地を張りすぎると、「お前ごときが何を言う」とかえって周囲の反発を招く。常識的な一般国民は、忸怩たる思いをしなければならないだろう。
(中略)
放射能については、放射線取扱主任者試験がある。自分の受験経験と照らしあわせれば、論者の経歴等から、論者が合格できるかどうかは十分判断できる。放射線取扱主任者試験に合格できそうもない人たちの論評であれば、今日の食材選びといった具体的な決断の材料にするには、あまりにもばかばかしい限りである。
放射線障害防止法では、放射性同元素の使用・製造・廃棄業者は従業員の被曝管理責任者として事業所に一人の放射線取扱主任者を選任しなければならない。放射線取扱主任者の需用は使用施設(病院等)が多いので、診療放射線技師(いわゆるレントゲン技師)と混同されることもあるが全く別物である。
放射線取扱主任者は、原子力規制委員会が免状を発行する資格で、第一種から第三種までの3種類ある。第一種が全てを網羅するので、以降、ここでは特に断らないかぎり、放射線取扱主任者とは第一種のことである。
放射線取扱主任者になるには(財)原子力安全技術センターが主催する放射線取扱主任者試験に合格した後、所定の研修を受けて免状が交付される。免状が交付されて放射線取扱主任者となることができる。
(中略)
科目は、物理・化学・生物・管理測定技術・法令の5科目で、これらの科目の平均で6割以上、科目の最低得点が5割以上であれば、合格となる。
受験の統計データも公開されている。受験者は毎年3000人から4000人程で、合格率は約20%から30%である。毎年1000人ほどの合格者が出ている。
合格するには物理・化学・生物・数学の基礎知識が必要であるが、高校レベルの知識で解けるように問題を作ってある。現役高校生の合格実績もある。とはいえ、常識で解答できるようなものではない。過去問と回答も公開されているので、一見するとわかる。
大昔はいざ知らず、今では、合格者は放射能のエキスパートになることができると認められたにすぎず、ゴールではなくスタートにすぎない。したがって、この試験に合格すらしていない人が、放射能の害を他人に啓蒙しようとすることは、滑稽極まりないのは言うまでもない。
(中略)
放射能の専門家であれば1ヶ月程度の準備期間で1発合格しないものではないが、試験は水物である。自分の苦手分野は、誰でもてこずる。それでも2回、実力はあっても要領が悪くツキもない人でも、3回受験すれば合格するであろう。
ちなみに、問題と答えは、こちら。
腕試しにいかが?
<参院選>「原発」ツイート数が突出して多い原因は
<参院選>「原発」ツイート数が突出して多い原因は
毎日新聞 7月8日(月)21時32分配信
毎日新聞と立命館大(西田亮介特別招聘=しょうへい=准教授)はネット選挙共同研究の一環として、ツイッター上でつぶやかれる政策関連語のうち「原発」の投稿(ツイート)数が突出して多い原因を探った。参院選が公示された7月4日のツイートを分析したところ、他者のツイートを転送・引用するリツイート(RT)機能によって拡散する度合いが大きく、特定のツイッター利用者が集中的にRTしていることが確認された。
(中略)
◇西田准教授の話
ツイッターでは原発に代表されるように、多様な論点を含み一義的に解答を出しにくい政策課題に話題が集中する傾向がある。特定のネットユーザーのコミュニケーションがツイッター上で可視化されていると言うべきで、ツイート数自体が「世論」を映し出しているものではないことが世論調査との比較で明らかになったと思う。独自のつぶやきを発信する利用者も、利用者全体から見るとさほど多くはない。ツイッター上の話題からネット上の「世論」を探るという考え方自体が間違っているのかもしれない。


原文は、こちら。
「「原発」に関心を持つ個人や団体など特定の層がRTを繰り返し、オリジナルの3倍にツイート数が膨らんだことがうかがわれる。」という分析は、たぶん当たっていると思います。
いわゆる「放射脳」の人たちが、プロパガンダの手段として使っているのでしょうね。
事故後の感情論の渦の中で、一時的に(ネットで)支配的になりましたが、現在は、多数の関心が薄れ、少数者が大量に発信(リツイート)している状況なのだと思います。
面白い分析です。
世論との解離がどのようなテーマで起こりやすいか調べることで、もう少し実態がはっきりしてくると思います。
毎日新聞 7月8日(月)21時32分配信
毎日新聞と立命館大(西田亮介特別招聘=しょうへい=准教授)はネット選挙共同研究の一環として、ツイッター上でつぶやかれる政策関連語のうち「原発」の投稿(ツイート)数が突出して多い原因を探った。参院選が公示された7月4日のツイートを分析したところ、他者のツイートを転送・引用するリツイート(RT)機能によって拡散する度合いが大きく、特定のツイッター利用者が集中的にRTしていることが確認された。
(中略)
◇西田准教授の話
ツイッターでは原発に代表されるように、多様な論点を含み一義的に解答を出しにくい政策課題に話題が集中する傾向がある。特定のネットユーザーのコミュニケーションがツイッター上で可視化されていると言うべきで、ツイート数自体が「世論」を映し出しているものではないことが世論調査との比較で明らかになったと思う。独自のつぶやきを発信する利用者も、利用者全体から見るとさほど多くはない。ツイッター上の話題からネット上の「世論」を探るという考え方自体が間違っているのかもしれない。


原文は、こちら。
「「原発」に関心を持つ個人や団体など特定の層がRTを繰り返し、オリジナルの3倍にツイート数が膨らんだことがうかがわれる。」という分析は、たぶん当たっていると思います。
いわゆる「放射脳」の人たちが、プロパガンダの手段として使っているのでしょうね。
事故後の感情論の渦の中で、一時的に(ネットで)支配的になりましたが、現在は、多数の関心が薄れ、少数者が大量に発信(リツイート)している状況なのだと思います。
面白い分析です。
世論との解離がどのようなテーマで起こりやすいか調べることで、もう少し実態がはっきりしてくると思います。
住民に健康影響出ない…福島原発事故で国連科学委
住民に健康影響出ない…福島原発事故で国連科学委
読売新聞 5月31日(金)22時35分配信
【ウィーン=石黒穣】27日から開かれていた「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)総会が31日閉幕し、「福島第一原子力発電所事故による放射線被曝(ひばく)で、健康影響は出ていない。住民の被曝量は少なく、今後も健康影響が出るとは考えにくい」との結論をまとめた。
また、事故直後に同原発から20キロ・メートル以内の住民を避難させるなどした政府の対策について、「被曝量をかなり減らせた」と評価した。
放射線医学の専門家ら約80人のチームが2年かけてまとめた結論で、総会で確認された。チームの議長を務めたウォルフガング・ワイス博士は、記者会見で「避難などをしていなければ、被曝量は最大10倍に上り、(健康影響の恐れがある)100ミリ・シーベルトを超える人が出ていた」と語った。同委員会は、同原発の作業員についても、被曝量が多い一部の人を除き「健康影響は出ないだろう」と結論した。
最終更新:6月1日(土)9時14分
被曝と「無関係」…福島の甲状腺がん患者数
読売新聞 5月28日(火)9時26分配信
【ジュネーブ=石黒穣】東京電力福島第一原子力発電所事故で放出された放射性物質による住民らの被曝(ひばく)について、「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)による評価の報告書案が27日判明した。
福島県民の甲状腺の最大被曝線量は、旧ソ連・チェルノブイリ原発事故(1986年)の60分の1以下で、現在の調査で見つかっている甲状腺がんの患者数は「被曝と無関係に発生する割合」だとしている。27日からウィーンで始まった同委員会の総会で議論し、9月の国連総会に提出される見通しだ。
各国の放射線医学の専門家ら約90人が参加して評価した。放射性物質の大気への放出量は、ヨウ素131がチェルノブイリ事故の3分の1未満、セシウム137が同4分の1未満と推計された。米スリーマイル島の原発事故(79年)と比べると「かなり深刻な事故」と指摘した。
事故後1年間に1歳児(当時)が甲状腺に受けた被曝線量は、福島県内の避難区域外では1人あたり33~66ミリ・シーベルト、区域内では20~82ミリ・シーベルト。大人は区域外で8~24ミリ・シーベルトとなった。いずれも、甲状腺がん発生のリスクが上がるとされる100ミリ・シーベルトより少なく、チェルノブイリ事故の一般的な避難者の最大値5000ミリ・シーベルトを大きく下回った。報告書案は、避難によって「最大500ミリ・シーベルトの被曝を避けることができた」とし、「被曝線量が低く、福島はチェルノブイリではない」と説明している。
最終更新:5月28日(火)9時26分
私も、ずいぶん批判を受けましたが、でも、正しかったでしょ?(笑)
放射線量測定の結果が公表されだしてから、専門家は、この数値だったら心配するほどのものではない、と判断していました。
影響なんて出るわけないと。
ただ、京大の小出先生や、中部大学の武田先生、群馬大学の早川先生など、放射線の影響に関して専門外の方が、その危険性を声高に主張し、祭り上げられる状況が生まれていました。
加えて、(雑誌を売りたい)ゲンダイなどの不見識なマスメディアがこれに乗っかり、輪を掛けて危険性を煽り立てました。
複雑なのは、反原発活動家などが、このチャンスを生かせとばかりに動きだし、一時はネット言論を支配する状況を作ったことです。
彼らは、「御用学者」「原子力ムラ」などのカテゴリーを作ることにより、「危険」と主張する人を「味方」、そんなに心配要らないと言った人を「敵」に(一般人に分かりやすいように)二分化し、科学的に正しいかどうかとは別の次元で、正当な意見を封じ込める扇動策を取りました。
新聞も99%正しい意見と99%間違っている意見を両論併記する形で、中立性を示そうとする「愚」を犯しました。
多くの一般人は、最初そちらに傾き、今は騙されたということに気がついてきた状況かと思います。
このデマゴーグの伝わり方は、二度と繰り返さないように、しっかりと分析されるべき事柄と思います。
でも、間違ったことを主張し、日本をパニックに陥れたニセ学者やマスコミは、どう責任を取るのか?
少しは反省したらどうですか?
参考:「放射能パニックからの生還」
「−−医師や専門家などが発信する、正しい情報を集めなかったのでしょうか。
情報の入手先は、ネットが中心でした。ツィッターをメインにしてブログやUSTREAM。情報ソースは、暗く悲惨な情報を流していることで有名になっている人ばかり。匿名の人たちから大学の先生、研究者まで色々でした。今になるとおかしな人々を信じてしまったと思いますが、当時は正しいと思っていました。そして「御用学者」とされた正確な情報を発信する人の話が間違っていたと思い込み、話を聞きませんでした。また原発事故まで原発や放射能についての知識はほとんどなく、情報の真偽を確かめられませんでした。
放射能パニックに陥った人の集まりに出たことがあります。私のように思い込みが激しく、偏った情報を信じる人ばかりでした。私は他人との交際はある程度ありますが、その人々はネットばかりを使い、リアルでコミュニケーションを取ることが上手ではない人が多かったようです。頭の片隅で「この人たちはパニックになっているな」と思ったのですが、自分がおかしくなっていることには思いが至りませんでした。
(中略)
私は役割を得たとも思いました。思うような人生を歩むことができない事を、社会のシステムの責任にしていました。「原発」問題は社会に反撃を行うチャンス。原発というこれほど分かりやすい「悪」はありません。「反原発」を唱えることで、特別な使命を持った選民意識を持てましたし、自己愛が満たされました。自分のパニックの背景に、「自尊心の維持」があったと、今になって思います。」(上記サイトより引用)
放射能ノイローゼ 最も過激な「危険だ」の声だけ信じる懸念
NEWSポストセブン 2011年10月27日 07時00分 (2011年10月27日 07時33分 更新)
今の日本で本当に怖いのは、放射能ではなく、放射能ノイローゼと放射能デマかもしれない。煽り派メディアでは、いまだに学会で相手にされない“活動家学者”や、専門の学位すらない“似非学者”が登場しては「日本はもうダメ」「みんながんになる」と脅す。多くの科学者はうんざりして無視しているが、一般国民には誰が本当の専門家なのか、どれが信用できる意見なのか区別しにくいから厄介だ。
ついには「福島で起きた水素爆発は核爆発と基本的に同じだ」とか「チェルノブイリを超える被曝をしている」などという荒唐無稽なデマまでが、一部の狂信的な団体やジャーナリストに支持される始末である。
これは社会心理学でいう「集団極性化」「集団思考」が現実になった憂うべき状態だ。新潟青陵大学大学院の碓井真史・教授(臨床心理学研究科)が警告する。
「もともと集まった動機は悪くなくても、集団で討議しているうちに当初の意見がどんどん過激に、強くなり、極端に走るのが集団極性化です。しかも、外に反対の意見をいう“敵”がいると激しく非難し、自分たちに従わない者たちも攻撃対象にして結束を強めていく。それが集団思考です。
子供を放射能から守りたい、という発端は間違っていなかったとしても、次第に多くの意見のなかから最も過激な『危険だ』という声だけを信じるようになり、『大丈夫ですよ』という学者やメディアに“御用学者”“安全デマ”などと攻撃を加えていく。後から見れば、あの時はヒステリックになってたね、と笑えることかもしれませんが、この構造はカルト宗教やナチスにも通じるものであるだけに十分な警戒が必要です」
ポストは、ゲンダイに対抗するためか、ずいぶんマトモなことを言ってましたね。(笑)
でも、ネットが普及しなければ、これだけ放射能ノイローゼ(いわゆる放射脳)は広まらなかったのは確かだと思います。
読売新聞 5月31日(金)22時35分配信
【ウィーン=石黒穣】27日から開かれていた「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)総会が31日閉幕し、「福島第一原子力発電所事故による放射線被曝(ひばく)で、健康影響は出ていない。住民の被曝量は少なく、今後も健康影響が出るとは考えにくい」との結論をまとめた。
また、事故直後に同原発から20キロ・メートル以内の住民を避難させるなどした政府の対策について、「被曝量をかなり減らせた」と評価した。
放射線医学の専門家ら約80人のチームが2年かけてまとめた結論で、総会で確認された。チームの議長を務めたウォルフガング・ワイス博士は、記者会見で「避難などをしていなければ、被曝量は最大10倍に上り、(健康影響の恐れがある)100ミリ・シーベルトを超える人が出ていた」と語った。同委員会は、同原発の作業員についても、被曝量が多い一部の人を除き「健康影響は出ないだろう」と結論した。
最終更新:6月1日(土)9時14分
被曝と「無関係」…福島の甲状腺がん患者数
読売新聞 5月28日(火)9時26分配信
【ジュネーブ=石黒穣】東京電力福島第一原子力発電所事故で放出された放射性物質による住民らの被曝(ひばく)について、「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)による評価の報告書案が27日判明した。
福島県民の甲状腺の最大被曝線量は、旧ソ連・チェルノブイリ原発事故(1986年)の60分の1以下で、現在の調査で見つかっている甲状腺がんの患者数は「被曝と無関係に発生する割合」だとしている。27日からウィーンで始まった同委員会の総会で議論し、9月の国連総会に提出される見通しだ。
各国の放射線医学の専門家ら約90人が参加して評価した。放射性物質の大気への放出量は、ヨウ素131がチェルノブイリ事故の3分の1未満、セシウム137が同4分の1未満と推計された。米スリーマイル島の原発事故(79年)と比べると「かなり深刻な事故」と指摘した。
事故後1年間に1歳児(当時)が甲状腺に受けた被曝線量は、福島県内の避難区域外では1人あたり33~66ミリ・シーベルト、区域内では20~82ミリ・シーベルト。大人は区域外で8~24ミリ・シーベルトとなった。いずれも、甲状腺がん発生のリスクが上がるとされる100ミリ・シーベルトより少なく、チェルノブイリ事故の一般的な避難者の最大値5000ミリ・シーベルトを大きく下回った。報告書案は、避難によって「最大500ミリ・シーベルトの被曝を避けることができた」とし、「被曝線量が低く、福島はチェルノブイリではない」と説明している。
最終更新:5月28日(火)9時26分
私も、ずいぶん批判を受けましたが、でも、正しかったでしょ?(笑)
放射線量測定の結果が公表されだしてから、専門家は、この数値だったら心配するほどのものではない、と判断していました。
影響なんて出るわけないと。
ただ、京大の小出先生や、中部大学の武田先生、群馬大学の早川先生など、放射線の影響に関して専門外の方が、その危険性を声高に主張し、祭り上げられる状況が生まれていました。
加えて、(雑誌を売りたい)ゲンダイなどの不見識なマスメディアがこれに乗っかり、輪を掛けて危険性を煽り立てました。
複雑なのは、反原発活動家などが、このチャンスを生かせとばかりに動きだし、一時はネット言論を支配する状況を作ったことです。
彼らは、「御用学者」「原子力ムラ」などのカテゴリーを作ることにより、「危険」と主張する人を「味方」、そんなに心配要らないと言った人を「敵」に(一般人に分かりやすいように)二分化し、科学的に正しいかどうかとは別の次元で、正当な意見を封じ込める扇動策を取りました。
新聞も99%正しい意見と99%間違っている意見を両論併記する形で、中立性を示そうとする「愚」を犯しました。
多くの一般人は、最初そちらに傾き、今は騙されたということに気がついてきた状況かと思います。
このデマゴーグの伝わり方は、二度と繰り返さないように、しっかりと分析されるべき事柄と思います。
でも、間違ったことを主張し、日本をパニックに陥れたニセ学者やマスコミは、どう責任を取るのか?
少しは反省したらどうですか?
参考:「放射能パニックからの生還」
「−−医師や専門家などが発信する、正しい情報を集めなかったのでしょうか。
情報の入手先は、ネットが中心でした。ツィッターをメインにしてブログやUSTREAM。情報ソースは、暗く悲惨な情報を流していることで有名になっている人ばかり。匿名の人たちから大学の先生、研究者まで色々でした。今になるとおかしな人々を信じてしまったと思いますが、当時は正しいと思っていました。そして「御用学者」とされた正確な情報を発信する人の話が間違っていたと思い込み、話を聞きませんでした。また原発事故まで原発や放射能についての知識はほとんどなく、情報の真偽を確かめられませんでした。
放射能パニックに陥った人の集まりに出たことがあります。私のように思い込みが激しく、偏った情報を信じる人ばかりでした。私は他人との交際はある程度ありますが、その人々はネットばかりを使い、リアルでコミュニケーションを取ることが上手ではない人が多かったようです。頭の片隅で「この人たちはパニックになっているな」と思ったのですが、自分がおかしくなっていることには思いが至りませんでした。
(中略)
私は役割を得たとも思いました。思うような人生を歩むことができない事を、社会のシステムの責任にしていました。「原発」問題は社会に反撃を行うチャンス。原発というこれほど分かりやすい「悪」はありません。「反原発」を唱えることで、特別な使命を持った選民意識を持てましたし、自己愛が満たされました。自分のパニックの背景に、「自尊心の維持」があったと、今になって思います。」(上記サイトより引用)
放射能ノイローゼ 最も過激な「危険だ」の声だけ信じる懸念
NEWSポストセブン 2011年10月27日 07時00分 (2011年10月27日 07時33分 更新)
今の日本で本当に怖いのは、放射能ではなく、放射能ノイローゼと放射能デマかもしれない。煽り派メディアでは、いまだに学会で相手にされない“活動家学者”や、専門の学位すらない“似非学者”が登場しては「日本はもうダメ」「みんながんになる」と脅す。多くの科学者はうんざりして無視しているが、一般国民には誰が本当の専門家なのか、どれが信用できる意見なのか区別しにくいから厄介だ。
ついには「福島で起きた水素爆発は核爆発と基本的に同じだ」とか「チェルノブイリを超える被曝をしている」などという荒唐無稽なデマまでが、一部の狂信的な団体やジャーナリストに支持される始末である。
これは社会心理学でいう「集団極性化」「集団思考」が現実になった憂うべき状態だ。新潟青陵大学大学院の碓井真史・教授(臨床心理学研究科)が警告する。
「もともと集まった動機は悪くなくても、集団で討議しているうちに当初の意見がどんどん過激に、強くなり、極端に走るのが集団極性化です。しかも、外に反対の意見をいう“敵”がいると激しく非難し、自分たちに従わない者たちも攻撃対象にして結束を強めていく。それが集団思考です。
子供を放射能から守りたい、という発端は間違っていなかったとしても、次第に多くの意見のなかから最も過激な『危険だ』という声だけを信じるようになり、『大丈夫ですよ』という学者やメディアに“御用学者”“安全デマ”などと攻撃を加えていく。後から見れば、あの時はヒステリックになってたね、と笑えることかもしれませんが、この構造はカルト宗教やナチスにも通じるものであるだけに十分な警戒が必要です」
ポストは、ゲンダイに対抗するためか、ずいぶんマトモなことを言ってましたね。(笑)
でも、ネットが普及しなければ、これだけ放射能ノイローゼ(いわゆる放射脳)は広まらなかったのは確かだと思います。
「あの反原発騒ぎと東電叩きはどうなったのか」
「あの反原発騒ぎと東電叩きはどうなったのか」
公開日: 2013/03/18
tokyomx 土曜日10:30~ 西部邁ゼミナール 2013.3.16放送
『放射能と公共性』を嫌って『電力供給と東電』を潰す大遇part1
ゲスト:東谷暁、稲恭宏 関連動画→http://youtu.be/Zrjk5FlrEN0
part2→ http://youtu.be/JmjmUCiBQ4k
稲恭宏さんもうさんくさい感じですが、言っていることは間違っていないと思います。(それを解釈する場面でやや主観的な部分もあります)
(誤った報道と煽動によって)「日本人が狂った」という西部さんの言葉は印象的です。
偏った思想と被害・憎しみの感情から抜けだし、事実、科学をベースに冷静に復興への道筋を作るべきです。
原発事故と科学者との関わりに関して、
①事故当初は、一流の科学者がマスコミにも登場し、これまでの研究を元に「冷静に対応するべき」と主張していた。
②事故が拡大していったことから、政府対応に対する疑念が起こり、政府、東電、学者に対する不信感が増大する。また、アサヒ、毎日、ゲンダイと言った雑誌媒体を中心に、放射能の危険性に関して行き過ぎた報道が目立つようになった。
③インターネットを中心に、「科学者は、自分たちの利益のために原発・東電を擁護し、真実を隠している」とのデマが流布し、御用学者リストが作られた。その一方で、これまで学会等での業績もなく、相手にされていなかった学者を、原発に否定的という理由だけで祭り上げる行動を取っていた。
④一流の科学者たちは、身の危険を感じ、何も発言をしなくなり、マスコミにも出なくなった。
⑤雑誌が売らんがために?、反原発学者のデタラメな発言を大きく取り上げ、危険性を過度に煽り、人々に恐怖心を植え付けていった。
⑥(見せかけの)草の根運動が盛んになり、母親の勉強会や国会前のデモなどが、企画される。
⑦民主党菅直人政権は、これらの運動や人々の恐怖心を利用する形で、自身の市民運動思想の具現化と、敵を他に作ることによる自己の責任の転換・軽減を図った。
⑧時間の経緯とともに、恐怖心のマンネリ化・風化が進み、同時に、反原発学者が予想していた「恐怖の未来」が何も発生せず、多くの人々は「のど元過ぎれば」の形で、日常生活に戻っていった。
⑨「反原発より景気」という民意を読めず、シングルイシューで票になると勘違いした民主党や小沢さんなどの政党が、選挙によって否定される。
⑩多くの人の反原発熱は冷めたが、民主党政権が作った制度がそのまま残り、正常化が進まない状態。
⑪輸入に占める化石燃料の費用が膨らみ、このままだと国家破綻という状況に至る。
⑫あれだけ誤った恐怖心を煽ったマスコミや科学者は、何事もなかったような顔をしている。
・・という経緯かと思います。
マスコミがこれだけデタラメを煽り、デマゴーグの流布がインターネットによって行われ、正しい意見が封じ込められた、この2年間の異常事態は、事実関係やそれが起こった理由・経緯(誰がデマの流布を意図し、実行したのか)を厳密に振り返り、検証するべきだと思います。
なぜパニックが起きてしまったのか、なぜ正しい意見が聞き入れられなかったのか、なぜ多くの人が易々と陰謀論に与してしまったのか、なぜ将来にわたるまで日本を危機に陥れる「不必要な」規制が成立してしまったのか、なぜ誤りを直ちに修正できないのか。
科学ベースで解決できるはずだった問題が、感情、思想、政治によって曲げられてしまった。
この重大な経験を、(ただ忘れてしまうのではなく)日本の将来のために生かさないといけないと思います。
公開日: 2013/03/18
tokyomx 土曜日10:30~ 西部邁ゼミナール 2013.3.16放送
『放射能と公共性』を嫌って『電力供給と東電』を潰す大遇part1
ゲスト:東谷暁、稲恭宏 関連動画→http://youtu.be/Zrjk5FlrEN0
part2→ http://youtu.be/JmjmUCiBQ4k
稲恭宏さんもうさんくさい感じですが、言っていることは間違っていないと思います。(それを解釈する場面でやや主観的な部分もあります)
(誤った報道と煽動によって)「日本人が狂った」という西部さんの言葉は印象的です。
偏った思想と被害・憎しみの感情から抜けだし、事実、科学をベースに冷静に復興への道筋を作るべきです。
原発事故と科学者との関わりに関して、
①事故当初は、一流の科学者がマスコミにも登場し、これまでの研究を元に「冷静に対応するべき」と主張していた。
②事故が拡大していったことから、政府対応に対する疑念が起こり、政府、東電、学者に対する不信感が増大する。また、アサヒ、毎日、ゲンダイと言った雑誌媒体を中心に、放射能の危険性に関して行き過ぎた報道が目立つようになった。
③インターネットを中心に、「科学者は、自分たちの利益のために原発・東電を擁護し、真実を隠している」とのデマが流布し、御用学者リストが作られた。その一方で、これまで学会等での業績もなく、相手にされていなかった学者を、原発に否定的という理由だけで祭り上げる行動を取っていた。
④一流の科学者たちは、身の危険を感じ、何も発言をしなくなり、マスコミにも出なくなった。
⑤雑誌が売らんがために?、反原発学者のデタラメな発言を大きく取り上げ、危険性を過度に煽り、人々に恐怖心を植え付けていった。
⑥(見せかけの)草の根運動が盛んになり、母親の勉強会や国会前のデモなどが、企画される。
⑦民主党菅直人政権は、これらの運動や人々の恐怖心を利用する形で、自身の市民運動思想の具現化と、敵を他に作ることによる自己の責任の転換・軽減を図った。
⑧時間の経緯とともに、恐怖心のマンネリ化・風化が進み、同時に、反原発学者が予想していた「恐怖の未来」が何も発生せず、多くの人々は「のど元過ぎれば」の形で、日常生活に戻っていった。
⑨「反原発より景気」という民意を読めず、シングルイシューで票になると勘違いした民主党や小沢さんなどの政党が、選挙によって否定される。
⑩多くの人の反原発熱は冷めたが、民主党政権が作った制度がそのまま残り、正常化が進まない状態。
⑪輸入に占める化石燃料の費用が膨らみ、このままだと国家破綻という状況に至る。
⑫あれだけ誤った恐怖心を煽ったマスコミや科学者は、何事もなかったような顔をしている。
・・という経緯かと思います。
マスコミがこれだけデタラメを煽り、デマゴーグの流布がインターネットによって行われ、正しい意見が封じ込められた、この2年間の異常事態は、事実関係やそれが起こった理由・経緯(誰がデマの流布を意図し、実行したのか)を厳密に振り返り、検証するべきだと思います。
なぜパニックが起きてしまったのか、なぜ正しい意見が聞き入れられなかったのか、なぜ多くの人が易々と陰謀論に与してしまったのか、なぜ将来にわたるまで日本を危機に陥れる「不必要な」規制が成立してしまったのか、なぜ誤りを直ちに修正できないのか。
科学ベースで解決できるはずだった問題が、感情、思想、政治によって曲げられてしまった。
この重大な経験を、(ただ忘れてしまうのではなく)日本の将来のために生かさないといけないと思います。
ジャーナリスト・東谷暁 首かしげる地震学者の話
ジャーナリスト・東谷暁 首かしげる地震学者の話
2013.1.11 03:17 産経新聞
原子力発電所の再稼働については、地震学者たちが中心となっている委員会が、その判断を左右している。科学的なデータと理論に基づいて、これからの地震を予知してくれるのなら、それは確かに妥当なやり方だろう。だが、果たして今の地震学にそのような予知が可能なのだろうか。また、科学者は中立的だと言い切れるのだろうか。
私たちは、東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震が、いまの地震学ではまったく予知されていなかったことを忘れるわけにはいかない。地震が起こって1カ月ほど過ぎたころ、地震学者たちは新聞などでおずおずと「宮城県沖で想定していた地震をはるかに超え、イメージさえできなかった」「三陸沖での基本的な想定の枠組みが根本から間違っていた」などと語りだした。
私はこうした率直な告白を勇気あるものと受け止めたが、奇妙なのはその後である。「想定の枠組みが根本から間違っていた」と語り、さらには政府事故調査委員会のヒアリングで、それまでの自説を否定し「現時点では津波地震発生のメカニズムは不明」と述べた地震学者が、昨年の秋には「30年以内に20%の確率で起こる」と予測していたのにそれを「圧力」によってつぶされたと、ある新聞で言い出したのである。
自分の理論が間違っていたことを認めたのに、実は自分は予測しており、それを潰されたのだというわけだが、理論が間違っていたのに、どうして予測が当たっていたことになるのだろうか。政府事故調や新聞もこの地震学者に「圧力」をかけたとでもいうのだろうか。
地震予知に対しては、同じ地震学者や確率論を専攻する数学者などから疑義が提示されてきた。たった4例の地震から「30年以内に88%の確率で起こる」と主張したり、最近では突然、首都圏で「4年以内に70%の確率で起こる」と発表して都民を震え上がらせるなど、理論的な基礎や軽率な言動において、首をかしげるような話が多いのである。
日本の地震予知は、これまで的中したことなどないから、巨額の国家予算は無駄だという人は少なくない。とはいえ、ある程度まで地震予知というものが成立するなら、多少の先行投資は目をつぶってもよいだろう。しかし、東日本大震災の批判がもっぱら原発だけに向いて、地震学者たちの失態は不問に付されていることをいいことに、矛盾だらけの言動をものともしない学者や、スタンドプレーを行う学者をはびこらせるわけにはいかないのである。
イタリアでは地震予測が甘すぎたというので、地震学者7人に禁錮6年の刑が言い渡されて話題になったが、私はこれもばかげた判決だと思う。おそらくイタリアでこれから横行するのは過大予測であろう。甘いために非難されるのなら、思いっきり過大な予測をしておいたほうが安全で、そのほうが楽でもある。それはいまの日本を見れば分かる。
先ほどの「4年以内に70%」という数値も学閥が異なると「5年以内に28%」になってしまうという。いまの原発再稼働を左右する各種委員会は、こうした地震学者たちの判断にあまりに重きを置いているように思える。地震学を無視しろというのではない。委員会の構成を再検討すべきなのだ。(ひがしたに さとし)
言いにくいことを、書いてくれました。(笑)
ジャーナリストだから言えたことだと思います。
私には、今の地震学が、原発の廃炉や再稼働の是非の判断ができるほどの水準に達しているとは思えません。
国の行方を左右する大きな問題を、未発達な学問の数人の学者にゆだねるなど、明らかに間違った判断だと思います。
イデオロギーを介在させない形で、関係する様々な分野の専門家が集まり、多面的に議論して決めていくべきことでしょう。
2013.1.11 03:17 産経新聞
原子力発電所の再稼働については、地震学者たちが中心となっている委員会が、その判断を左右している。科学的なデータと理論に基づいて、これからの地震を予知してくれるのなら、それは確かに妥当なやり方だろう。だが、果たして今の地震学にそのような予知が可能なのだろうか。また、科学者は中立的だと言い切れるのだろうか。
私たちは、東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震が、いまの地震学ではまったく予知されていなかったことを忘れるわけにはいかない。地震が起こって1カ月ほど過ぎたころ、地震学者たちは新聞などでおずおずと「宮城県沖で想定していた地震をはるかに超え、イメージさえできなかった」「三陸沖での基本的な想定の枠組みが根本から間違っていた」などと語りだした。
私はこうした率直な告白を勇気あるものと受け止めたが、奇妙なのはその後である。「想定の枠組みが根本から間違っていた」と語り、さらには政府事故調査委員会のヒアリングで、それまでの自説を否定し「現時点では津波地震発生のメカニズムは不明」と述べた地震学者が、昨年の秋には「30年以内に20%の確率で起こる」と予測していたのにそれを「圧力」によってつぶされたと、ある新聞で言い出したのである。
自分の理論が間違っていたことを認めたのに、実は自分は予測しており、それを潰されたのだというわけだが、理論が間違っていたのに、どうして予測が当たっていたことになるのだろうか。政府事故調や新聞もこの地震学者に「圧力」をかけたとでもいうのだろうか。
地震予知に対しては、同じ地震学者や確率論を専攻する数学者などから疑義が提示されてきた。たった4例の地震から「30年以内に88%の確率で起こる」と主張したり、最近では突然、首都圏で「4年以内に70%の確率で起こる」と発表して都民を震え上がらせるなど、理論的な基礎や軽率な言動において、首をかしげるような話が多いのである。
日本の地震予知は、これまで的中したことなどないから、巨額の国家予算は無駄だという人は少なくない。とはいえ、ある程度まで地震予知というものが成立するなら、多少の先行投資は目をつぶってもよいだろう。しかし、東日本大震災の批判がもっぱら原発だけに向いて、地震学者たちの失態は不問に付されていることをいいことに、矛盾だらけの言動をものともしない学者や、スタンドプレーを行う学者をはびこらせるわけにはいかないのである。
イタリアでは地震予測が甘すぎたというので、地震学者7人に禁錮6年の刑が言い渡されて話題になったが、私はこれもばかげた判決だと思う。おそらくイタリアでこれから横行するのは過大予測であろう。甘いために非難されるのなら、思いっきり過大な予測をしておいたほうが安全で、そのほうが楽でもある。それはいまの日本を見れば分かる。
先ほどの「4年以内に70%」という数値も学閥が異なると「5年以内に28%」になってしまうという。いまの原発再稼働を左右する各種委員会は、こうした地震学者たちの判断にあまりに重きを置いているように思える。地震学を無視しろというのではない。委員会の構成を再検討すべきなのだ。(ひがしたに さとし)
言いにくいことを、書いてくれました。(笑)
ジャーナリストだから言えたことだと思います。
私には、今の地震学が、原発の廃炉や再稼働の是非の判断ができるほどの水準に達しているとは思えません。
国の行方を左右する大きな問題を、未発達な学問の数人の学者にゆだねるなど、明らかに間違った判断だと思います。
イデオロギーを介在させない形で、関係する様々な分野の専門家が集まり、多面的に議論して決めていくべきことでしょう。
『日本維新の会』の支持率低下と“外交オンチ”
同じような考え方をする人がいるなと思ったので、引用させていただきました。
ちなみに、この人が誰か、私は知りません。(笑)
政治や原発の話に興味がない人は読み飛ばしてください。
『日本維新の会』の支持率低下と“外交オンチ”
自由人 2012年10月06日 08:03
ここに至って、『日本維新の会』の支持率が民主党と同水準まで急落しているらしく、これまで橋下氏の支持者だった人々の心境にも少しばかり変化の兆しが見られるようだ。
橋下氏の人気の秘密は、これまで誰にも出来なかった「官僚主導型政治を国民主導型政治に変えてくれるかもしれない」という淡い期待感だった。
少し前までは、橋下氏が言うところの「道州制(地方分権政治)」が日本を変える起爆剤になるという見方をしている識者も数多くいたが、どうやら少し雲行きが変わってきつつあるようだ。
無駄の多い日本の官僚社会主義システムを改革することが必要であることには変わりはないのだが、運が悪いと言うべきか、間が悪いと言うべきか、目の前に“中国の脅威”というものが台頭してきたため、国民の関心事スイッチは「国内政治」から「外交問題」に切り替わってしまったようである。
国内の「合理化」と「安全性」を秤に掛けると、必然的に世論は後者に傾くことになる。なぜなら、「安全性」あってこその「合理化」であるからである。言わば、大【中国】に小【官僚】が呑み込まれた格好だ。
国内の「合理化」をいくら推し進めたところで、その国自体が他国に乗っ取られてしまえば元も子もなくなってしまう。『道州制』にして日本を元気にするどころか、中国に占領されて『○○省制』になってしまっては元も子もないというわけだ。
ここで、「安全性」ということなら、原発問題もそうだろうと思った人がいるかもしれないが、それは全く違う。
最近、「このままいくと、日本と中国は戦争になる」というような意見をよく耳にするが、国際問題アナリストの藤井厳喜氏の書籍【NHK捏造事件と無制限戦争の時代】によると、日本と中国は既に戦争状態にあるらしく、もうずいぶん前から日本は中国による情報戦争の渦中に巻き込まれているというのが真相であるらしい。
そういったリアリスティックな視点で現状の政治を見つめれば、外交政策に乏しいかに見える『日本維新の会』では、少々心許無いというのが実際のところなのだろうと思う。竹島や尖閣問題までをも大衆迎合のポピュリズム政治に利用しようなどという軽いノリが見透かされてしまったことが、同党の支持率が急落した原因になってしまったと言えるのかもしれない。
大飯原発の再稼働を認めた時点では、橋下氏も大衆迎合を捨てたのかと少し期待したものの、その後はどっちつかずの姿勢を取っており、どちらかと言えば、脱原発派に傾倒しているようにも感じられる。
マスコミの世論調査では、原発推進派よりも原発反対派の方が多いということになっている。正直、それが本当の世論の姿だとは思えないが、民主主義が多数決の原理を採用している限り、大抵の政治家は大衆に迎合せざるを得ない。しかし将来、その政治家の選択が誤った判断であったことが判明した場合、その政治家の信用は一気にガタ落ちすることになり、歴史に汚名を残すことになる。
民主党の野田総理が消費税の増税政策によって歴史に汚名を残すことになるだろうことは以前にも述べたが、橋下氏もこのままポピュリズム路線を選択し続けると、せっかくこれまで築いてきた改革者としての「美名」を失ってしまう可能性があるように思える。
外交問題を考える上で重要なことは日本のエネルギー問題である。原油資源の無い日本では、原油の代わりに原発がエネルギー政策の根幹を為してきたわけだが、1度の地震(と言うより津波による人災事故)で、原発から完全撤退するというような安易な選択をしてしまうと、明確な代替エネルギーが無い現在の状況では、化石燃料に依存せざるを得なくなる。これは何を意味するのかと言うと、「国の命運を他国に依存してしまうことになる」ということである。
原発をどうするのかという選択は国内だけの問題ではなく、エネルギーを自国で賄うのか、それとも他国に依存するのかという単純でありながらも非常に重要な選択なのである。
この場合、後者(他国に依存)を選択すれば、その依存国(または依存国の関係国)の外交問題如何によっては、日本にエネルギー(原油)そのものが入ってこなくなる危険性が有るということである。自国でエネルギーを賄えなくなった国が、他国からのエネルギーまで遮断されるとどうなるか? 当然、日本経済は崩壊の危機に晒されることになる。
もし本当にそんな事態になると、もはや社会保障などとは言っていられなくなる。年金制度も保険制度も全て名実ともに崩壊することになり、自殺者は3万人どころではなくなってしまい、ある意味でどのような大地震の犠牲者よりも多くの被害者(人災による被害者)を生んでしまうことになる。
そしてその「エネルギーの窮乏」という名の危機が、皮肉にも戦争の引き金になってしまう可能性がある。そんな悲惨な状況下では「脱原発」と叫ぶような人は誰一人いなくなるだろう。その時になって「脱原発」という耳障りの良い甘い言葉が奈落への扉を開く呪文であったことに気付いても手遅れだ。
エネルギー政策が、そういった危機と隣り合わせにあるということを少なからず理解している政治家であれば、「脱原発」などというような言葉はおいそれとは言えないし、領土問題をポピュリズム政治に利用しようなどとは思わないはずである。この辺の慎重さに欠けた言動をとることは政治家としては御法度であり、ヘタをすると政治家としての致命傷を負うことに繋がる。
与党・野党を問わず、「脱原発」などと宣っているような政治家は「ポピュリスト」か「外交オンチ」、またはその両方を満たしていると思って間違いない。
『日本維新の会』の支持率の低下が示すものは、残念ながら『日本維新の会』自体が“外交オンチ”というレッテルを貼られてしまったと見るのが妥当なところだと思う。
できれば、改革者としての橋下氏の批判はあまりしたくなかったのだが、正直に思うところを書かせていただいた。悪しからず。
単純に、国の仕組みが分かっていないんだと思います。
ただの素人。民主党以下です。
ただ、大衆に受けの良いことをしているだけ。
こういう政党が政策を行えば、日本は決定的に崩壊します。(立ち直れなくなるでしょうね)
まあ、それを選択するのも、日本人なんですけどね。
民主党に投票したあげく、嘘ばかりじゃないかと文句言って、維新に投票するようなレベルですから。
騙される方も馬鹿なんですよ。
騙されたあげく「いい夢を見させてもらった」なんてね。(笑)
ただ、官僚主導型政治についての意見に関しては、不同意です。
政治主導になってから、事態はさらに悪くなりました。
素人が重要事項を決めているのですから、当然です。
民主党政治(特に左翼運動家の菅さん)になって、官僚を悪と決めつけるようになり、すべての物事は進展しなくなりました。
会社の社長が、社員のほとんどを悪人と公言し、下からの報告を何も信じず、部下を怒鳴りつけ、すべてをひっくり返すような会社が、業績を上げると思いますか?
何でも自分の思うようにしたい政治家が、詭弁を使って、国民を錯誤に陥れ、その結果としての支持を利用して、権力を奪い取り、関係者がみんな「あんな、人の意見を聞かない、無知な人が決定権を持ったらめちゃくちゃになるぞ」と思うとおりに、めちゃくちゃになっているのが今の政治状態だと思います。(予想できたこと)
この権力把握のプロセスに関しては、「社会的に無力な人が持ちやすい被害妄想、怨念と破壊衝動、劇場型パフォーマンス」を利用した政治家とそれをステレオタイプに後押ししたマスコミが上手くやったのだと思います。
でもね。これではダメなんですよ。
そう思います。
ちなみに、この人が誰か、私は知りません。(笑)
政治や原発の話に興味がない人は読み飛ばしてください。
『日本維新の会』の支持率低下と“外交オンチ”
自由人 2012年10月06日 08:03
ここに至って、『日本維新の会』の支持率が民主党と同水準まで急落しているらしく、これまで橋下氏の支持者だった人々の心境にも少しばかり変化の兆しが見られるようだ。
橋下氏の人気の秘密は、これまで誰にも出来なかった「官僚主導型政治を国民主導型政治に変えてくれるかもしれない」という淡い期待感だった。
少し前までは、橋下氏が言うところの「道州制(地方分権政治)」が日本を変える起爆剤になるという見方をしている識者も数多くいたが、どうやら少し雲行きが変わってきつつあるようだ。
無駄の多い日本の官僚社会主義システムを改革することが必要であることには変わりはないのだが、運が悪いと言うべきか、間が悪いと言うべきか、目の前に“中国の脅威”というものが台頭してきたため、国民の関心事スイッチは「国内政治」から「外交問題」に切り替わってしまったようである。
国内の「合理化」と「安全性」を秤に掛けると、必然的に世論は後者に傾くことになる。なぜなら、「安全性」あってこその「合理化」であるからである。言わば、大【中国】に小【官僚】が呑み込まれた格好だ。
国内の「合理化」をいくら推し進めたところで、その国自体が他国に乗っ取られてしまえば元も子もなくなってしまう。『道州制』にして日本を元気にするどころか、中国に占領されて『○○省制』になってしまっては元も子もないというわけだ。
ここで、「安全性」ということなら、原発問題もそうだろうと思った人がいるかもしれないが、それは全く違う。
最近、「このままいくと、日本と中国は戦争になる」というような意見をよく耳にするが、国際問題アナリストの藤井厳喜氏の書籍【NHK捏造事件と無制限戦争の時代】によると、日本と中国は既に戦争状態にあるらしく、もうずいぶん前から日本は中国による情報戦争の渦中に巻き込まれているというのが真相であるらしい。
そういったリアリスティックな視点で現状の政治を見つめれば、外交政策に乏しいかに見える『日本維新の会』では、少々心許無いというのが実際のところなのだろうと思う。竹島や尖閣問題までをも大衆迎合のポピュリズム政治に利用しようなどという軽いノリが見透かされてしまったことが、同党の支持率が急落した原因になってしまったと言えるのかもしれない。
大飯原発の再稼働を認めた時点では、橋下氏も大衆迎合を捨てたのかと少し期待したものの、その後はどっちつかずの姿勢を取っており、どちらかと言えば、脱原発派に傾倒しているようにも感じられる。
マスコミの世論調査では、原発推進派よりも原発反対派の方が多いということになっている。正直、それが本当の世論の姿だとは思えないが、民主主義が多数決の原理を採用している限り、大抵の政治家は大衆に迎合せざるを得ない。しかし将来、その政治家の選択が誤った判断であったことが判明した場合、その政治家の信用は一気にガタ落ちすることになり、歴史に汚名を残すことになる。
民主党の野田総理が消費税の増税政策によって歴史に汚名を残すことになるだろうことは以前にも述べたが、橋下氏もこのままポピュリズム路線を選択し続けると、せっかくこれまで築いてきた改革者としての「美名」を失ってしまう可能性があるように思える。
外交問題を考える上で重要なことは日本のエネルギー問題である。原油資源の無い日本では、原油の代わりに原発がエネルギー政策の根幹を為してきたわけだが、1度の地震(と言うより津波による人災事故)で、原発から完全撤退するというような安易な選択をしてしまうと、明確な代替エネルギーが無い現在の状況では、化石燃料に依存せざるを得なくなる。これは何を意味するのかと言うと、「国の命運を他国に依存してしまうことになる」ということである。
原発をどうするのかという選択は国内だけの問題ではなく、エネルギーを自国で賄うのか、それとも他国に依存するのかという単純でありながらも非常に重要な選択なのである。
この場合、後者(他国に依存)を選択すれば、その依存国(または依存国の関係国)の外交問題如何によっては、日本にエネルギー(原油)そのものが入ってこなくなる危険性が有るということである。自国でエネルギーを賄えなくなった国が、他国からのエネルギーまで遮断されるとどうなるか? 当然、日本経済は崩壊の危機に晒されることになる。
もし本当にそんな事態になると、もはや社会保障などとは言っていられなくなる。年金制度も保険制度も全て名実ともに崩壊することになり、自殺者は3万人どころではなくなってしまい、ある意味でどのような大地震の犠牲者よりも多くの被害者(人災による被害者)を生んでしまうことになる。
そしてその「エネルギーの窮乏」という名の危機が、皮肉にも戦争の引き金になってしまう可能性がある。そんな悲惨な状況下では「脱原発」と叫ぶような人は誰一人いなくなるだろう。その時になって「脱原発」という耳障りの良い甘い言葉が奈落への扉を開く呪文であったことに気付いても手遅れだ。
エネルギー政策が、そういった危機と隣り合わせにあるということを少なからず理解している政治家であれば、「脱原発」などというような言葉はおいそれとは言えないし、領土問題をポピュリズム政治に利用しようなどとは思わないはずである。この辺の慎重さに欠けた言動をとることは政治家としては御法度であり、ヘタをすると政治家としての致命傷を負うことに繋がる。
与党・野党を問わず、「脱原発」などと宣っているような政治家は「ポピュリスト」か「外交オンチ」、またはその両方を満たしていると思って間違いない。
『日本維新の会』の支持率の低下が示すものは、残念ながら『日本維新の会』自体が“外交オンチ”というレッテルを貼られてしまったと見るのが妥当なところだと思う。
できれば、改革者としての橋下氏の批判はあまりしたくなかったのだが、正直に思うところを書かせていただいた。悪しからず。
単純に、国の仕組みが分かっていないんだと思います。
ただの素人。民主党以下です。
ただ、大衆に受けの良いことをしているだけ。
こういう政党が政策を行えば、日本は決定的に崩壊します。(立ち直れなくなるでしょうね)
まあ、それを選択するのも、日本人なんですけどね。
民主党に投票したあげく、嘘ばかりじゃないかと文句言って、維新に投票するようなレベルですから。
騙される方も馬鹿なんですよ。
騙されたあげく「いい夢を見させてもらった」なんてね。(笑)
ただ、官僚主導型政治についての意見に関しては、不同意です。
政治主導になってから、事態はさらに悪くなりました。
素人が重要事項を決めているのですから、当然です。
民主党政治(特に左翼運動家の菅さん)になって、官僚を悪と決めつけるようになり、すべての物事は進展しなくなりました。
会社の社長が、社員のほとんどを悪人と公言し、下からの報告を何も信じず、部下を怒鳴りつけ、すべてをひっくり返すような会社が、業績を上げると思いますか?
何でも自分の思うようにしたい政治家が、詭弁を使って、国民を錯誤に陥れ、その結果としての支持を利用して、権力を奪い取り、関係者がみんな「あんな、人の意見を聞かない、無知な人が決定権を持ったらめちゃくちゃになるぞ」と思うとおりに、めちゃくちゃになっているのが今の政治状態だと思います。(予想できたこと)
この権力把握のプロセスに関しては、「社会的に無力な人が持ちやすい被害妄想、怨念と破壊衝動、劇場型パフォーマンス」を利用した政治家とそれをステレオタイプに後押ししたマスコミが上手くやったのだと思います。
でもね。これではダメなんですよ。
そう思います。
福島みずほ症候群
福島みずほ症候群
池田信夫
首相の「要請」で浜岡原発が停止されてから、各地で原発停止の住民運動が広がっている。それは当然だろう。地震確率0.0%の福島第一原発で事故が起こったのだから、地震のリスクを基準にすれば日本のすべての原発が危険だ。
この問題で一貫して明快な主張をしているのは、社民党の福島みずほ党首である。彼女は以前から浜岡の停止を求めており、今度はさらに進んで「命を大事にするために、すべての原発を即刻止めるべきだ」と主張している。その通りである。もっと一貫して、命を大事にするために、すべての自動車と飛行機の禁止を求めてはどうだろうか。
彼女に代表される「絶対安全」を求めるヒステリーは、日本社会の病である。これは彼女が派遣労働の禁止を求めていることと無関係ではない。どちらも目先の不快な現象をなくすことだけを求め、その結果を気にしない。原発を止めることによる「安心」のメリットはわかりやすいが、それによって電気代の値上げや成長率の低下が起こるのは先のことなので、因果関係がよくわからない。夏になって電力が足りなくなったら、また「政府の失策だ」とか何とか攻撃すればいいのだ。
このように短期的なメリットがわかりやすく長期的なコストがわかりにくいとき、前者だけを追求して後者は他人(あるいは政府)に負担させるモラルハザードは、福島氏に固有ではない。北尾吉孝氏も指摘するように、東電のような地域独占企業が"too big to fail"を当てにして原発事故のようなtail riskを取るのは、このような非対称的な利得構造のゲームでは合理的なのだ。
自民党政権も、バラマキ公共事業という目先の利益を求めて、財政破綻というtail riskを取ってきた。民主党では、それがバラマキ福祉になっただけだ。つまり福島みずほ的モラルハザードは、日本の政治家に(そして国民に)深く根ざしたもので、万年野党の場合はリスクをまったく負わないので非対称性が明確に出るが、与党はわかりにくいtail riskとしてごまかすだけの違いなのだ。
この無責任体質は、日本社会のムラ的な構造に根ざしているのかもしれない。人々のリスクを共同体で吸収することは、農村では当然のシステムだ。天候不順で作物ができないことはよくあるので、「自己責任」にすると運の悪い人は餓死してしまう。頼母子講のような長期的関係で相互扶助するしくみは、グラミン銀行のように途上国では広く見られる。
こういう相互扶助システムは、母体が農村のような「小さな社会」ならグラミン銀行のようにモニタリングがきくが、1億人以上の「大きな社会」では因果関係が遠くなるので、際限なく問題を先送りする結果になる。そのtail riskが爆発すればわかるだろう――というのは楽観的で、福島事故に見られるように、そのときは因果関係がわからないので、別のヒステリーが起こってしまう。
みずほ銀行の事故も、経営陣が古いバッチ処理システムを延命して問題を先送りしたことが原因だという。システム更新のコストは大きいが、それによる収益の改善が見えにくいため、システムダウンというtail riskを取ったわけだ。これが「福島みずほ」症候群である。
ハハハ、痛烈ですね。
そして、正しい認識です。
この方は、人間の欺瞞をえぐり出す才能を持ってます。
でも、実社会では、近づきたくはありませんが。(笑)
以下は、「大阪府知事が「福島みずほ」になるとき」からの抜粋です。
関電のコストを倍増させておいて「値上げするな」という松井知事は、関電が打ち出の小槌でも持っていると思っているのだろうか。このような福島みずほ症候群は、珍しいものではない。きれいごとを言って、責任は他人にとらせようというフリーライダーは、すべての日本人の心の中に住んでいるのだ。
そういう日本の伝統を丸山眞男は「動機の純粋性」と呼んだ。日本人が倫理の基準にするのは、その行動が何らかの客観的基準に照らして正しいかどうかではなく、その動機が純粋かどうかである。それを記紀などではキヨキココロと呼び、これと対立する邪悪な動機をキタナキココロと呼んだ。ここで問われているのは行動の結果ではなく、そのもとになる感情である。
このような倫理観は日本に特有のものだ、と丸山はいう。たとえば中国では、儒教の「天道」とか「天理」といった形而上学的な概念で倫理が決まり、そういう規則に従う行動が正しいとされる。これに対して日本ではそういう超越的な価値体系がないため、善悪の基準は美的・感覚的なものになるのだ。
反原発派の言説も、こうした日本的伝統を受け継いでいる。「原子力村」や「御用学者」はキタナキココロだからすべて悪であり、それを批判する人はキヨキココロだから、科学的に正しいかどうかは問われない。京大に40年も勤務して学術論文を1本も書けない万年助手も「キヨキココロのゆえに迫害された」として英雄になり、内容を問わないで「東大話法」がどうとかいう下らない話をくり返す。
こうした福島みずほ的な甘えの最たるものが日教組である。「子供のため」というキヨキココロですべての怠慢や非効率を正当化するフリーライダーこそ、橋下市長や松井知事が闘ってきたものではないのか。「大阪には許認可権はないから言いたいことを言っていればいい」というのでは、彼らの批判する日教組と同じだ。
丸山眞男さんの分析は、さすがです。
池田さんは、ちょっと下品に感じます。
池田信夫
首相の「要請」で浜岡原発が停止されてから、各地で原発停止の住民運動が広がっている。それは当然だろう。地震確率0.0%の福島第一原発で事故が起こったのだから、地震のリスクを基準にすれば日本のすべての原発が危険だ。
この問題で一貫して明快な主張をしているのは、社民党の福島みずほ党首である。彼女は以前から浜岡の停止を求めており、今度はさらに進んで「命を大事にするために、すべての原発を即刻止めるべきだ」と主張している。その通りである。もっと一貫して、命を大事にするために、すべての自動車と飛行機の禁止を求めてはどうだろうか。
彼女に代表される「絶対安全」を求めるヒステリーは、日本社会の病である。これは彼女が派遣労働の禁止を求めていることと無関係ではない。どちらも目先の不快な現象をなくすことだけを求め、その結果を気にしない。原発を止めることによる「安心」のメリットはわかりやすいが、それによって電気代の値上げや成長率の低下が起こるのは先のことなので、因果関係がよくわからない。夏になって電力が足りなくなったら、また「政府の失策だ」とか何とか攻撃すればいいのだ。
このように短期的なメリットがわかりやすく長期的なコストがわかりにくいとき、前者だけを追求して後者は他人(あるいは政府)に負担させるモラルハザードは、福島氏に固有ではない。北尾吉孝氏も指摘するように、東電のような地域独占企業が"too big to fail"を当てにして原発事故のようなtail riskを取るのは、このような非対称的な利得構造のゲームでは合理的なのだ。
自民党政権も、バラマキ公共事業という目先の利益を求めて、財政破綻というtail riskを取ってきた。民主党では、それがバラマキ福祉になっただけだ。つまり福島みずほ的モラルハザードは、日本の政治家に(そして国民に)深く根ざしたもので、万年野党の場合はリスクをまったく負わないので非対称性が明確に出るが、与党はわかりにくいtail riskとしてごまかすだけの違いなのだ。
この無責任体質は、日本社会のムラ的な構造に根ざしているのかもしれない。人々のリスクを共同体で吸収することは、農村では当然のシステムだ。天候不順で作物ができないことはよくあるので、「自己責任」にすると運の悪い人は餓死してしまう。頼母子講のような長期的関係で相互扶助するしくみは、グラミン銀行のように途上国では広く見られる。
こういう相互扶助システムは、母体が農村のような「小さな社会」ならグラミン銀行のようにモニタリングがきくが、1億人以上の「大きな社会」では因果関係が遠くなるので、際限なく問題を先送りする結果になる。そのtail riskが爆発すればわかるだろう――というのは楽観的で、福島事故に見られるように、そのときは因果関係がわからないので、別のヒステリーが起こってしまう。
みずほ銀行の事故も、経営陣が古いバッチ処理システムを延命して問題を先送りしたことが原因だという。システム更新のコストは大きいが、それによる収益の改善が見えにくいため、システムダウンというtail riskを取ったわけだ。これが「福島みずほ」症候群である。
ハハハ、痛烈ですね。
そして、正しい認識です。
この方は、人間の欺瞞をえぐり出す才能を持ってます。
でも、実社会では、近づきたくはありませんが。(笑)
以下は、「大阪府知事が「福島みずほ」になるとき」からの抜粋です。
関電のコストを倍増させておいて「値上げするな」という松井知事は、関電が打ち出の小槌でも持っていると思っているのだろうか。このような福島みずほ症候群は、珍しいものではない。きれいごとを言って、責任は他人にとらせようというフリーライダーは、すべての日本人の心の中に住んでいるのだ。
そういう日本の伝統を丸山眞男は「動機の純粋性」と呼んだ。日本人が倫理の基準にするのは、その行動が何らかの客観的基準に照らして正しいかどうかではなく、その動機が純粋かどうかである。それを記紀などではキヨキココロと呼び、これと対立する邪悪な動機をキタナキココロと呼んだ。ここで問われているのは行動の結果ではなく、そのもとになる感情である。
このような倫理観は日本に特有のものだ、と丸山はいう。たとえば中国では、儒教の「天道」とか「天理」といった形而上学的な概念で倫理が決まり、そういう規則に従う行動が正しいとされる。これに対して日本ではそういう超越的な価値体系がないため、善悪の基準は美的・感覚的なものになるのだ。
反原発派の言説も、こうした日本的伝統を受け継いでいる。「原子力村」や「御用学者」はキタナキココロだからすべて悪であり、それを批判する人はキヨキココロだから、科学的に正しいかどうかは問われない。京大に40年も勤務して学術論文を1本も書けない万年助手も「キヨキココロのゆえに迫害された」として英雄になり、内容を問わないで「東大話法」がどうとかいう下らない話をくり返す。
こうした福島みずほ的な甘えの最たるものが日教組である。「子供のため」というキヨキココロですべての怠慢や非効率を正当化するフリーライダーこそ、橋下市長や松井知事が闘ってきたものではないのか。「大阪には許認可権はないから言いたいことを言っていればいい」というのでは、彼らの批判する日教組と同じだ。
丸山眞男さんの分析は、さすがです。
池田さんは、ちょっと下品に感じます。
世界の現実と日本の“反原発”の距離感 モーリー・ロバートソン「日本だけ脱原発……って、どうなんだろう?」
世界の現実と日本の“反原発”の距離感 モーリー・ロバートソン「日本だけ脱原発……って、どうなんだろう?」
[2012年07月11日] 週プレニュース
「原発運動は“自壊”する」
今年1月、ツイッターー上でそう予言したひとりの人物がいる。
モーリー・ロバートソン。ミュージシャン、DJなどさまざまな肩書を持ち、国際ジャーナリストとしても活躍中のアメリカ人だ。
いわく、「全原発の即時廃炉」を求める声だけが拡大され、それ以外のことはなかなか口にできない空気に覆われている。二項対立の世界観や話法に呪縛されたこの運動は、遅かれ早かれ“現実の壁”にぶち当たって敗北する――。
関西電力・大飯(おおい)原発3、4号機の再稼働決定後、脱原発運動は拡大しているようにも見えるが、やはり彼は「これは長続きしない」と言う。現在の運動の問題点、そしてグローバルな観点から見た「日本の脱原発」の課題とは?
■海外メディアだってインチキは山ほどある
―今後、脱原発運動はしぼんでいくと予測されていますね。
モーリー はい。脱原発を目指すこと自体は、理想とか将来に向けての目標としては至極健全だと思うんですよ。だけど「やり方」がよくない。脱原発という目的達成のためなら科学的、経済的、現実的な検証をしなくてもかまわないんだ、という空気が定着してしまったじゃないですか。
瓦礫(がれき)は持ってくるな! 悪いのは政府だ! 電力会社なんか潰れてしまえ! あのような怒りに任せた活動が、多くの人の共感を勝ち得るのは難しいですよ。
―そもそも、なぜこうなってしまったんでしょう。
モーリー 事故直後、日本政府とマスメディアの情報発信機能がダメダメになったとき、欧米の新聞は「日本政府は隠蔽(いんぺい)している」という記事ばかりになりました。それはそれで一部事実だったんだけど、そこにつけ込んで妙な情報を発信する活動家みたいな人が現れて、それがどんどん広がっていった。「日本政府は国民を見殺しにしている」的な。
―それに、一般の人々もかなり煽(あお)られてしまったと。
モーリー 日本のマスメディアを疑うあまり、海外のメディアや情報発信者を無条件に礼賛(らいさん)する人もいますが、海外だっていろいろです。それこそあの当時は、世界中のタブロイドやインチキメディア、エセ科学者やトンデモ系ジャーナリストが、あることないこと書きたてて盛り上がっていた。
そういう“飛ばしネタ”を紹介して「日本はもう滅亡するぞ」と言い放つ活動家がいたのには辟易(へきえき)しましたが、意外にもそれがけっこう広がってしまった。メディアリテラシーの問題もそうですが、それ以前にもう少し英語のわかる日本人が多ければ、あの玉石混交(ぎょくせきこんこう)を仕分けることができたのかなぁと思います。
―いまだに「日本が滅亡する」と思っている人は少ないでしょうが、そうした言説が広がってしまった影響は今の反原発運動にも残っているような気がします。
モーリー 東電は利権を手放したくないから、みんなをがんにしてでも原発を推進する。マスコミはそれに逆らえない。そもそも原子力は、CIAが正力(しょうりき)松太郎をエージェントとして使って普及させた。原発には「核兵器に転用できるプルトニウムの貯蔵庫」という役割があった……。気づいた頃には、左翼活動の歴史観みたいなものが重なり合ってきました。
仮にその一部が本当だったとしても、「原発依存の上に成り立ってきた豊かな日本」という現実は苦々しくも受け入れなければならない。だけど、多くの反原発派にはその視点がないんです。自分たちは無限に潔白な被害者だ、と。現在の運動参加者の多くは、デモなどに初めて関わる“素人”だと思いますが、
―しかし、その点を指摘すると反発もかなり大きいのでは?
モーリー まあ、その手の人から言わせると、僕は“御用ジャーナリスト”のようです。一応、「疑わしい過去」がありますから。
―疑わしい、とは?
モーリー まず父親のこと。僕の父は1968年から76年まで、広島市の原爆傷害調査委員会に研究医として勤めていました。このことで、僕の言説の妥当性を疑う人がいる。5歳から13歳の頃の父親の職業なんて、まったく関係ないと思うのですが。
あと、僕は原子力業界からお金を受け取って講演したこともある。お金はもらわないと食べていけないので、そこはご理解いただきたいのですが、それでもジャーナリストとして独立性は守りました。原子力推進の話しかさせないという依頼は受けないようにしていたし、実際に講演では原子力業界の“問題”も指摘しました。一方で、僕はガチの反原発派が主催するお祭りにも参加したことがあるんですよ。
―脱原発デモや集会には多くの著名人が参加しています。
モーリー 坂本龍一さんとかね。僕は彼の大ファンで、音楽家としてすごく尊敬しています。しかし、この問題での彼の発言には違和感がある。例えば、彼は即廃炉を主張していますが、廃炉にした場合としなかった場合それぞれの環境リスクとか、科学的な検証をご自分でされているのでしょうか? そうでないなら、それは無責任だと思います。
彼を支持する人たちも、坂本龍一が好きだからといって、その主張を無条件で受け入れていいんですかね? そういう情緒でつながる横滑りって、すっごく安易だと思います。
―その人の知名度や“看板”で決めてしまってはダメだと。
モーリー それと「世界」を知ることが決定的に重要です。例えば、アメリカにはスチュアート・ブランドという60年代から環境活動をしている人がいます。昔は反原発活動家だったんですが、近年、考え方を180度変え、地球温暖化を防ぐには原発しかないと言っている。ガチガチの反原発派がなぜそうなったか。「魂を売ったから」などと短絡的なことを言わずに、その経緯を追っていけばもっと視野が広がると思います。
―世界中が思いを共有しているわけではない。
モーリー 結論から言うと、「一国からの脱原発」は不可能だと思います。今、世界ではどんどん原発が拡散しようとしている。インド、ベトナム、UAE、ブラジル……特に中国では、今後100基以上の原発が建設される予定です。先進国にいるわれわれが、それをただ「けしからん」と言えるでしょうか。石炭燃料で電気をつくり、街は燃費の悪いバイクや車の排ガスで息苦しい。そんな国々に、「このまま頑張れ」と言うことが許されるでしょうか。
石油は戦争をもたらし、北米のシェールガスは掘削による地震や水の汚染リスクが指摘されていて、石炭の健康被害も明らか。そういった問題を踏まえた上で、福島の教訓を生かして世界と対話していかなければ。世界のリアリティを複眼的に、国境の中だけじゃなく外から見ることが必要なんです。途上国の気持ちを無視して、自分たちだけは放射能に汚れたくない……なんていう時代じゃない。今、必要なのは真のエコロジーを語るリーダーだと思います。
―それでも「日本から脱原発を」という声もありますが……。
モーリー 素晴らしい理想。ただ悲しいかな、まったく現実的ではない。本気でエコロジーや人類の幸せを達成したいなら、歴史も経済も科学も無視し、人々を動員して叫んだところで何も解決しない。便利なコンビニの中に立てこもって出てこないようなレトリックじゃ、何も変わらないんです。
(取材・文/コバタカヒト 撮影/高橋定敬)
■MORLEY ROBERTSON (モーリー・ロバートソン)
1963年生まれ、米ニューヨーク出身。父はアメリカ人、母は日本人。東京大学、イェール大学、マサチューセッツ工科大学、スタンフォード大学などに現役合格したが、東大を3ヵ月で中退、ハーバード大学へ。88年、同大卒。現在はジャーナリスト、作家、ミュージシャンとして幅広く活動。著書に『よくひとりぼっちだった』(文藝春秋)など
[2012年07月11日] 週プレニュース
「原発運動は“自壊”する」
今年1月、ツイッターー上でそう予言したひとりの人物がいる。
モーリー・ロバートソン。ミュージシャン、DJなどさまざまな肩書を持ち、国際ジャーナリストとしても活躍中のアメリカ人だ。
いわく、「全原発の即時廃炉」を求める声だけが拡大され、それ以外のことはなかなか口にできない空気に覆われている。二項対立の世界観や話法に呪縛されたこの運動は、遅かれ早かれ“現実の壁”にぶち当たって敗北する――。
関西電力・大飯(おおい)原発3、4号機の再稼働決定後、脱原発運動は拡大しているようにも見えるが、やはり彼は「これは長続きしない」と言う。現在の運動の問題点、そしてグローバルな観点から見た「日本の脱原発」の課題とは?
■海外メディアだってインチキは山ほどある
―今後、脱原発運動はしぼんでいくと予測されていますね。
モーリー はい。脱原発を目指すこと自体は、理想とか将来に向けての目標としては至極健全だと思うんですよ。だけど「やり方」がよくない。脱原発という目的達成のためなら科学的、経済的、現実的な検証をしなくてもかまわないんだ、という空気が定着してしまったじゃないですか。
瓦礫(がれき)は持ってくるな! 悪いのは政府だ! 電力会社なんか潰れてしまえ! あのような怒りに任せた活動が、多くの人の共感を勝ち得るのは難しいですよ。
―そもそも、なぜこうなってしまったんでしょう。
モーリー 事故直後、日本政府とマスメディアの情報発信機能がダメダメになったとき、欧米の新聞は「日本政府は隠蔽(いんぺい)している」という記事ばかりになりました。それはそれで一部事実だったんだけど、そこにつけ込んで妙な情報を発信する活動家みたいな人が現れて、それがどんどん広がっていった。「日本政府は国民を見殺しにしている」的な。
―それに、一般の人々もかなり煽(あお)られてしまったと。
モーリー 日本のマスメディアを疑うあまり、海外のメディアや情報発信者を無条件に礼賛(らいさん)する人もいますが、海外だっていろいろです。それこそあの当時は、世界中のタブロイドやインチキメディア、エセ科学者やトンデモ系ジャーナリストが、あることないこと書きたてて盛り上がっていた。
そういう“飛ばしネタ”を紹介して「日本はもう滅亡するぞ」と言い放つ活動家がいたのには辟易(へきえき)しましたが、意外にもそれがけっこう広がってしまった。メディアリテラシーの問題もそうですが、それ以前にもう少し英語のわかる日本人が多ければ、あの玉石混交(ぎょくせきこんこう)を仕分けることができたのかなぁと思います。
―いまだに「日本が滅亡する」と思っている人は少ないでしょうが、そうした言説が広がってしまった影響は今の反原発運動にも残っているような気がします。
モーリー 東電は利権を手放したくないから、みんなをがんにしてでも原発を推進する。マスコミはそれに逆らえない。そもそも原子力は、CIAが正力(しょうりき)松太郎をエージェントとして使って普及させた。原発には「核兵器に転用できるプルトニウムの貯蔵庫」という役割があった……。気づいた頃には、左翼活動の歴史観みたいなものが重なり合ってきました。
仮にその一部が本当だったとしても、「原発依存の上に成り立ってきた豊かな日本」という現実は苦々しくも受け入れなければならない。だけど、多くの反原発派にはその視点がないんです。自分たちは無限に潔白な被害者だ、と。現在の運動参加者の多くは、デモなどに初めて関わる“素人”だと思いますが、
―しかし、その点を指摘すると反発もかなり大きいのでは?
モーリー まあ、その手の人から言わせると、僕は“御用ジャーナリスト”のようです。一応、「疑わしい過去」がありますから。
―疑わしい、とは?
モーリー まず父親のこと。僕の父は1968年から76年まで、広島市の原爆傷害調査委員会に研究医として勤めていました。このことで、僕の言説の妥当性を疑う人がいる。5歳から13歳の頃の父親の職業なんて、まったく関係ないと思うのですが。
あと、僕は原子力業界からお金を受け取って講演したこともある。お金はもらわないと食べていけないので、そこはご理解いただきたいのですが、それでもジャーナリストとして独立性は守りました。原子力推進の話しかさせないという依頼は受けないようにしていたし、実際に講演では原子力業界の“問題”も指摘しました。一方で、僕はガチの反原発派が主催するお祭りにも参加したことがあるんですよ。
―脱原発デモや集会には多くの著名人が参加しています。
モーリー 坂本龍一さんとかね。僕は彼の大ファンで、音楽家としてすごく尊敬しています。しかし、この問題での彼の発言には違和感がある。例えば、彼は即廃炉を主張していますが、廃炉にした場合としなかった場合それぞれの環境リスクとか、科学的な検証をご自分でされているのでしょうか? そうでないなら、それは無責任だと思います。
彼を支持する人たちも、坂本龍一が好きだからといって、その主張を無条件で受け入れていいんですかね? そういう情緒でつながる横滑りって、すっごく安易だと思います。
―その人の知名度や“看板”で決めてしまってはダメだと。
モーリー それと「世界」を知ることが決定的に重要です。例えば、アメリカにはスチュアート・ブランドという60年代から環境活動をしている人がいます。昔は反原発活動家だったんですが、近年、考え方を180度変え、地球温暖化を防ぐには原発しかないと言っている。ガチガチの反原発派がなぜそうなったか。「魂を売ったから」などと短絡的なことを言わずに、その経緯を追っていけばもっと視野が広がると思います。
―世界中が思いを共有しているわけではない。
モーリー 結論から言うと、「一国からの脱原発」は不可能だと思います。今、世界ではどんどん原発が拡散しようとしている。インド、ベトナム、UAE、ブラジル……特に中国では、今後100基以上の原発が建設される予定です。先進国にいるわれわれが、それをただ「けしからん」と言えるでしょうか。石炭燃料で電気をつくり、街は燃費の悪いバイクや車の排ガスで息苦しい。そんな国々に、「このまま頑張れ」と言うことが許されるでしょうか。
石油は戦争をもたらし、北米のシェールガスは掘削による地震や水の汚染リスクが指摘されていて、石炭の健康被害も明らか。そういった問題を踏まえた上で、福島の教訓を生かして世界と対話していかなければ。世界のリアリティを複眼的に、国境の中だけじゃなく外から見ることが必要なんです。途上国の気持ちを無視して、自分たちだけは放射能に汚れたくない……なんていう時代じゃない。今、必要なのは真のエコロジーを語るリーダーだと思います。
―それでも「日本から脱原発を」という声もありますが……。
モーリー 素晴らしい理想。ただ悲しいかな、まったく現実的ではない。本気でエコロジーや人類の幸せを達成したいなら、歴史も経済も科学も無視し、人々を動員して叫んだところで何も解決しない。便利なコンビニの中に立てこもって出てこないようなレトリックじゃ、何も変わらないんです。
(取材・文/コバタカヒト 撮影/高橋定敬)
■MORLEY ROBERTSON (モーリー・ロバートソン)
1963年生まれ、米ニューヨーク出身。父はアメリカ人、母は日本人。東京大学、イェール大学、マサチューセッツ工科大学、スタンフォード大学などに現役合格したが、東大を3ヵ月で中退、ハーバード大学へ。88年、同大卒。現在はジャーナリスト、作家、ミュージシャンとして幅広く活動。著書に『よくひとりぼっちだった』(文藝春秋)など
科学から見た反原発の問題点 菊池 誠「“御用”のレッテルで科学を殺すな」
科学から見た反原発の問題点 菊池 誠「“御用”のレッテルで科学を殺すな」
[2012年07月03日] 週プレニュース
福島第一原発事故以降、「御用学者」と罵声を浴びせられたこともある菊池 誠教授。それでも彼が発言を続けた理由とは?
あらゆる情報が錯綜し、安全なのか危険なのか、それどころか何が起こっているのかさえよくわからなかった福島第一原発事故の直後、「直ちに健康に影響はありません」という“大本営発表”に心から安心できた人はどれほどいただろうか。そんななか、ツイッターでより正確な情報発信を試みた何人かの科学者がいた。
そのひとりが、大阪大学サイバーメディアセンター教授の菊池誠氏だ。特にインターネット上や週刊誌上で飛び交う、科学的根拠やソースの怪しい危険情報について、彼は「それはおかしい」「真実ではない」と注文をつけ続けた。そんな姿勢に“御用学者”と罵声を浴びせる人たちもいたが、それでもなお発信をやめなかったのは科学者としての責務か、それとも人としての正義感だったのか―。
***
■とんでもないことを言う“専門家”もいた
―菊池先生の原発事故関連のツイートは、かなり大きな反響があったと思います。
菊池 “ニセ科学”の問題点を批判するようなことを何年もやっていて、今回の震災以前からブログなどで発表していました。ですから、ツイッターでの反響には面食らった部分もあります。内容も僕としては特別なつもりはありませんでした。
科学的に見てあまりにもあり得ない話があったら「それはない」と言ったり、当初から科学的な考察をしておられた東京大学の早野龍五(はやのりゅうご)先生とか、KEK(高エネルギー加速器研究機構)の野尻(のじり)美保子先生のツイッターを読むことを勧めたり。
―事故の影響に関して、専門家がもっと自発的に情報発信すべきだったと思いますか?
菊池 本当の意味での原子力の専門家がほとんど表に出てこなかったのは残念でした。もちろん、一部の専門家は事故直後からテレビにも出ていましたが、ご存じのように彼らの安全寄りの予想は外れ、事故は拡大していった。それで彼らが信用をなくしてしまったことが、その後に大きく影響したと思います。
また、容赦なく“御用学者”というレッテルが貼られるようになったことも、彼らが口をつぐんでしまった理由かもしれません。いずれにせよ、初期のつまずきで彼らの意見があまり表に出なくなったのは、われわれにとって大きな損失だったと思います。一番の専門家による専門知識を得られなくなったわけですから。
― 一部には、原子力業界と関係のない科学者についても、少しでも安全寄りな話をするとすぐに“御用”と呼ぶような風潮もありました。
菊池 御用学者という言葉を好んで広範囲に使った人たちやメディアもありました。週プレにも怪しい記事はありましたが、ほかの週刊誌ではもっとひどい記事があった。意見の中身を見ず、その人の社会的立場や結論だけから御用学者と決めつけてしまう。一方で、ものすごくセンセーショナルなことを言う“専門家”をもてはやす。科学者の肩書でも、とんでもないことを言う人がいました。
―同じ“科学者”なのに、言うことが全然違う。一般の人たちは当然混乱してしまいます。
菊池 ひどくおかしなことを言っているなぁとすぐにわかるはずのことも信じられてしまいました。例えば、水素爆発を「核爆発だ」とおっしゃる科学者もいた。でも、原子炉の核反応と核爆弾の核爆発がまったく違うのは科学者なら常識です。そういうでたらめなことを言っている、専門家ともいえない国内外の人たちが混乱を助長した面はあると思います。さすがに今は、ああいう極端な話をする人間は信用しなくていいと気づいた方も多いでしょうが、そういった話をいまだに真に受けている方もおられます。
―一般人にも“科学的思考”が必要ということでしょうか。
菊池 知識は力になります。難しいことはいらないので、基本的なところを少し勉強してみてほしい。放射能のリスクについても、危険か安全かの話の前に、まず放射線とはどういうものかを少し知る。遠回りに感じるかもしれませんが、それが役に立つと思います。自分の感覚的な価値観だけで結論を決めて、「とにかく危険」という話しか耳に入れない人も少なくない。でも、基本的なところを理解すれば、怪しい話かどうかは見分けられるはずです。
それとメディアの報道。両論併記さえすれば、それでバランスが取れると考えるのかもしれませんが、科学的な重みの違いもあわせて書いてほしい。さっきの核爆発にしても、そういう意見を言う自称“専門家”もいるにはいますが、科学的な重みでいえば「99対1」くらいで無意味です。でも、その差を言わなければ「50対50」に見えてしまい、実態とかけ離れた印象を与えてしまう。中途半端な両論併記は、かえって読者の適切な判断を妨げると思います。
―今の福島の状況についても、本当にいろいろな説が出回っています。
菊池 あれだけの放射能汚染があったわけですからリスクはあります。例えば福島市や郡山(こおりやま)市に住むなら、小さいとはいえ、明らかに放射能によるリスクが増している。ただ、事故から1年以上が経過し、綿密な調査によって、例えば子供たちの内部被曝が当初心配されていたほどではないことなどがわかってきました。
ところが、一方で福島の被害を大きく見せようとする人たちもいる。一部の先鋭化した人たちは今も「子供が住むべき所ではない」と声高に叫んでいます。彼らは正義感でやっているわけですが、だからといって事実ではないことを吹聴するのが許されるとは思えない。危険を強調したほうが人々のためになると言う人もいますが、小さいリスクを「大きい」と叫ぶことの弊害も決して小さくありません。住むか住まないかは各個人の判断を尊重すべきです。
―彼らは、放射線量について行政側の発表を信じていません。
菊池 側溝など放射性物質がたまりやすいとわかっている場所を測定すれば、極端に高い数値も出ます。でも、そこをわざわざ測って「こんなに高い!」と言っても意味がないんです。そこに住んでいる人にとって本当に必要なのは、側溝ではなく現実の生活空間そのものに即した情報です。動機は正義感かもしれないけど、放射能の危険を強調するために使えそうな情報を選んでいるだけでは、あまりにも無責任です。
正義の目的があり、その達成のためなら福島に住んでいる人がより不幸になっても構わないと考えているようにさえ見える。震災がれきの受け入れ問題でも、被災地の現状に目を向けているようには思えない。彼らは否定するだろうけど、結果として被災地をさらに不幸にしてしまっている。脱原発運動はいいのだけど、そういうおかしな正義感に基づいた運動では、決して被災地のためにも誰のためにもならないと思います。
―一部、先鋭化した反原発派から“御用学者”となじられても発言を続けてきた理由は?
菊池 責任感とか正義感ではないですね……。大したことも言っていないと思います。ただ単に、変な話が流布(るふ)するのが嫌なんです。それによって傷つく人や差別される人がいるのが悲しい。昨年の3月11日に津波の映像を見て以来、1年以上ずっと気持ちは晴れません。原発や放射能のことしか考えていない人たちに、こう問いたい。震災と津波で多くの犠牲者が出たことを、本当に覚えていますか?
(取材・文/コバタカヒト 撮影/高橋定敬)
■菊池 誠(きくち・まこと)
1958年生まれ。東北大学理学研究科物理学専攻修了(理学博士)。大阪大学サイバーメディアセンター教授。「ニセ科学フォーラム」実行委員。著書に『科学と神秘のあいだ』(筑摩書房)、『信じぬ者は救われる』(香山リカ氏との共著・かもがわ出版)、『もうダマされないための「科学」講義』(計5名の共著・光文社新書)などがある
[2012年07月03日] 週プレニュース
福島第一原発事故以降、「御用学者」と罵声を浴びせられたこともある菊池 誠教授。それでも彼が発言を続けた理由とは?
あらゆる情報が錯綜し、安全なのか危険なのか、それどころか何が起こっているのかさえよくわからなかった福島第一原発事故の直後、「直ちに健康に影響はありません」という“大本営発表”に心から安心できた人はどれほどいただろうか。そんななか、ツイッターでより正確な情報発信を試みた何人かの科学者がいた。
そのひとりが、大阪大学サイバーメディアセンター教授の菊池誠氏だ。特にインターネット上や週刊誌上で飛び交う、科学的根拠やソースの怪しい危険情報について、彼は「それはおかしい」「真実ではない」と注文をつけ続けた。そんな姿勢に“御用学者”と罵声を浴びせる人たちもいたが、それでもなお発信をやめなかったのは科学者としての責務か、それとも人としての正義感だったのか―。
***
■とんでもないことを言う“専門家”もいた
―菊池先生の原発事故関連のツイートは、かなり大きな反響があったと思います。
菊池 “ニセ科学”の問題点を批判するようなことを何年もやっていて、今回の震災以前からブログなどで発表していました。ですから、ツイッターでの反響には面食らった部分もあります。内容も僕としては特別なつもりはありませんでした。
科学的に見てあまりにもあり得ない話があったら「それはない」と言ったり、当初から科学的な考察をしておられた東京大学の早野龍五(はやのりゅうご)先生とか、KEK(高エネルギー加速器研究機構)の野尻(のじり)美保子先生のツイッターを読むことを勧めたり。
―事故の影響に関して、専門家がもっと自発的に情報発信すべきだったと思いますか?
菊池 本当の意味での原子力の専門家がほとんど表に出てこなかったのは残念でした。もちろん、一部の専門家は事故直後からテレビにも出ていましたが、ご存じのように彼らの安全寄りの予想は外れ、事故は拡大していった。それで彼らが信用をなくしてしまったことが、その後に大きく影響したと思います。
また、容赦なく“御用学者”というレッテルが貼られるようになったことも、彼らが口をつぐんでしまった理由かもしれません。いずれにせよ、初期のつまずきで彼らの意見があまり表に出なくなったのは、われわれにとって大きな損失だったと思います。一番の専門家による専門知識を得られなくなったわけですから。
― 一部には、原子力業界と関係のない科学者についても、少しでも安全寄りな話をするとすぐに“御用”と呼ぶような風潮もありました。
菊池 御用学者という言葉を好んで広範囲に使った人たちやメディアもありました。週プレにも怪しい記事はありましたが、ほかの週刊誌ではもっとひどい記事があった。意見の中身を見ず、その人の社会的立場や結論だけから御用学者と決めつけてしまう。一方で、ものすごくセンセーショナルなことを言う“専門家”をもてはやす。科学者の肩書でも、とんでもないことを言う人がいました。
―同じ“科学者”なのに、言うことが全然違う。一般の人たちは当然混乱してしまいます。
菊池 ひどくおかしなことを言っているなぁとすぐにわかるはずのことも信じられてしまいました。例えば、水素爆発を「核爆発だ」とおっしゃる科学者もいた。でも、原子炉の核反応と核爆弾の核爆発がまったく違うのは科学者なら常識です。そういうでたらめなことを言っている、専門家ともいえない国内外の人たちが混乱を助長した面はあると思います。さすがに今は、ああいう極端な話をする人間は信用しなくていいと気づいた方も多いでしょうが、そういった話をいまだに真に受けている方もおられます。
―一般人にも“科学的思考”が必要ということでしょうか。
菊池 知識は力になります。難しいことはいらないので、基本的なところを少し勉強してみてほしい。放射能のリスクについても、危険か安全かの話の前に、まず放射線とはどういうものかを少し知る。遠回りに感じるかもしれませんが、それが役に立つと思います。自分の感覚的な価値観だけで結論を決めて、「とにかく危険」という話しか耳に入れない人も少なくない。でも、基本的なところを理解すれば、怪しい話かどうかは見分けられるはずです。
それとメディアの報道。両論併記さえすれば、それでバランスが取れると考えるのかもしれませんが、科学的な重みの違いもあわせて書いてほしい。さっきの核爆発にしても、そういう意見を言う自称“専門家”もいるにはいますが、科学的な重みでいえば「99対1」くらいで無意味です。でも、その差を言わなければ「50対50」に見えてしまい、実態とかけ離れた印象を与えてしまう。中途半端な両論併記は、かえって読者の適切な判断を妨げると思います。
―今の福島の状況についても、本当にいろいろな説が出回っています。
菊池 あれだけの放射能汚染があったわけですからリスクはあります。例えば福島市や郡山(こおりやま)市に住むなら、小さいとはいえ、明らかに放射能によるリスクが増している。ただ、事故から1年以上が経過し、綿密な調査によって、例えば子供たちの内部被曝が当初心配されていたほどではないことなどがわかってきました。
ところが、一方で福島の被害を大きく見せようとする人たちもいる。一部の先鋭化した人たちは今も「子供が住むべき所ではない」と声高に叫んでいます。彼らは正義感でやっているわけですが、だからといって事実ではないことを吹聴するのが許されるとは思えない。危険を強調したほうが人々のためになると言う人もいますが、小さいリスクを「大きい」と叫ぶことの弊害も決して小さくありません。住むか住まないかは各個人の判断を尊重すべきです。
―彼らは、放射線量について行政側の発表を信じていません。
菊池 側溝など放射性物質がたまりやすいとわかっている場所を測定すれば、極端に高い数値も出ます。でも、そこをわざわざ測って「こんなに高い!」と言っても意味がないんです。そこに住んでいる人にとって本当に必要なのは、側溝ではなく現実の生活空間そのものに即した情報です。動機は正義感かもしれないけど、放射能の危険を強調するために使えそうな情報を選んでいるだけでは、あまりにも無責任です。
正義の目的があり、その達成のためなら福島に住んでいる人がより不幸になっても構わないと考えているようにさえ見える。震災がれきの受け入れ問題でも、被災地の現状に目を向けているようには思えない。彼らは否定するだろうけど、結果として被災地をさらに不幸にしてしまっている。脱原発運動はいいのだけど、そういうおかしな正義感に基づいた運動では、決して被災地のためにも誰のためにもならないと思います。
―一部、先鋭化した反原発派から“御用学者”となじられても発言を続けてきた理由は?
菊池 責任感とか正義感ではないですね……。大したことも言っていないと思います。ただ単に、変な話が流布(るふ)するのが嫌なんです。それによって傷つく人や差別される人がいるのが悲しい。昨年の3月11日に津波の映像を見て以来、1年以上ずっと気持ちは晴れません。原発や放射能のことしか考えていない人たちに、こう問いたい。震災と津波で多くの犠牲者が出たことを、本当に覚えていますか?
(取材・文/コバタカヒト 撮影/高橋定敬)
■菊池 誠(きくち・まこと)
1958年生まれ。東北大学理学研究科物理学専攻修了(理学博士)。大阪大学サイバーメディアセンター教授。「ニセ科学フォーラム」実行委員。著書に『科学と神秘のあいだ』(筑摩書房)、『信じぬ者は救われる』(香山リカ氏との共著・かもがわ出版)、『もうダマされないための「科学」講義』(計5名の共著・光文社新書)などがある
京都大学原子炉実験所教授・山名元 原発「不信と否定の空気」変えよ
京都大学原子炉実験所教授・山名元 原発「不信と否定の空気」変えよ
2012.6.15 03:05 産経新聞[正論]
わが国の原子力発電の必要性に関わる6月8日の野田佳彦首相の声明は、大飯原子力発電所の再稼働の意義を国民に伝える貴重な機会となった。翌日に行われた産経新聞社とFNNによる合同世論調査では、再稼働への賛成意見が反対意見を上回り、原子力の「負の側面」に強く反応したまま推移してきた世論に対し、「正の側面」も含めた総合的な判断が必要であることを、国のリーダーが国民に訴えたことには意義があった。
≪受け入れへの「4点セット」≫
原発が社会に受け入れられるには、(1)国の中長期的な方向性の中での役割と意義(必要性)(2)技術的な安全性(安全性)(3)実施主体や制度の機能とその信頼度(組織信頼)(4)原子力安全に対する心理的受容(安心)-が必要である。政府は、この「4点セット」を包含する十分な説明を、事故後の早いタイミングで国民に提示し、必要な改善策を速やかに進めるべきであったが、首尾一貫した姿勢を示せなかったことから、原子力への「不信と不安の空気」を国民の間に浸透させる結果となった。
以前の世論調査では、7割を超す国民が再稼働に否定的な意見であったが、この根底に「事業主体・制度・政府・関連組織などへの信頼の喪失と失望」と「安全への不安」があることは、容易に想像できる。また、多くの有識者や政治家が、原子力問題を技術の問題というよりは、「関係する主体や仕組みの、体質の問題」として批判していることも確かである。
だが、代替エネルギー源が急激には確保できないという中で、デフレや財政赤字などの深刻な問題からの脱却が急務になっているわが国にとって、体質批判だけを繰り返している時間的な余裕がないことも現実である。改めて、「4点セット」についての総合的な見解を国民の間で共有したうえで、安全性の改善や推進体制の体質の改善を加速していくべき段階に、すでに来ているのではないか。
≪「異常な言論空間」の形成も≫
残念なのは、原子力の推進体制や仕組みに対する、この「懐疑や反発の空気」が、本来交わされるべき安全性や必要性などの本質的な議論を俎上(そじょう)にすら上げられないような、非常に否定的な雰囲気を醸成してしまったことである。そうした「不信と否定の空気」が、「国民感情」を「錦の御旗」にしてしまって、原子力に関わる冷静な議論に、ブレーキをかけるポテンシャルとして定着してきた。
原子力政策に関して審議する場などでも、従来の原子力推進体制への批判や、原子力肯定意見の揚げ足取りに時間が割かれて、原子力の本質議論に入れないままで時間が過ぎ、本来優先されるべき原子力の必要性や安全の本質部分をめぐる議論が、十分に行えないまま時間とコストが浪費されているケースが少なくないのである。
社会的にも、この空気は度を越している面がある。例えば、インターネット上での関係者への誹謗(ひぼう)中傷をはじめ、「原子力性悪説」を前提としたメディア報道など、正当な議論を排除するような「異常な言論空間」が形成されてしまっている。原子力を冷静に語る意見を取り上げないばかりか封殺する状況に至っているのである。
一部のメディア報道では、いわゆる「原子力ムラ」批判として、原子力関係者を揶揄(やゆ)し、排除しようとする動きまでが見える。「ムラ」の構造的な問題が現にあるとしても、原子力に携わる技術者や専門家の多くは、原子力利用による国益や社会への貢献を目指して取り組んできた真面目な人々であり、彼らをパージすることには、損失こそあれ何ら利益はない。
≪心配な原子力技術の空洞化≫
「不信と否定の空気」が今後も続くと、多くの人材を失うことに繋(つな)がりかねない点も指摘したい。実際、東京電力はもちろん、電力事業や原発関連産業での技術者の流出が起こり始めていると聞く。文部科学省の調査によれば、全国の大学の原子力関係学部への入学者が2年連続で減少している。
ベテラン技術者の流出と、新しい優秀な人材の流入の減少が同時に進むと、今後、当面は原子力に向き合ってゆかざるを得ないわが国において、深刻な「技術の空洞化」が起こる。「病気を治すために極端な抗生物質を投与した結果、病因の悪玉菌だけでなく、体に必須の善玉菌まで駆逐して、結局、患者が死んでしまう…」というブラックジョーク(神津カンナ氏談)が、現実化する可能性があるのである。
今、急がれるのは、この「不信と否定の空気」を一刻も早く「冷静な空気」に戻すことである。大飯の再稼働をきっかけに、原子力の「4点セット」について冷静に議論できるように空気を入れ替えていくことが必要である。このことを、メディアにも、原発問題で大衆迎合主義に傾いている政治家にも、強く求めたい。野田首相声明のように、メディアや政治家が「原子力4点セット」に対する総合的な視点からの分析を行い、これを国民に提示して、国民の冷静な判断を育成していく段階に、すでに入っているはずである。(やまな はじむ)
しつこい感じもしますが、非常に鋭い文章だと思ったので。
「御用学者」や「原子力村」など、市民運動家や一部メディアにより、実態とかけ離れたイメージによる「レッテル貼り」が行われ、それがあたかも既成事実として存在するかのような状態になっています。
世の中には、一般人が知らないところで、権力者達が利権構造で結びついていて、(金のために)自分たちに都合の良いように物事を決定している、という「馬鹿げた被害妄想・陰謀論」が広まっています。(TV朝日の某ニュース番組が好きそうな話です)
最初は、半信半疑だった人も、繰り返し繰り返し、デマを聞かされるうちに、それが本当に存在するかのような錯覚に陥ってきます。
マスメディアがそれを取り上げることで、「そういう問題が存在する」ことが前提となってしまいます。
インターネットが「妄想や憎悪」を広げるための有力な手段となっており、「(誰でも発信できるが)内容の信憑性が確認できない」「極端な意見やレッテル張りが注目される」など、悪い側面が強く出ています。
「原子力村を破壊するために(利権構造を打破するために)、原子力を廃止しなくちゃいけない」など、本来別々の話を(意図的に)ごちゃ混ぜにして、住民に受け入れ易くさせ、かつ意見を一方向に誘導するための「感情論」にすり替えています。
その感情論に、(関西広域連合などの)政治家が乗っかって、政治的な対立軸にしようとしています。
本当に危険な状況だと感じています。
本来、「技術論」と「リスクマネジメント」が判断の中心となるべきです。
多分、大部分の人は冷静なのだと思いますが、「極端な少数者」の意見が強く出すぎているのだと思います。
本来あるべき状態に戻すためには、政治家のリーダーシップとマスコミの反省が必要だと思います。
2012.6.15 03:05 産経新聞[正論]
わが国の原子力発電の必要性に関わる6月8日の野田佳彦首相の声明は、大飯原子力発電所の再稼働の意義を国民に伝える貴重な機会となった。翌日に行われた産経新聞社とFNNによる合同世論調査では、再稼働への賛成意見が反対意見を上回り、原子力の「負の側面」に強く反応したまま推移してきた世論に対し、「正の側面」も含めた総合的な判断が必要であることを、国のリーダーが国民に訴えたことには意義があった。
≪受け入れへの「4点セット」≫
原発が社会に受け入れられるには、(1)国の中長期的な方向性の中での役割と意義(必要性)(2)技術的な安全性(安全性)(3)実施主体や制度の機能とその信頼度(組織信頼)(4)原子力安全に対する心理的受容(安心)-が必要である。政府は、この「4点セット」を包含する十分な説明を、事故後の早いタイミングで国民に提示し、必要な改善策を速やかに進めるべきであったが、首尾一貫した姿勢を示せなかったことから、原子力への「不信と不安の空気」を国民の間に浸透させる結果となった。
以前の世論調査では、7割を超す国民が再稼働に否定的な意見であったが、この根底に「事業主体・制度・政府・関連組織などへの信頼の喪失と失望」と「安全への不安」があることは、容易に想像できる。また、多くの有識者や政治家が、原子力問題を技術の問題というよりは、「関係する主体や仕組みの、体質の問題」として批判していることも確かである。
だが、代替エネルギー源が急激には確保できないという中で、デフレや財政赤字などの深刻な問題からの脱却が急務になっているわが国にとって、体質批判だけを繰り返している時間的な余裕がないことも現実である。改めて、「4点セット」についての総合的な見解を国民の間で共有したうえで、安全性の改善や推進体制の体質の改善を加速していくべき段階に、すでに来ているのではないか。
≪「異常な言論空間」の形成も≫
残念なのは、原子力の推進体制や仕組みに対する、この「懐疑や反発の空気」が、本来交わされるべき安全性や必要性などの本質的な議論を俎上(そじょう)にすら上げられないような、非常に否定的な雰囲気を醸成してしまったことである。そうした「不信と否定の空気」が、「国民感情」を「錦の御旗」にしてしまって、原子力に関わる冷静な議論に、ブレーキをかけるポテンシャルとして定着してきた。
原子力政策に関して審議する場などでも、従来の原子力推進体制への批判や、原子力肯定意見の揚げ足取りに時間が割かれて、原子力の本質議論に入れないままで時間が過ぎ、本来優先されるべき原子力の必要性や安全の本質部分をめぐる議論が、十分に行えないまま時間とコストが浪費されているケースが少なくないのである。
社会的にも、この空気は度を越している面がある。例えば、インターネット上での関係者への誹謗(ひぼう)中傷をはじめ、「原子力性悪説」を前提としたメディア報道など、正当な議論を排除するような「異常な言論空間」が形成されてしまっている。原子力を冷静に語る意見を取り上げないばかりか封殺する状況に至っているのである。
一部のメディア報道では、いわゆる「原子力ムラ」批判として、原子力関係者を揶揄(やゆ)し、排除しようとする動きまでが見える。「ムラ」の構造的な問題が現にあるとしても、原子力に携わる技術者や専門家の多くは、原子力利用による国益や社会への貢献を目指して取り組んできた真面目な人々であり、彼らをパージすることには、損失こそあれ何ら利益はない。
≪心配な原子力技術の空洞化≫
「不信と否定の空気」が今後も続くと、多くの人材を失うことに繋(つな)がりかねない点も指摘したい。実際、東京電力はもちろん、電力事業や原発関連産業での技術者の流出が起こり始めていると聞く。文部科学省の調査によれば、全国の大学の原子力関係学部への入学者が2年連続で減少している。
ベテラン技術者の流出と、新しい優秀な人材の流入の減少が同時に進むと、今後、当面は原子力に向き合ってゆかざるを得ないわが国において、深刻な「技術の空洞化」が起こる。「病気を治すために極端な抗生物質を投与した結果、病因の悪玉菌だけでなく、体に必須の善玉菌まで駆逐して、結局、患者が死んでしまう…」というブラックジョーク(神津カンナ氏談)が、現実化する可能性があるのである。
今、急がれるのは、この「不信と否定の空気」を一刻も早く「冷静な空気」に戻すことである。大飯の再稼働をきっかけに、原子力の「4点セット」について冷静に議論できるように空気を入れ替えていくことが必要である。このことを、メディアにも、原発問題で大衆迎合主義に傾いている政治家にも、強く求めたい。野田首相声明のように、メディアや政治家が「原子力4点セット」に対する総合的な視点からの分析を行い、これを国民に提示して、国民の冷静な判断を育成していく段階に、すでに入っているはずである。(やまな はじむ)
しつこい感じもしますが、非常に鋭い文章だと思ったので。
「御用学者」や「原子力村」など、市民運動家や一部メディアにより、実態とかけ離れたイメージによる「レッテル貼り」が行われ、それがあたかも既成事実として存在するかのような状態になっています。
世の中には、一般人が知らないところで、権力者達が利権構造で結びついていて、(金のために)自分たちに都合の良いように物事を決定している、という「馬鹿げた被害妄想・陰謀論」が広まっています。(TV朝日の某ニュース番組が好きそうな話です)
最初は、半信半疑だった人も、繰り返し繰り返し、デマを聞かされるうちに、それが本当に存在するかのような錯覚に陥ってきます。
マスメディアがそれを取り上げることで、「そういう問題が存在する」ことが前提となってしまいます。
インターネットが「妄想や憎悪」を広げるための有力な手段となっており、「(誰でも発信できるが)内容の信憑性が確認できない」「極端な意見やレッテル張りが注目される」など、悪い側面が強く出ています。
「原子力村を破壊するために(利権構造を打破するために)、原子力を廃止しなくちゃいけない」など、本来別々の話を(意図的に)ごちゃ混ぜにして、住民に受け入れ易くさせ、かつ意見を一方向に誘導するための「感情論」にすり替えています。
その感情論に、(関西広域連合などの)政治家が乗っかって、政治的な対立軸にしようとしています。
本当に危険な状況だと感じています。
本来、「技術論」と「リスクマネジメント」が判断の中心となるべきです。
多分、大部分の人は冷静なのだと思いますが、「極端な少数者」の意見が強く出すぎているのだと思います。
本来あるべき状態に戻すためには、政治家のリーダーシップとマスコミの反省が必要だと思います。
給食の冷凍ミカン 放射性物質が基準値以下でも使用中止
給食の冷凍ミカン 放射性物質が基準値以下でも使用中止

国際的にも厳しいはずが…食品中の放射性物質、国と民間「二重基準」広がる
2012.5.6 01:18 産経新聞
食品中の放射性物質についての新基準値が施行されてから1カ月あまり。しかし、一部のスーパーや自治体などは「少しでもゼロに近く」という消費者のニーズに応じ、新基準値より厳しい数値を独自運用している。農林水産省は、国の基準を守るよう求める通知を出しているが、国の基準を満たしても取引を断られる生産者は“二重の基準”に苦しめられている。
■「極めて安全」
「いろいろな基準があると、消費者はどの水準が安全なのか分からなくなる。問題がない農水産物を生産者が出荷できないということにもなりかねない」
4月20日、スーパーや食品メーカー、外食産業など270団体に対し、食品検査を行う場合は新基準値に基づき判断するよう要望する通知を出した農水省の担当者は現状に懸念を示す。
通知の背景にあるのは、新基準値が国際的に見て極めて厳しいという点だ。
食品の国際規格を決めるコーデックス委員会やEU、米国の放射性セシウムの基準値は一般食品で1キロ当たり1000ベクレル台となっている。
実は年間被曝(ひばく)の許容上限はコーデックス、EUとも日本と同じ1ミリシーベルト。それでも日本の基準値が厳しいのは、全食品で放射能汚染している割合を、日本は50%と設定しているのに対し、コーデックスとEUは10%としていることが大きい。
日本より数値が厳しい国もある。チェルノブイリ原発事故で深刻な被害にあったウクライナはパンとパン製品が同20ベクレル、野菜は同40ベクレル。ただ年間被曝許容上限は1ミリシーベルトで日本と同じだ。
厚労省の担当者は「日本で放射能汚染された食品の実際の割合は極めて低い。一方、ウクライナは流通事情が悪く、地元の汚染された食品を本当に食べざるを得なかった。そういう意味でも日本は極めて安全に設定されている」とする。
■ゆらぐ「信頼性」
政府が「安全」と訴える新基準値。しかし多くの団体は農水省の通知に反発、自主規制を継続している。
スーパーなどの業界団体「日本チェーンストア協会」は「消費者のニーズに基づいて各社でやっていくというのが協会のスタンス」(小笠原荘一常務理事)と加盟各社の判断に任せる方針を表明。自主検査でわずかでも放射性セシウムが検出されると商品の販売を見合わせている大手スーパー「イオン」も、「検査体制はお客さまの声に向き合いながら作り上げてきたもので、今後も継続していく」とした。
政府が恐れているのは、国が安全とする数値より、厳しい独自基準を民間運用することで、国の基準の信頼性が揺らぐことだ。しかし、ある業界関係者は「そもそも国の基準値は信用されていない」と話し、消費者の不信は根深いとする。
■「もっとPRを」
こうした混乱で現場の生産者が大きな被害を受けていることは間違いない。
「国の基準を下回っていても、購入してもらえず収入が途絶えた農家もいる。国よりさらに厳しい基準が設けられているというのは正直かなりつらい」。そう明かすのは各地で出荷停止の相次いでいる原木シイタケの生産農家。茨城県の漁業関係者も「独自基準を設けられると卸先がなくなる恐れもある。国は100ベクレルで十分安全だともっとPRしてほしい」と訴える。
全国消費者団体連絡会の阿南久事務局長は「新基準値は国際的に見ても厳しいが、まだその情報共有がなされていないのが混乱の原因」と指摘。「新基準値はどういう意味を持つのか、国は消費者、生産者、業界団体などとコミュニケーションを深めていく必要がある」としている。
地域行政は、本来は事実に基づいて、きちんと説明・実施しなければならない立場なのですが、マスメディアの煽りを受けた住民の感情的な反応に押されて、二重基準を容認するばかりか、自ら実行しているという記事です。
原発稼働問題でも同じですが、特に関西広域連合などの地方行政の迷走は酷いですね。
首長が、先頭に立って煽り立てています。
原発事故直後の東京電力の計画停電では、信号が止まって交通事故が多発し、本来、死ななくていい人が亡くなりました。(群馬県、神奈川県)
暗闇の中、ほとんどの警官が交通整理にかり出されましたから、その間、ひったくり、強盗、レイプ等の犯罪も増えたという話です。(各自治体・警察のHP)
地震による停電で、在宅人工呼吸患者も亡くなられました。(山形県)
夏に計画停電が実施されれば、熱中症等で老人・乳児の死者が出るのは、容易に想像できます。
冷蔵庫も止まりますので、食中毒も発生するかもしれません。
マンションでは、水は出ない、トイレも流せない、エレベータも止まり、(タワーマンションですと)緊急時に助けにも来られない、という状況が起こります。
病院も、自家発電時は最低限の電力供給になりますので、MRI・CT検査などはもちろん、手術も出来ない状態になります。人工透析も止まるかもしれません。
いわば、住民の生活を守るべき市長や知事が、自らの「主義主張」のために「住民に死者が出てもかまわない」と宣言したに等しいと考えています。
多分、この現実に気がついて、考え方を変えたのでしょう。
電気が足りずに被害が出るのは自分の地域なのに、福井県や政府に文句を言っている理由がわかりません。
むしろ、感謝すべき立場じゃないんでしょうか?(笑)
加えて、夏だけ稼働ですとコストが高止まりになって、「(中・長期的に)経済が沈没してもかまわない」という判断とイコールになるでしょうね。
住民も、原発を止めろと言うのであれば、東電が悪い、原子力ムラが悪い、政府が悪い、電気料金の値上げはダメ、何とかしろ、ばかり言うのではなく、熱中症や交通事故にあって、最悪自分や家族が死んでもかまわないぐらいの覚悟を決めるべきでしょう。(笑)
考えるべきは、(上記のような)「極論」ではなく、リスクベースの冷静な判断だと思います。
何をするにもリスクは存在します。
ゼロリスクを求めては、経済は壊れます。(引用記事の例では、生産者が生活できなくなります)
するべきことは、最大限の安全対策を取り、地震等が起こる確率や立地・設備の状況等を考慮しながら、安全性の高いものは動かしていき、その間に、代替エネルギーの開発を早急に進め、将来に向けて原子力の依存度を下げていくということではないでしょうか?
私には、これ以外の選択肢は思いつきません。

国際的にも厳しいはずが…食品中の放射性物質、国と民間「二重基準」広がる
2012.5.6 01:18 産経新聞
食品中の放射性物質についての新基準値が施行されてから1カ月あまり。しかし、一部のスーパーや自治体などは「少しでもゼロに近く」という消費者のニーズに応じ、新基準値より厳しい数値を独自運用している。農林水産省は、国の基準を守るよう求める通知を出しているが、国の基準を満たしても取引を断られる生産者は“二重の基準”に苦しめられている。
■「極めて安全」
「いろいろな基準があると、消費者はどの水準が安全なのか分からなくなる。問題がない農水産物を生産者が出荷できないということにもなりかねない」
4月20日、スーパーや食品メーカー、外食産業など270団体に対し、食品検査を行う場合は新基準値に基づき判断するよう要望する通知を出した農水省の担当者は現状に懸念を示す。
通知の背景にあるのは、新基準値が国際的に見て極めて厳しいという点だ。
食品の国際規格を決めるコーデックス委員会やEU、米国の放射性セシウムの基準値は一般食品で1キロ当たり1000ベクレル台となっている。
実は年間被曝(ひばく)の許容上限はコーデックス、EUとも日本と同じ1ミリシーベルト。それでも日本の基準値が厳しいのは、全食品で放射能汚染している割合を、日本は50%と設定しているのに対し、コーデックスとEUは10%としていることが大きい。
日本より数値が厳しい国もある。チェルノブイリ原発事故で深刻な被害にあったウクライナはパンとパン製品が同20ベクレル、野菜は同40ベクレル。ただ年間被曝許容上限は1ミリシーベルトで日本と同じだ。
厚労省の担当者は「日本で放射能汚染された食品の実際の割合は極めて低い。一方、ウクライナは流通事情が悪く、地元の汚染された食品を本当に食べざるを得なかった。そういう意味でも日本は極めて安全に設定されている」とする。
■ゆらぐ「信頼性」
政府が「安全」と訴える新基準値。しかし多くの団体は農水省の通知に反発、自主規制を継続している。
スーパーなどの業界団体「日本チェーンストア協会」は「消費者のニーズに基づいて各社でやっていくというのが協会のスタンス」(小笠原荘一常務理事)と加盟各社の判断に任せる方針を表明。自主検査でわずかでも放射性セシウムが検出されると商品の販売を見合わせている大手スーパー「イオン」も、「検査体制はお客さまの声に向き合いながら作り上げてきたもので、今後も継続していく」とした。
政府が恐れているのは、国が安全とする数値より、厳しい独自基準を民間運用することで、国の基準の信頼性が揺らぐことだ。しかし、ある業界関係者は「そもそも国の基準値は信用されていない」と話し、消費者の不信は根深いとする。
■「もっとPRを」
こうした混乱で現場の生産者が大きな被害を受けていることは間違いない。
「国の基準を下回っていても、購入してもらえず収入が途絶えた農家もいる。国よりさらに厳しい基準が設けられているというのは正直かなりつらい」。そう明かすのは各地で出荷停止の相次いでいる原木シイタケの生産農家。茨城県の漁業関係者も「独自基準を設けられると卸先がなくなる恐れもある。国は100ベクレルで十分安全だともっとPRしてほしい」と訴える。
全国消費者団体連絡会の阿南久事務局長は「新基準値は国際的に見ても厳しいが、まだその情報共有がなされていないのが混乱の原因」と指摘。「新基準値はどういう意味を持つのか、国は消費者、生産者、業界団体などとコミュニケーションを深めていく必要がある」としている。
地域行政は、本来は事実に基づいて、きちんと説明・実施しなければならない立場なのですが、マスメディアの煽りを受けた住民の感情的な反応に押されて、二重基準を容認するばかりか、自ら実行しているという記事です。
原発稼働問題でも同じですが、特に関西広域連合などの地方行政の迷走は酷いですね。
首長が、先頭に立って煽り立てています。
原発事故直後の東京電力の計画停電では、信号が止まって交通事故が多発し、本来、死ななくていい人が亡くなりました。(群馬県、神奈川県)
暗闇の中、ほとんどの警官が交通整理にかり出されましたから、その間、ひったくり、強盗、レイプ等の犯罪も増えたという話です。(各自治体・警察のHP)
地震による停電で、在宅人工呼吸患者も亡くなられました。(山形県)
夏に計画停電が実施されれば、熱中症等で老人・乳児の死者が出るのは、容易に想像できます。
冷蔵庫も止まりますので、食中毒も発生するかもしれません。
マンションでは、水は出ない、トイレも流せない、エレベータも止まり、(タワーマンションですと)緊急時に助けにも来られない、という状況が起こります。
病院も、自家発電時は最低限の電力供給になりますので、MRI・CT検査などはもちろん、手術も出来ない状態になります。人工透析も止まるかもしれません。
いわば、住民の生活を守るべき市長や知事が、自らの「主義主張」のために「住民に死者が出てもかまわない」と宣言したに等しいと考えています。
多分、この現実に気がついて、考え方を変えたのでしょう。
電気が足りずに被害が出るのは自分の地域なのに、福井県や政府に文句を言っている理由がわかりません。
むしろ、感謝すべき立場じゃないんでしょうか?(笑)
加えて、夏だけ稼働ですとコストが高止まりになって、「(中・長期的に)経済が沈没してもかまわない」という判断とイコールになるでしょうね。
住民も、原発を止めろと言うのであれば、東電が悪い、原子力ムラが悪い、政府が悪い、電気料金の値上げはダメ、何とかしろ、ばかり言うのではなく、熱中症や交通事故にあって、最悪自分や家族が死んでもかまわないぐらいの覚悟を決めるべきでしょう。(笑)
考えるべきは、(上記のような)「極論」ではなく、リスクベースの冷静な判断だと思います。
何をするにもリスクは存在します。
ゼロリスクを求めては、経済は壊れます。(引用記事の例では、生産者が生活できなくなります)
するべきことは、最大限の安全対策を取り、地震等が起こる確率や立地・設備の状況等を考慮しながら、安全性の高いものは動かしていき、その間に、代替エネルギーの開発を早急に進め、将来に向けて原子力の依存度を下げていくということではないでしょうか?
私には、これ以外の選択肢は思いつきません。
メディアが醸成した「放射能ストレス」(上)― 感情的な報道の生んだ人権侵害
メディアが醸成した「放射能ストレス」(上)― 感情的な報道の生んだ人権侵害
石井 孝明
アゴラ研究所フェロー
「福島の原発事故で出た放射性物質による健康被害の可能性は極小であり、日本でこれを理由にがんなどの病気が増える可能性はほぼない」。
これが科学の示す事実だ。しかし、放射能デマがやむ気配がなく、社会の混乱を招いている。デマの発信源の一つがメディアの「煽り報道」だ。
放射能の正確な事実の伝達は積極的に行われるべきだ。また原子力発電について賛成、反対について自由な発言をして、エネルギーの未来を考えることは意義深いことだ。しかし不正確な情報やデマの拡散は他者を傷つけ、自分の社会での信用も失わせ、社会に混乱を広げる。
さらに「煽り報道」はメディアそのものを自壊させる行為だ。日本国民の大多数は賢明で冷静であり、報道の真偽を見極めている。放射能をめぐる誤った煽り報道はそれを発する記者個人、媒体、メディア企業、さらには報道全体への不信を生み出している。報道への信頼の崩壊は、メディアの存立基盤がなくなることであり、それは自由な報道が前提になる民主主義体制にも悪影響を与える。
デマを拡散した人を、過度に糾弾する意図はないが、その反省をうながし、これまでの事実を示し、誤った報道、さらに情報洪水への対策を考える。
「福島の奇形児」スクープ?
「お待たせしました。福島の新生児の中から、先天的な異常を抱えて生まれて来たケースについてスペシャルリポート&インタビュー。スクープです。賛否はあるでしょうが、勇気あるカムアウトした当事者には温かいエールをお送りください」。
昨年12月、インターネット上の短文ブログ・ツイッターで異様な書き込みが行われた。これはジャーナリストの岩上安身氏によるものだ。福島の原発事故と新生児の異常は無関係であるにもかかわらず、関連づけるかのような書き方をしている。しかも人の障害を報じることにまったく自粛の姿勢がないことに驚く。
念のために説明すれば、先天的異常は新生児に一定の確率で起こる。原爆の医療記録によれば、妊娠中に一瞬で数100ミリシーベルト(mSv)の強い放射線を浴びたときに、胎児に影響が出た例がある。現在の福島では、自然放射線に加えて年数mSvの放射線量の増加しかないので、放射線による障害など起こるわけがない。
この「スクープ」には批判が殺到し、岩上氏はこの書き込みを削除。同氏はその後も横浜で福島から飛んできたストロンチウムが見つかったなど、誤報を繰り返し流して批判を浴びた。
福島の原発事故では、放射能と原発をめぐる情報があふれた。ところが、それらは玉石混交で危険を過度に煽るおかしなものが多かった。その発信源の一つが、岩上氏らが活動の拠点にするフリーランスのジャーナリストの集まった「自由報道協会」(上杉隆代表)だ。
この団体は危険を煽る人々、政治主張を重ねる反原発派の人を繰り返し登場させた。今は「誰でもメディアの時代」だ。映像またブログ記事が、インターネットを使い容易に拡散する。
同協会は昨年7月にクリス・バズビーという人物の記者会見を主催した。彼は「福島第一原発の100キロ圏内で数10万人単位のがん患者が出る」と予告。この情報が拡散し、不安を広げた。彼はECRR(被曝リスクに関する欧州委員会)という反核私設団体の幹部にすぎない。
しかも、このバズビーなる人物が日本人向けに数万円のサプリ、放射能検査を売り込んでいたことを日英のメディアが暴いた。すると失踪してしまった。
また反原発活動家の広瀬隆氏らは同協会で昨年8月記者会見し33人の行政、東電関係者を「子供たちの健康を害した非人道的行為による業務上過失致死傷罪」で刑事告発したと発表した。ただのパフォーマンスだが、その中には山下俊一氏(福島県立医大副学長)などの医学者も含まれていたのは問題だった。
山下氏は「100mSv以下の被ばくと発がんには因果関係がない」という学会で認められた説に基づいて、事故の対応策を福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーとして勧告した。それに対して、広瀬氏らECRRの説を根拠に刑事告発したのだ。
この後に医学界、原子力や放射線の専門家の間で、放射能や原発問題などの発言が自粛される空気が醸成されたという。医師や学者は他者からの攻撃には慣れていない人々で、刑事告発騒ぎなどを見て、萎縮するのは当然だ。広瀬氏の行動は言論や学問の自由を圧殺する危険な行動だ。それに自由報道協会は加担したのだ。
雑誌に広がる売るための過激情報
技量不足の報道が行われても「プロ」の既存メディアがしっかりしていれば、問題はなかっただろう。しかし雑誌メディアを中心に煽りは過剰だった。
雑誌記事のタイトルを紹介してみよう。
「20年後のニッポン がん 奇形 奇病 知能低下」(『週刊現代』7月16・23号)。
「30キロ圏そばで耳のないウサギが生まれた」(『フラッシュ』6月14日号)。
「セシウム米が実る秋」(『サンデー毎日』8月26日号)。
いずれも科学的な事実には反するものだが、思わず手に取りたくなる印象的なタイトルだ。売ろうとする意図は分かるが、こうした言葉が拡散することで、社会に不安が蓄積する。
一部の雑誌は放射能パニックに陥った母親の姿を肯定的に取り上げた。『AERA』は「見えない「敵」と戦う母 放射能から子供を守るために」(6月19日号)という記事を掲載。食事による内部被曝を避けようと、学校に手作り弁当を持参させ深夜に食材を求め奔走する様子を紹介した。
同誌の記事はエスカレート。「ふつうの子供産めますか 福島の子どもたちからの手紙」(8月28日)という記事もあった。パニックに陥っていると思われる子どもたちが恐怖におののく手紙を掲載したものだ。
福島県の放射線は通常の生活が送れるレベルで健康被害の可能性は極小だ。また「ふつうの子供」という表現には、障害を持った人々への蔑視や偏見が込められている。こうした事実を同誌は真剣に受け止めず、子供の不安を取り除く努力もしていない。
『週刊文春』は「衝撃スクープ 郡山4歳児と7歳児に「甲状腺がん」の疑い!」(2月23日)という記事を掲載した。執筆者は自由報道協会の理事というにおしどりマコというタレントだ。
記事は福島からの避難者の検査の中で、「良性の甲状腺結節」という結果の出た子供が検査を受けたという内容だ。「結節」は頻繁にあるしこりで、大半はがんには結びつかない。それを「がんの疑い!」と断定して報じた。
日本の雑誌メディアでは、原発問題では革新系が反原発の立場に立って放射能について危険に注目した情報を流し、保守系がその過剰さを批判する構図がこれまであった。ところが保守系雑誌の代表格の「文春」が、放射能の煽りに参加した。あらゆる立場の雑誌が放射能パニックの醸成に加担しているのだ。
自称「専門家」たちの横行
テレビ・ラジオ放送も多くの問題があった。民放のワイドショーには、放射能デマを繰り返してきた人が「専門家」として頻繁に登場した。
武田邦彦中部大学教授は放射能に関するあいまいな情報を拡散。「福島の野菜は青酸カリより危険だ」などという話をブログで掲載し、「反放射能」「反原発」の書籍を数多く出版している。かつて、この人物は原子力の安全性と可能性を訴えていた。
京大助教の小出裕章氏は、「チェルノブイリで数十万人が死んだ」と、低線量被ばくの恐怖を拡散。しかし、これは事実に反する。ロシア政府の報告などによれば確認された死者は50人以下で、汚染された乳製品などの食料を食べた人以外は、発がん率の増加は観察されていない。
さすがにパニックを誘発するような言葉は放送で述べていないようだが、テレビ、ラジオが取り上げれば、これらの人々の書籍を手に取る視聴者も増える。結果的に、デマ拡散を支えてしまう。
前述の広瀬隆氏のある講演がインターネット上の映像サイトに掲載されていた。そこで彼は放射能の「治療法」として「うちの娘のつくった生みそは放射能に効く」と言っていた。放射能パニックを利用して、恐怖心につけ込んだ宣伝行為に他ならない。
これを見た筆者は、専門家と称する人々が社会に与えた損害、そしてパニックで彼らが得た利益を考え暗澹たる思いになった。
NHK、朝日新聞にも煽りが登場
放射能問題をセンセーショナルに扱ったネットメディアや雑誌に比べ、NHKと新聞などの活字メディアは事実を淡々と伝え、煽りを最小限に抑えようとしていたと、一定の評価ができる。しかし、それでも時にはおかしなニュースが提供されることもあった。
昨年12月28日にNHKは「追跡!真相ファイル 低線量被ばく 揺らぐ国際基準」という番組を昨年12月28日に放送した。この中で「世界の原発の周囲で病気が増加している」と伝え、さらに放射能をめぐる防護基準をつくるICRP(国際放射線防護委員会)が原子力産業からの圧力で、基準を緩和したと報じた。ネットを中心に原子力産業への批判が視聴者の間で渦巻いた。
ところが事実は放送内容とまったく逆だ。ICRPは放射線についての厳しい国際世論を背景にして、一貫して防護基準を強化している。この番組について、原子力学会の専門家らが1月に原子力学会の専門家らが1月に抗議文を提出している。BPO(放送倫理・番組向上機構)に提訴する動きもあるという。
昨年秋に連載された朝日新聞の「プロメテウスの罠」という連載は煽り記事が続いた。例えばこんな報道があった。
「東京都町田市の主婦の6歳の長男が4カ月の間に鼻血が10回以上出た」。この母親に、原爆に被曝した反原発活動家の肥田俊太郎医師が語りかける。「広島でも同じことがあった」。記事中に「こうした症状が原発事故と関係があるかどうかは不明だ」と逃げの文章を入れるが、読み手に不安を抱かせる記事だ。(12月2日記事)
町田市での子供の鼻血は原発事故の影響であることはありえない。それなのに記事は「証明できないがあるかもしれない」と匂わせる。「プロメテウスの罠」は、同じような危惧を抱かせる内容の記事を延々と紹介した。他紙面では事実を伝えているのに、この特集は特異だった。
東京新聞(中日新聞東京本社)の報道は全般的に反原発色が強いが、関東圏で2ページの特集記事の枠を持つ「特報部」は過激な内容の記事が多い。連日、反原発系の識者が登場。「低線量被曝の世界的権威」として、前述のクリス・バズビー氏の「(日本政府の被ばく基準は)恣意的で誤り」とするインタビュー記事(7月20日)を伝えた。こうした報道姿勢から反原発団体の間で、同紙の評判はよくなっているという。
メディアが醸成した「放射能ストレス」(下)― 死者ゼロなのに大量の報道、なぜ?
石井 孝明
アゴラ研究所フェロー
「メディアが醸成した「放射能ストレス」(上)― 感情的な報道の生んだ人権侵害」に続き(下)を掲載する。
リスクに比べて「騒ぎすぎ」の報道
多くのテレビ、新聞、雑誌が事故後、放射能の影響について大量に報道してきた。しかし伝えた恐怖の割に、放射能による死者はゼロ。これほどの報道の必要があるとは思えない。
低線量被ばくについては、科学の認識は一致している。「100mSv以下の被ばくでは、他の要因による発がんの影響によって隠れてしまうほど影響は小さく、放射線による発がんのリスクの明らかな増加を証明することは難しい」(内閣官房・低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ報告書)。
分かりやすく言い換えれば、喫煙、運動不足など、健康をめぐるリスクは身の回りにあり、今の放射線量ならば他の悪影響に埋もれてしまうほど影響は軽微ということだ。
この見解はチェルノブイリ事故、広島・長崎の原爆の調査、その後の世界各国の疫学調査で確認されたものだ。福島・東日本の原発事故による放射線量の増加は、多くて初年に数mSv程度。今後はこの数値は減っていく。
まとめれば、一連の報道は騒ぎ過ぎなのだ。福島・東日本で福島原発事故による放射性物質での白血病、固形がん、遺伝性疾患などが増加する可能性はこれまでもなく、これからもないと、筆者は判断している。
「原発への反感」「恐怖感」が報道に混入
ではなぜ騒ぎ過ぎの状況が起こったのだろうか。理由は複合的だ。
原発事故後には「何を信じていいか」という規範がなくなった。政府、東電、原子力関連学会は「原発は安全」と言い続けてきた。そして大多数の人は原子力の問題について、何も考えてこなかった。
そこに突如起こった原発事故。「だまされた」と既存の制度への不信が広がる中で、人々が新しい異論に飛びつきやすい状況が生まれた。煽り報道が受け入れられやすく、また検証なく発信されやすい状況になった。
さらに放射能という分野は一般の人にも、メディア関係者の大半にとってもなじみの薄い分野だ。各メディア内部と執筆者の不勉強、そして受け手の知識不足が、不正確な情報を流通させた。
そこに現在のメディア事情が重なる。今のメディアは紙から電波媒体まで、売り上げの伸び悩みに直面している。センセーショナルな言葉を使って売りたい、目立ちたいという衝動が、言葉を過激化させていったのだろう。
一つの例証がある。放射能について過激な言説を発表し続けた、ある環境雑誌の経営者・編集長と、話し合ったことがある。この人は反原発を掲げていた。そこに福島第一原発事故に直面した。原子炉建屋の水素爆発の映像、そして福島の状況に大変な衝撃を受けたようだ。その結果、反原発の行動がかたくなになってしまい、「福島に人は住めない」という過激な言葉やバズビー氏とECRRの情報を拡散した。
「なぜ不正確な情報を広げるのか。結局は信用を落としてあなたは損をする。放射能の健康被害と原発の是非は分けるべきだ」と筆者は話した。しかし、この人は「国が信じられない」「可能性があるなら危険性を報じるべきだ」「原発推進派を利する情報は出さない」と繰り返す一方だった。
残念ながらこの雑誌は放射能の危険マニアの集うクローズした世界になって売り上げも伸び悩んでいるようだ。この社長と活動に敬意を持っていたが、筆者はそこから遠ざかった。
この人は「脱原発」という自分の価値観、さらには恐怖感で放射能問題を捉えようとしている。一方で多くの人は、科学的事実に基づき議論を進めようとする。残念ながら議論の土俵が違っている。
このように放射能をめぐる議論では、対話する人の意識の「ずれ」が非常に多い。
煽りが恐怖拡散の一因に
事実から遊離し、感情を中心にした煽り報道は、混乱を社会に生む。さらには、人権侵害、差別、風評被害という悪しき影響を与える。煽り報道がどのような悪影響を与えているのか。大規模な調査は少ない。
慶応義塾大学のパネルデータ解析センターが今年2月に発表した約3100世帯の調査では、原発事故・放射能汚染への恐怖・不安感は、震災直後よりも3カ月後の昨年6月のほうが大きくなっている。
属性では、文系出身者や低所得層、非正規雇用者、無業者、未就学児がいる人、東北3県の居住者ほど、恐怖・不安を強く感じていた。また、原発・放射能汚染への恐怖・不安を感じる人ほど、睡眠不足やストレス増加を経験する傾向が強いこともわかった。恐怖や不安は、健康に影響を与えた可能性があるほか、買い溜めの助長など、購買行動へも影響したとみられるという。
もちろん、こうした調査だけで煽り報道に影響を受けやすい人々を理解したつもりになることは避けるべきだろう。より詳細な調査が必要だ。しかし「孤立した」「知識と自己学習能力が乏しく」「社会との接点や他者との連携が少なくネット情報に頼る」といった社会的な弱者が、煽り情報の犠牲者に陥りやすいことは確かだろう。
この傾向は筆者の見聞した事実にもあてはまる。筆者は横浜市に住む7人の0-8歳の子供を持つ母親たちに放射能問題の現状を説明したことがある。母親たちは冷静で、逆に筆者はお母さんと子供の世界で放射能問題がどのように受け止められているのかを聞いた。
7人は専業主婦から会社員までの30歳代の母親たちで保育園の保護者仲間だった。生活は安定している典型的な横浜の中流層だ。学歴は多様だが全員文系で、放射能の知識は皆無。主な情報収集手段は手軽であるためにネットの閲覧で、新聞、テレビはわずかだった。しかし、その結果集まる情報の洪水に、誰もが戸惑っていた。またネット情報を含めて各メディア、そして政府の情報は信頼していなかった。
相互に話し合う中で、「この情報はおかしい」「この人の言うことは変だ」と気づいた例が多くあったという。ただし子供がいるゆえに、「怖い」と絶叫する単純で危険を強調する情報が心に残ってしまうそうだ。
このグループの母親らは自分の情報解釈が子供のためにゆがむことを自己認識していた。「客観視できることは素晴らしいこと」と筆者が評価すると「冷静な人が集まった」と答えが返ってきた。母親のサークルは同じような性格、考えの人がグループを作る傾向があるそうだ。過激に心配する人は孤立しやすい人が多く「ある母親は、夫と別居して沖縄に引っ越しました」(母親の1人)という。
情報を取捨選択するのは、自己責任の問題かもしれない。しかし煽り報道に踊らされる人々を放置しておいてよいとは思えない。これらの人々は、私たちの同胞であり、巨視的な視点から見れば、日本という同じ運命共同体の仲間であるからだ。
放射能への恐怖が社会と経済に悪影響
そして煽り報道によって動かされた人々の行動は、社会に悪影響を与えてしまう。がれき処理の遅れ、被災地の除染と帰還の遅れは放射能についての過剰な恐怖感が背景にある。
4月時点で、事故を起こした福島第一原発の半径20キロ圏内の約11万人の県民が、政府の避難指示によって帰宅できない状況になっている。
昨年秋に試算された東京電力に関する経営・財務調査委員会報告によれば風評被害の金額は、数年間で1兆3000億円の巨額と推計されている。
岩手県・宮城県の「災害廃棄物」(がれき)の量は、それぞれ通常の11年分・19年分にも達している。政府が各地で分散して焼却を呼びかけた。それなのに受け入れが進まない。がれきから放射能が拡散するという、あり得ない懸念が広がっているためだ。
経済への悪影響も見逃せない。放射能への恐怖が脱原発の考えと結びついた。菅直人前首相などによる政治主導による無計画な原発検査の強化で、全国の原発の再稼動が難しくなった。
2011年の貿易収支は1980年以来、通年では31年ぶりの赤字に転落した。東日本大震災や世界経済の減速、歴史的な円高などを背景に輸出が減少した一方で、原子力発電を代替する火力発電向け液化天然ガスや原油などの輸入が急増。化石燃料の輸入費用は前年比で4兆4000億円も増加した。原発の再稼動が遅れ、夏場は全国的な電力不足に直面する可能性がある。
原発について、どのような意見を持っても自由であろう。しかし広がった混乱による社会と経済の損害は明らかに大きすぎる。混乱は「ノイジー・マイノリティ」(騒ぐ少数者)と呼ばれる人々の活動によってもたらされている。これらの人々の動きには、政党・政治活動が背景にある例も多い。
この種の活動が社会の少数であっても一定の人々に受け入れられ、正しい方向への転換に時間がかかっているのは、放射能への恐怖のためだろう。煽り報道、おかしな情報のもたらした恐怖は、社会を傷つけていくのだ。
チェルノブイリと福島の類似点
さらに恐怖は人々の健康にも影響を与える。1986年の旧ソ連(現ウクライナ)でのチェルノブイリ原発事故を振り返りたい。
ロシア政府は昨年「チェルノブイリ事故25年 ロシアにおけるその影響と後遺症の克服についての総括および展望1986~2011」という総括報告書を発表した。それによると、放射能による死者は事故現場に居合わせた人50人以下とされている。それに加えて、汚染された牛乳などの乳製品を摂取して甲状腺がんとなった人の死亡者(10人程度とされる)以外、事故による放射能の影響が直接の原因になった死者は報告されていない。低線量被ばくによる健康被害は25年経過しても観察されていない。
チェルノブイリの周辺では、1980年代後半に年間5mSv以上の放射線量で強制退去命令が出た。これは日本の避難基準(年間20mSv)より厳しいものだった。当時のソ連経済は疲弊していたため、移住を強いられた人々のほとんどは失業し、政府の援助も受けられなかった。結果的に20万人が家を失った。ストレスによる自殺、妊娠中絶の増加も起こった。報告書の結論は次のように述べている。
「事故に続く25年の状況分析によって、放射能という要因と比較した場合、精神的ストレス、慣れ親しんだ生活様式の破壊、経済活動の制限、事故に関連した物質的損失といったチェルノブイリ事故による社会的・経済的影響のほうがはるかに大きな被害をもたらしていることが明らかになった」。
「チェルノブイリ事故の主な教訓の一つは、社会的・精神的要因の重要性が十分に評価されなかったことである(中略)この教訓は福島第一発電所の事故にとっても今日的なものだ」(翻訳はアゴラ研究所所有、東京大学准教授中川恵一氏の提供による)(記事のリンク)
福島で起こっていることも同じだ。放射線量はチェルノブイリよりはるかに低い。ところが政府は強制退去させた避難民を帰宅させない。放射能に関する正しい知識が普及せず恐怖が広がっている。混乱の源になるのは誤った情報だ。煽り報道は、被災者の帰宅を妨げ、ストレスを生み、風評被害を拡大して2次災害を作り出している。
混乱に向き合うために―情報の精査を
さすがにここまでひどい煽り報道が続くと、それに対する受け手からの批判も当然起こる。一般市民の大半は賢明で放送をしっかり観察している人が多い。
出版関係者がそろって言うところによれば、昨年秋ごろから、「放射能ものは売れない」状況になっている。情報のばかばかしさに、大半の人が気づいたのだろう。
また私の見聞した福島の人々の煽り報道への反応を紹介したい。ある公的団体は東京、朝日新聞の報道に不信感を示し、両社の取材には情報を出さなかったそうだ。「あんなデマ流す人たちに話したら、何書かれるか分かりませんから」。別の行政関係者は昨年話していた。「放射能デマの雑誌なんてばかばかしくて、福島では誰も買っていませんね。私たちの故郷を何だと思っているのでしょうか」。
当然の反応だろう。市民によるメディアへの「監視」「反撃」がどのように広がるのだろうか。「なぜ適切な情報を伝えなかったのか」と、残念な思いを持ちながら、筆者は注目している。
震災、原発事故から1年が経過し、社会は落ち着きを取り戻し始めている。そして福島200万人の同胞をはじめ、大半の人々は復興に取り組んでいる。そろそろ冷静に物事を考えるべきだ。
煽り報道を含めたジャーナリズムの玉石混淆は今後も続くだろう。私たちは、メディアを精査し、さらに監視して、時には「おかしい」と批判すること、また惑う人を時には説得する形で情報に向き合わなければならない。
「真理はあなたを自由にする」(新約聖書福音書)。正しい情報を得て、そして使うことが復興の足取りを確かなものにする。
この方の名前は、はじめて聞きました。
ジャーナリストだと言うことです。
追記:経済・環境ジャーナリスト。慶応義塾大学経済学部卒業。時事通信社記者、経済誌フィナンシャル ジャパンの副編集長、編集プロダクション経営などを経て、現在、ジャーナリストとして活動中。
(一部言い過ぎのところもありますが)全体としてきわめて正確な認識です。
よく勉強しています。
私のこれまでの放射線に関する記述をわかりやすくまとめると、こういう文章になるのだと思います。
こういう正しい情報がメディアの大勢となり、一日でも早く復興が進むことを願っております。
ちなみに、私自身は原子力事業とは全く無関係ですし、金銭を含めた利害関係は一切ありません。
最近、何でもかんでも利権がらみに話を矮小化して、頭ごなしに否定をする思考停止状態の人が多いように感じます。
そうした中、こういう文章をブログに書く(引用する)ことは、私個人にとって何のメリットもありません。(むしろデメリットばかりです。いずれ御用学者のリストに「ジュニアスキー」と書かれるかもしれませんし。(笑))
では、何で記述しているかというと、誤った情報とそれによって引き起こされている不安・不満・拒否感情によって、被災地の復興が遅々として進まない現状に強い危惧を抱いているからです。
ご理解いただけましたら、幸いです。
石井 孝明
アゴラ研究所フェロー
「福島の原発事故で出た放射性物質による健康被害の可能性は極小であり、日本でこれを理由にがんなどの病気が増える可能性はほぼない」。
これが科学の示す事実だ。しかし、放射能デマがやむ気配がなく、社会の混乱を招いている。デマの発信源の一つがメディアの「煽り報道」だ。
放射能の正確な事実の伝達は積極的に行われるべきだ。また原子力発電について賛成、反対について自由な発言をして、エネルギーの未来を考えることは意義深いことだ。しかし不正確な情報やデマの拡散は他者を傷つけ、自分の社会での信用も失わせ、社会に混乱を広げる。
さらに「煽り報道」はメディアそのものを自壊させる行為だ。日本国民の大多数は賢明で冷静であり、報道の真偽を見極めている。放射能をめぐる誤った煽り報道はそれを発する記者個人、媒体、メディア企業、さらには報道全体への不信を生み出している。報道への信頼の崩壊は、メディアの存立基盤がなくなることであり、それは自由な報道が前提になる民主主義体制にも悪影響を与える。
デマを拡散した人を、過度に糾弾する意図はないが、その反省をうながし、これまでの事実を示し、誤った報道、さらに情報洪水への対策を考える。
「福島の奇形児」スクープ?
「お待たせしました。福島の新生児の中から、先天的な異常を抱えて生まれて来たケースについてスペシャルリポート&インタビュー。スクープです。賛否はあるでしょうが、勇気あるカムアウトした当事者には温かいエールをお送りください」。
昨年12月、インターネット上の短文ブログ・ツイッターで異様な書き込みが行われた。これはジャーナリストの岩上安身氏によるものだ。福島の原発事故と新生児の異常は無関係であるにもかかわらず、関連づけるかのような書き方をしている。しかも人の障害を報じることにまったく自粛の姿勢がないことに驚く。
念のために説明すれば、先天的異常は新生児に一定の確率で起こる。原爆の医療記録によれば、妊娠中に一瞬で数100ミリシーベルト(mSv)の強い放射線を浴びたときに、胎児に影響が出た例がある。現在の福島では、自然放射線に加えて年数mSvの放射線量の増加しかないので、放射線による障害など起こるわけがない。
この「スクープ」には批判が殺到し、岩上氏はこの書き込みを削除。同氏はその後も横浜で福島から飛んできたストロンチウムが見つかったなど、誤報を繰り返し流して批判を浴びた。
福島の原発事故では、放射能と原発をめぐる情報があふれた。ところが、それらは玉石混交で危険を過度に煽るおかしなものが多かった。その発信源の一つが、岩上氏らが活動の拠点にするフリーランスのジャーナリストの集まった「自由報道協会」(上杉隆代表)だ。
この団体は危険を煽る人々、政治主張を重ねる反原発派の人を繰り返し登場させた。今は「誰でもメディアの時代」だ。映像またブログ記事が、インターネットを使い容易に拡散する。
同協会は昨年7月にクリス・バズビーという人物の記者会見を主催した。彼は「福島第一原発の100キロ圏内で数10万人単位のがん患者が出る」と予告。この情報が拡散し、不安を広げた。彼はECRR(被曝リスクに関する欧州委員会)という反核私設団体の幹部にすぎない。
しかも、このバズビーなる人物が日本人向けに数万円のサプリ、放射能検査を売り込んでいたことを日英のメディアが暴いた。すると失踪してしまった。
また反原発活動家の広瀬隆氏らは同協会で昨年8月記者会見し33人の行政、東電関係者を「子供たちの健康を害した非人道的行為による業務上過失致死傷罪」で刑事告発したと発表した。ただのパフォーマンスだが、その中には山下俊一氏(福島県立医大副学長)などの医学者も含まれていたのは問題だった。
山下氏は「100mSv以下の被ばくと発がんには因果関係がない」という学会で認められた説に基づいて、事故の対応策を福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーとして勧告した。それに対して、広瀬氏らECRRの説を根拠に刑事告発したのだ。
この後に医学界、原子力や放射線の専門家の間で、放射能や原発問題などの発言が自粛される空気が醸成されたという。医師や学者は他者からの攻撃には慣れていない人々で、刑事告発騒ぎなどを見て、萎縮するのは当然だ。広瀬氏の行動は言論や学問の自由を圧殺する危険な行動だ。それに自由報道協会は加担したのだ。
雑誌に広がる売るための過激情報
技量不足の報道が行われても「プロ」の既存メディアがしっかりしていれば、問題はなかっただろう。しかし雑誌メディアを中心に煽りは過剰だった。
雑誌記事のタイトルを紹介してみよう。
「20年後のニッポン がん 奇形 奇病 知能低下」(『週刊現代』7月16・23号)。
「30キロ圏そばで耳のないウサギが生まれた」(『フラッシュ』6月14日号)。
「セシウム米が実る秋」(『サンデー毎日』8月26日号)。
いずれも科学的な事実には反するものだが、思わず手に取りたくなる印象的なタイトルだ。売ろうとする意図は分かるが、こうした言葉が拡散することで、社会に不安が蓄積する。
一部の雑誌は放射能パニックに陥った母親の姿を肯定的に取り上げた。『AERA』は「見えない「敵」と戦う母 放射能から子供を守るために」(6月19日号)という記事を掲載。食事による内部被曝を避けようと、学校に手作り弁当を持参させ深夜に食材を求め奔走する様子を紹介した。
同誌の記事はエスカレート。「ふつうの子供産めますか 福島の子どもたちからの手紙」(8月28日)という記事もあった。パニックに陥っていると思われる子どもたちが恐怖におののく手紙を掲載したものだ。
福島県の放射線は通常の生活が送れるレベルで健康被害の可能性は極小だ。また「ふつうの子供」という表現には、障害を持った人々への蔑視や偏見が込められている。こうした事実を同誌は真剣に受け止めず、子供の不安を取り除く努力もしていない。
『週刊文春』は「衝撃スクープ 郡山4歳児と7歳児に「甲状腺がん」の疑い!」(2月23日)という記事を掲載した。執筆者は自由報道協会の理事というにおしどりマコというタレントだ。
記事は福島からの避難者の検査の中で、「良性の甲状腺結節」という結果の出た子供が検査を受けたという内容だ。「結節」は頻繁にあるしこりで、大半はがんには結びつかない。それを「がんの疑い!」と断定して報じた。
日本の雑誌メディアでは、原発問題では革新系が反原発の立場に立って放射能について危険に注目した情報を流し、保守系がその過剰さを批判する構図がこれまであった。ところが保守系雑誌の代表格の「文春」が、放射能の煽りに参加した。あらゆる立場の雑誌が放射能パニックの醸成に加担しているのだ。
自称「専門家」たちの横行
テレビ・ラジオ放送も多くの問題があった。民放のワイドショーには、放射能デマを繰り返してきた人が「専門家」として頻繁に登場した。
武田邦彦中部大学教授は放射能に関するあいまいな情報を拡散。「福島の野菜は青酸カリより危険だ」などという話をブログで掲載し、「反放射能」「反原発」の書籍を数多く出版している。かつて、この人物は原子力の安全性と可能性を訴えていた。
京大助教の小出裕章氏は、「チェルノブイリで数十万人が死んだ」と、低線量被ばくの恐怖を拡散。しかし、これは事実に反する。ロシア政府の報告などによれば確認された死者は50人以下で、汚染された乳製品などの食料を食べた人以外は、発がん率の増加は観察されていない。
さすがにパニックを誘発するような言葉は放送で述べていないようだが、テレビ、ラジオが取り上げれば、これらの人々の書籍を手に取る視聴者も増える。結果的に、デマ拡散を支えてしまう。
前述の広瀬隆氏のある講演がインターネット上の映像サイトに掲載されていた。そこで彼は放射能の「治療法」として「うちの娘のつくった生みそは放射能に効く」と言っていた。放射能パニックを利用して、恐怖心につけ込んだ宣伝行為に他ならない。
これを見た筆者は、専門家と称する人々が社会に与えた損害、そしてパニックで彼らが得た利益を考え暗澹たる思いになった。
NHK、朝日新聞にも煽りが登場
放射能問題をセンセーショナルに扱ったネットメディアや雑誌に比べ、NHKと新聞などの活字メディアは事実を淡々と伝え、煽りを最小限に抑えようとしていたと、一定の評価ができる。しかし、それでも時にはおかしなニュースが提供されることもあった。
昨年12月28日にNHKは「追跡!真相ファイル 低線量被ばく 揺らぐ国際基準」という番組を昨年12月28日に放送した。この中で「世界の原発の周囲で病気が増加している」と伝え、さらに放射能をめぐる防護基準をつくるICRP(国際放射線防護委員会)が原子力産業からの圧力で、基準を緩和したと報じた。ネットを中心に原子力産業への批判が視聴者の間で渦巻いた。
ところが事実は放送内容とまったく逆だ。ICRPは放射線についての厳しい国際世論を背景にして、一貫して防護基準を強化している。この番組について、原子力学会の専門家らが1月に原子力学会の専門家らが1月に抗議文を提出している。BPO(放送倫理・番組向上機構)に提訴する動きもあるという。
昨年秋に連載された朝日新聞の「プロメテウスの罠」という連載は煽り記事が続いた。例えばこんな報道があった。
「東京都町田市の主婦の6歳の長男が4カ月の間に鼻血が10回以上出た」。この母親に、原爆に被曝した反原発活動家の肥田俊太郎医師が語りかける。「広島でも同じことがあった」。記事中に「こうした症状が原発事故と関係があるかどうかは不明だ」と逃げの文章を入れるが、読み手に不安を抱かせる記事だ。(12月2日記事)
町田市での子供の鼻血は原発事故の影響であることはありえない。それなのに記事は「証明できないがあるかもしれない」と匂わせる。「プロメテウスの罠」は、同じような危惧を抱かせる内容の記事を延々と紹介した。他紙面では事実を伝えているのに、この特集は特異だった。
東京新聞(中日新聞東京本社)の報道は全般的に反原発色が強いが、関東圏で2ページの特集記事の枠を持つ「特報部」は過激な内容の記事が多い。連日、反原発系の識者が登場。「低線量被曝の世界的権威」として、前述のクリス・バズビー氏の「(日本政府の被ばく基準は)恣意的で誤り」とするインタビュー記事(7月20日)を伝えた。こうした報道姿勢から反原発団体の間で、同紙の評判はよくなっているという。
メディアが醸成した「放射能ストレス」(下)― 死者ゼロなのに大量の報道、なぜ?
石井 孝明
アゴラ研究所フェロー
「メディアが醸成した「放射能ストレス」(上)― 感情的な報道の生んだ人権侵害」に続き(下)を掲載する。
リスクに比べて「騒ぎすぎ」の報道
多くのテレビ、新聞、雑誌が事故後、放射能の影響について大量に報道してきた。しかし伝えた恐怖の割に、放射能による死者はゼロ。これほどの報道の必要があるとは思えない。
低線量被ばくについては、科学の認識は一致している。「100mSv以下の被ばくでは、他の要因による発がんの影響によって隠れてしまうほど影響は小さく、放射線による発がんのリスクの明らかな増加を証明することは難しい」(内閣官房・低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ報告書)。
分かりやすく言い換えれば、喫煙、運動不足など、健康をめぐるリスクは身の回りにあり、今の放射線量ならば他の悪影響に埋もれてしまうほど影響は軽微ということだ。
この見解はチェルノブイリ事故、広島・長崎の原爆の調査、その後の世界各国の疫学調査で確認されたものだ。福島・東日本の原発事故による放射線量の増加は、多くて初年に数mSv程度。今後はこの数値は減っていく。
まとめれば、一連の報道は騒ぎ過ぎなのだ。福島・東日本で福島原発事故による放射性物質での白血病、固形がん、遺伝性疾患などが増加する可能性はこれまでもなく、これからもないと、筆者は判断している。
「原発への反感」「恐怖感」が報道に混入
ではなぜ騒ぎ過ぎの状況が起こったのだろうか。理由は複合的だ。
原発事故後には「何を信じていいか」という規範がなくなった。政府、東電、原子力関連学会は「原発は安全」と言い続けてきた。そして大多数の人は原子力の問題について、何も考えてこなかった。
そこに突如起こった原発事故。「だまされた」と既存の制度への不信が広がる中で、人々が新しい異論に飛びつきやすい状況が生まれた。煽り報道が受け入れられやすく、また検証なく発信されやすい状況になった。
さらに放射能という分野は一般の人にも、メディア関係者の大半にとってもなじみの薄い分野だ。各メディア内部と執筆者の不勉強、そして受け手の知識不足が、不正確な情報を流通させた。
そこに現在のメディア事情が重なる。今のメディアは紙から電波媒体まで、売り上げの伸び悩みに直面している。センセーショナルな言葉を使って売りたい、目立ちたいという衝動が、言葉を過激化させていったのだろう。
一つの例証がある。放射能について過激な言説を発表し続けた、ある環境雑誌の経営者・編集長と、話し合ったことがある。この人は反原発を掲げていた。そこに福島第一原発事故に直面した。原子炉建屋の水素爆発の映像、そして福島の状況に大変な衝撃を受けたようだ。その結果、反原発の行動がかたくなになってしまい、「福島に人は住めない」という過激な言葉やバズビー氏とECRRの情報を拡散した。
「なぜ不正確な情報を広げるのか。結局は信用を落としてあなたは損をする。放射能の健康被害と原発の是非は分けるべきだ」と筆者は話した。しかし、この人は「国が信じられない」「可能性があるなら危険性を報じるべきだ」「原発推進派を利する情報は出さない」と繰り返す一方だった。
残念ながらこの雑誌は放射能の危険マニアの集うクローズした世界になって売り上げも伸び悩んでいるようだ。この社長と活動に敬意を持っていたが、筆者はそこから遠ざかった。
この人は「脱原発」という自分の価値観、さらには恐怖感で放射能問題を捉えようとしている。一方で多くの人は、科学的事実に基づき議論を進めようとする。残念ながら議論の土俵が違っている。
このように放射能をめぐる議論では、対話する人の意識の「ずれ」が非常に多い。
煽りが恐怖拡散の一因に
事実から遊離し、感情を中心にした煽り報道は、混乱を社会に生む。さらには、人権侵害、差別、風評被害という悪しき影響を与える。煽り報道がどのような悪影響を与えているのか。大規模な調査は少ない。
慶応義塾大学のパネルデータ解析センターが今年2月に発表した約3100世帯の調査では、原発事故・放射能汚染への恐怖・不安感は、震災直後よりも3カ月後の昨年6月のほうが大きくなっている。
属性では、文系出身者や低所得層、非正規雇用者、無業者、未就学児がいる人、東北3県の居住者ほど、恐怖・不安を強く感じていた。また、原発・放射能汚染への恐怖・不安を感じる人ほど、睡眠不足やストレス増加を経験する傾向が強いこともわかった。恐怖や不安は、健康に影響を与えた可能性があるほか、買い溜めの助長など、購買行動へも影響したとみられるという。
もちろん、こうした調査だけで煽り報道に影響を受けやすい人々を理解したつもりになることは避けるべきだろう。より詳細な調査が必要だ。しかし「孤立した」「知識と自己学習能力が乏しく」「社会との接点や他者との連携が少なくネット情報に頼る」といった社会的な弱者が、煽り情報の犠牲者に陥りやすいことは確かだろう。
この傾向は筆者の見聞した事実にもあてはまる。筆者は横浜市に住む7人の0-8歳の子供を持つ母親たちに放射能問題の現状を説明したことがある。母親たちは冷静で、逆に筆者はお母さんと子供の世界で放射能問題がどのように受け止められているのかを聞いた。
7人は専業主婦から会社員までの30歳代の母親たちで保育園の保護者仲間だった。生活は安定している典型的な横浜の中流層だ。学歴は多様だが全員文系で、放射能の知識は皆無。主な情報収集手段は手軽であるためにネットの閲覧で、新聞、テレビはわずかだった。しかし、その結果集まる情報の洪水に、誰もが戸惑っていた。またネット情報を含めて各メディア、そして政府の情報は信頼していなかった。
相互に話し合う中で、「この情報はおかしい」「この人の言うことは変だ」と気づいた例が多くあったという。ただし子供がいるゆえに、「怖い」と絶叫する単純で危険を強調する情報が心に残ってしまうそうだ。
このグループの母親らは自分の情報解釈が子供のためにゆがむことを自己認識していた。「客観視できることは素晴らしいこと」と筆者が評価すると「冷静な人が集まった」と答えが返ってきた。母親のサークルは同じような性格、考えの人がグループを作る傾向があるそうだ。過激に心配する人は孤立しやすい人が多く「ある母親は、夫と別居して沖縄に引っ越しました」(母親の1人)という。
情報を取捨選択するのは、自己責任の問題かもしれない。しかし煽り報道に踊らされる人々を放置しておいてよいとは思えない。これらの人々は、私たちの同胞であり、巨視的な視点から見れば、日本という同じ運命共同体の仲間であるからだ。
放射能への恐怖が社会と経済に悪影響
そして煽り報道によって動かされた人々の行動は、社会に悪影響を与えてしまう。がれき処理の遅れ、被災地の除染と帰還の遅れは放射能についての過剰な恐怖感が背景にある。
4月時点で、事故を起こした福島第一原発の半径20キロ圏内の約11万人の県民が、政府の避難指示によって帰宅できない状況になっている。
昨年秋に試算された東京電力に関する経営・財務調査委員会報告によれば風評被害の金額は、数年間で1兆3000億円の巨額と推計されている。
岩手県・宮城県の「災害廃棄物」(がれき)の量は、それぞれ通常の11年分・19年分にも達している。政府が各地で分散して焼却を呼びかけた。それなのに受け入れが進まない。がれきから放射能が拡散するという、あり得ない懸念が広がっているためだ。
経済への悪影響も見逃せない。放射能への恐怖が脱原発の考えと結びついた。菅直人前首相などによる政治主導による無計画な原発検査の強化で、全国の原発の再稼動が難しくなった。
2011年の貿易収支は1980年以来、通年では31年ぶりの赤字に転落した。東日本大震災や世界経済の減速、歴史的な円高などを背景に輸出が減少した一方で、原子力発電を代替する火力発電向け液化天然ガスや原油などの輸入が急増。化石燃料の輸入費用は前年比で4兆4000億円も増加した。原発の再稼動が遅れ、夏場は全国的な電力不足に直面する可能性がある。
原発について、どのような意見を持っても自由であろう。しかし広がった混乱による社会と経済の損害は明らかに大きすぎる。混乱は「ノイジー・マイノリティ」(騒ぐ少数者)と呼ばれる人々の活動によってもたらされている。これらの人々の動きには、政党・政治活動が背景にある例も多い。
この種の活動が社会の少数であっても一定の人々に受け入れられ、正しい方向への転換に時間がかかっているのは、放射能への恐怖のためだろう。煽り報道、おかしな情報のもたらした恐怖は、社会を傷つけていくのだ。
チェルノブイリと福島の類似点
さらに恐怖は人々の健康にも影響を与える。1986年の旧ソ連(現ウクライナ)でのチェルノブイリ原発事故を振り返りたい。
ロシア政府は昨年「チェルノブイリ事故25年 ロシアにおけるその影響と後遺症の克服についての総括および展望1986~2011」という総括報告書を発表した。それによると、放射能による死者は事故現場に居合わせた人50人以下とされている。それに加えて、汚染された牛乳などの乳製品を摂取して甲状腺がんとなった人の死亡者(10人程度とされる)以外、事故による放射能の影響が直接の原因になった死者は報告されていない。低線量被ばくによる健康被害は25年経過しても観察されていない。
チェルノブイリの周辺では、1980年代後半に年間5mSv以上の放射線量で強制退去命令が出た。これは日本の避難基準(年間20mSv)より厳しいものだった。当時のソ連経済は疲弊していたため、移住を強いられた人々のほとんどは失業し、政府の援助も受けられなかった。結果的に20万人が家を失った。ストレスによる自殺、妊娠中絶の増加も起こった。報告書の結論は次のように述べている。
「事故に続く25年の状況分析によって、放射能という要因と比較した場合、精神的ストレス、慣れ親しんだ生活様式の破壊、経済活動の制限、事故に関連した物質的損失といったチェルノブイリ事故による社会的・経済的影響のほうがはるかに大きな被害をもたらしていることが明らかになった」。
「チェルノブイリ事故の主な教訓の一つは、社会的・精神的要因の重要性が十分に評価されなかったことである(中略)この教訓は福島第一発電所の事故にとっても今日的なものだ」(翻訳はアゴラ研究所所有、東京大学准教授中川恵一氏の提供による)(記事のリンク)
福島で起こっていることも同じだ。放射線量はチェルノブイリよりはるかに低い。ところが政府は強制退去させた避難民を帰宅させない。放射能に関する正しい知識が普及せず恐怖が広がっている。混乱の源になるのは誤った情報だ。煽り報道は、被災者の帰宅を妨げ、ストレスを生み、風評被害を拡大して2次災害を作り出している。
混乱に向き合うために―情報の精査を
さすがにここまでひどい煽り報道が続くと、それに対する受け手からの批判も当然起こる。一般市民の大半は賢明で放送をしっかり観察している人が多い。
出版関係者がそろって言うところによれば、昨年秋ごろから、「放射能ものは売れない」状況になっている。情報のばかばかしさに、大半の人が気づいたのだろう。
また私の見聞した福島の人々の煽り報道への反応を紹介したい。ある公的団体は東京、朝日新聞の報道に不信感を示し、両社の取材には情報を出さなかったそうだ。「あんなデマ流す人たちに話したら、何書かれるか分かりませんから」。別の行政関係者は昨年話していた。「放射能デマの雑誌なんてばかばかしくて、福島では誰も買っていませんね。私たちの故郷を何だと思っているのでしょうか」。
当然の反応だろう。市民によるメディアへの「監視」「反撃」がどのように広がるのだろうか。「なぜ適切な情報を伝えなかったのか」と、残念な思いを持ちながら、筆者は注目している。
震災、原発事故から1年が経過し、社会は落ち着きを取り戻し始めている。そして福島200万人の同胞をはじめ、大半の人々は復興に取り組んでいる。そろそろ冷静に物事を考えるべきだ。
煽り報道を含めたジャーナリズムの玉石混淆は今後も続くだろう。私たちは、メディアを精査し、さらに監視して、時には「おかしい」と批判すること、また惑う人を時には説得する形で情報に向き合わなければならない。
「真理はあなたを自由にする」(新約聖書福音書)。正しい情報を得て、そして使うことが復興の足取りを確かなものにする。
この方の名前は、はじめて聞きました。
ジャーナリストだと言うことです。
追記:経済・環境ジャーナリスト。慶応義塾大学経済学部卒業。時事通信社記者、経済誌フィナンシャル ジャパンの副編集長、編集プロダクション経営などを経て、現在、ジャーナリストとして活動中。
(一部言い過ぎのところもありますが)全体としてきわめて正確な認識です。
よく勉強しています。
私のこれまでの放射線に関する記述をわかりやすくまとめると、こういう文章になるのだと思います。
こういう正しい情報がメディアの大勢となり、一日でも早く復興が進むことを願っております。
ちなみに、私自身は原子力事業とは全く無関係ですし、金銭を含めた利害関係は一切ありません。
最近、何でもかんでも利権がらみに話を矮小化して、頭ごなしに否定をする思考停止状態の人が多いように感じます。
そうした中、こういう文章をブログに書く(引用する)ことは、私個人にとって何のメリットもありません。(むしろデメリットばかりです。いずれ御用学者のリストに「ジュニアスキー」と書かれるかもしれませんし。(笑))
では、何で記述しているかというと、誤った情報とそれによって引き起こされている不安・不満・拒否感情によって、被災地の復興が遅々として進まない現状に強い危惧を抱いているからです。
ご理解いただけましたら、幸いです。
【福島・南相馬で年間2ミリシーベルト】 外部被ばく、工夫で軽減も
【福島・南相馬で年間2ミリシーベルト】 外部被ばく、工夫で軽減も
東京電力福島第1原発事故後の昨年5月から、福島県の南相馬市周辺で生活していた約50人の外部被ばくをNPO法人がほぼ1年間測定し、積算放射線量が最高4・13ミリシーベルト、平均2・03ミリシーベルトだったことが1日、分かった。
環境省によると自然界からの被ばくは年間で約1・4ミリシーベルト。協力した医師は「4ミリシーベルトを超えたのは高いが、平均値は(健康被害を)怖がる数値ではない。生活環境を変えるなどの工夫次第で外部被ばくは軽減できる」としている。年間を通した測定はほとんどなく、データは貴重という。
「日本チェルノブイリ連帯基金」(長野県松本市)の測定に、南相馬市の高橋亨平(たかはし・きょうへい)医師(73)が協力した。同基金は「当初の予測より低かった印象だが個人差は大きい」と指摘。「今後も継続して測る必要がある」としている。
主に南相馬市とその周辺で生活していた約30人は4・13~1・26ミリシーベルト。それ以外の人の最高値は1・36ミリシーベルトだった。政府は、自然界からの被ばくを除く追加放射線量が年間1ミリシーベルト以上の地域を抱える市町村を、汚染状況重点調査地域としている。
高橋医師はデータを基に被ばくを減らすアドバイスも実施。同じ地区内でも、木造平屋建てから鉄筋コンクリートのアパートに引っ越すと、線量が半分に下がった例もあったという。
昨年5月15日に南相馬市とその周辺に住んでいた女性と子どもを対象に測定を始め、今年4月末時点で集計。線量計をつけた人には一日の行動を記録してもらった。
(2012年6月1日、共同通信)
松本のJCF 福島で1年間50人調査 生活次第で被ばく量抑制
06月01日(金) 信州毎日新聞
松本市の認定NPO法人日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)が東京電力福島第1原発事故の影響を受ける福島県内で昨年5月から1年間、住民の協力で行った被ばく量調査で、同じ地域でも生活の仕方で被ばく量が大きく変わることが31日、分かった。屋外での勤務時間を半分にするなどで被ばく量が半減した人もいた。JCFによると、放射能汚染の影響を受ける地域で1年間もの被ばく調査は全国初。居住地や行動次第で被ばく量を抑えられることを示すデータとして、住民の安全に役立てる。
調査は、福島県の住民や同県外へ避難した0歳~50代の男女計50人を対象に、昨年5月中旬からことし4月末まで実施。衣類の上にバッジ型の簡易線量計を付けて生活してもらい、毎月の被ばく累積量と行動記録を調べた。
対象者が36人と最も多い南相馬市、相馬市の住民の年間積算線量は平均約2・08ミリシーベルト。一般市民の平常時の被ばく限度とされる1ミリシーベルトの値に近い、松本市のJCF事務所(年平均1・04ミリシーベルト)のほぼ2倍だった。
南相馬市原町区のAさん(女性)は昨年10月まで毎月0・2~0・4ミリシーベルト台を推移していたが、JCFの助言を受け10月半ばに同区内で引っ越した。徒歩5分しか離れていない場所だが、11月以降はJCF事務所の線量を下回り、放射能の影響はほとんどなくなった。JCFスタッフ加藤丈典さんは「以前の居住地は木に囲まれていた。放射性物質がたまりやすいホットスポットになっている可能性がある」と指摘する。
伊達市のBさん(女性)は、計画的避難区域に指定された飯舘村に勤務先があり、年間積算線量は4・71ミリシーベルトと50人中最高。10時間ほどだった屋外での勤務時間を8月から半分にすると、月0・4~0・5ミリシーベルト台だった線量が同月から0・21ミリシーベルトに下がった。ところが11月以降に再び線量が上昇。加藤さんは「仕事場近くで除染作業が始まり、放射性物質を含んだ塵などの影響を受けるようになったのではないか」と推測する。
JCFはことし4月の測定終了後、対象者には結果を報告した。JCFの神谷さだ子事務局長(59)は「放射線という見えないものを数値で示す意味は大きい」とする。6月から南相馬市民を中心に測定継続を希望した6人と新規の44人を対象に再び測定を行う。外部被ばく線量の値が高い人には、3カ月~半年に1回ペースで、同市内の病院で内部被ばく検査も行う。
東日本大震災:県民の被ばく線量「障害出るレベルでない」 定期的な調査継続を--有識者会議 /栃木
毎日新聞 2012年06月03日 地方版
福島第1原発事故を受けた県の「放射線による健康影響に関する有識者会議」(座長、鈴木元・国際医療福祉大クリニック院長)が2日、県庁で開かれ、被ばく調査の結果「県民に将来、健康障害が起きるという結論には至らない」との見解を示した。ただし、今後も定期的な健康調査を継続するなどの提言を盛り込んだ報告書を福田富一知事に提出する。【中村藍】
この日、汚染状況重点調査地域の那須塩原、日光市など8市町をはじめ計10市町で行った外部被ばくの測定結果を協議した。
調査は幼稚園児から中学生(3~15歳)の約3700人を対象に2カ月間にわたり、個人線量計を身につけてもらうもの。期間内に3054人から線量計が返却された。
その結果、那須塩原市の3人の0・4ミリシーベルトを最高に、同市、那須町、大田原市の41人が0・3ミリシーベルトなど。10市町の1383人は0・1ミリシーベルト未満だった。
会議では、自然界からの被ばく線量などを加えた年間外部被ばく線量を最大3・9ミリシーベルトと試算。「ヨーロッパに居住した場合とほぼ同じ線量。健康障害が出るレベルではない」と報告された。
児童・園児の内部被ばく線量「健康に影響なし」栗原市
栗原市は1日、福島第1原発事故の影響による空間放射線量が高かった栗駒の鳥矢崎小と鳥矢崎幼稚園の児童・園児(事故当時)を対象に、ことし5月に実施した全身測定器「ホールボディーカウンター」による内部被ばく線量の測定結果を公表した。
対象となったのは、測定を希望した75人で内訳は5歳児4人、小学生53人、中学1年生18人。仙台市内の医療機関でセシウム137の線量を測定、データをコンピューターにかけて、50年間に被ばくする線量に換算した。
結果、実効線量の最大は22.0マイクロシーベルト、最小は0.0マイクロシーベルト、平均は4.58マイクロシーベルトだった。国際放射線防護委員会(ICRP)が定める「健康に影響が及ぶ放射線の生涯被ばく累計線量」の10万マイクロシーベルトを大きく下回った。
市によると、保護者には医療機関から「健康に影響する内部被ばくはなかった」と説明があったという。
佐藤勇市長は「想像していたより低い数値だったのでほっとしている。今後他地域から測定の要望が出るようなことがあれば、対応していきたい」と話した。
鳥矢崎小、鳥矢崎幼稚園では、空間放射線量が毎時0.36マイクロシーベルト、同0.23マイクロシーベルトと市内の教育施設の中でも高い方だったため、先導的に検査が行われた。
2012年06月02日土曜日
内部被ばくに関しての報告は、福島県のホームページに載っています。
ホールボディカウンタによる内部被ばく検査の実施結果について
平成24年5月30日更新
平成24年4月分の県が実施している内部被ばく検査については、下記のとおりで、全員、健康に影響が及ぶ数値ではありませんでした。
検査は、18歳以下の子ども、妊婦を優先に検査を実施しています。

(以下略)
これまで、地域の放射線量(空間線量率)などは測定されてきましたが、肝心の住民がどの程度被ばくしているのかというデータは、あまり報告されていませんでした。
今回、福島県及び隣接県で、一般市民が日常生活を送っているときの実際の被ばく量のデータが相次いで公表されています。
方法としては、外部被ばくはクリップオンタイプの線量計で、内部被ばくはホールボディカウンターで、各々測ることになります。
結果のポイントは、
①南相馬地区でも、平均2ミリシーベルト程度、隣県に至っては被ばく量は相当少ない。
②外部被ばく及び内部被ばくのいずれも、想定よりも少ない値
③同じ南相馬に住んでいても、生活環境によって被ばく量は大きく変わる。屋外滞在時間の短縮、鉄筋の建物などが効果的。
東京電力福島第1原発事故後の昨年5月から、福島県の南相馬市周辺で生活していた約50人の外部被ばくをNPO法人がほぼ1年間測定し、積算放射線量が最高4・13ミリシーベルト、平均2・03ミリシーベルトだったことが1日、分かった。
環境省によると自然界からの被ばくは年間で約1・4ミリシーベルト。協力した医師は「4ミリシーベルトを超えたのは高いが、平均値は(健康被害を)怖がる数値ではない。生活環境を変えるなどの工夫次第で外部被ばくは軽減できる」としている。年間を通した測定はほとんどなく、データは貴重という。
「日本チェルノブイリ連帯基金」(長野県松本市)の測定に、南相馬市の高橋亨平(たかはし・きょうへい)医師(73)が協力した。同基金は「当初の予測より低かった印象だが個人差は大きい」と指摘。「今後も継続して測る必要がある」としている。
主に南相馬市とその周辺で生活していた約30人は4・13~1・26ミリシーベルト。それ以外の人の最高値は1・36ミリシーベルトだった。政府は、自然界からの被ばくを除く追加放射線量が年間1ミリシーベルト以上の地域を抱える市町村を、汚染状況重点調査地域としている。
高橋医師はデータを基に被ばくを減らすアドバイスも実施。同じ地区内でも、木造平屋建てから鉄筋コンクリートのアパートに引っ越すと、線量が半分に下がった例もあったという。
昨年5月15日に南相馬市とその周辺に住んでいた女性と子どもを対象に測定を始め、今年4月末時点で集計。線量計をつけた人には一日の行動を記録してもらった。
(2012年6月1日、共同通信)
松本のJCF 福島で1年間50人調査 生活次第で被ばく量抑制
06月01日(金) 信州毎日新聞
松本市の認定NPO法人日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)が東京電力福島第1原発事故の影響を受ける福島県内で昨年5月から1年間、住民の協力で行った被ばく量調査で、同じ地域でも生活の仕方で被ばく量が大きく変わることが31日、分かった。屋外での勤務時間を半分にするなどで被ばく量が半減した人もいた。JCFによると、放射能汚染の影響を受ける地域で1年間もの被ばく調査は全国初。居住地や行動次第で被ばく量を抑えられることを示すデータとして、住民の安全に役立てる。
調査は、福島県の住民や同県外へ避難した0歳~50代の男女計50人を対象に、昨年5月中旬からことし4月末まで実施。衣類の上にバッジ型の簡易線量計を付けて生活してもらい、毎月の被ばく累積量と行動記録を調べた。
対象者が36人と最も多い南相馬市、相馬市の住民の年間積算線量は平均約2・08ミリシーベルト。一般市民の平常時の被ばく限度とされる1ミリシーベルトの値に近い、松本市のJCF事務所(年平均1・04ミリシーベルト)のほぼ2倍だった。
南相馬市原町区のAさん(女性)は昨年10月まで毎月0・2~0・4ミリシーベルト台を推移していたが、JCFの助言を受け10月半ばに同区内で引っ越した。徒歩5分しか離れていない場所だが、11月以降はJCF事務所の線量を下回り、放射能の影響はほとんどなくなった。JCFスタッフ加藤丈典さんは「以前の居住地は木に囲まれていた。放射性物質がたまりやすいホットスポットになっている可能性がある」と指摘する。
伊達市のBさん(女性)は、計画的避難区域に指定された飯舘村に勤務先があり、年間積算線量は4・71ミリシーベルトと50人中最高。10時間ほどだった屋外での勤務時間を8月から半分にすると、月0・4~0・5ミリシーベルト台だった線量が同月から0・21ミリシーベルトに下がった。ところが11月以降に再び線量が上昇。加藤さんは「仕事場近くで除染作業が始まり、放射性物質を含んだ塵などの影響を受けるようになったのではないか」と推測する。
JCFはことし4月の測定終了後、対象者には結果を報告した。JCFの神谷さだ子事務局長(59)は「放射線という見えないものを数値で示す意味は大きい」とする。6月から南相馬市民を中心に測定継続を希望した6人と新規の44人を対象に再び測定を行う。外部被ばく線量の値が高い人には、3カ月~半年に1回ペースで、同市内の病院で内部被ばく検査も行う。
東日本大震災:県民の被ばく線量「障害出るレベルでない」 定期的な調査継続を--有識者会議 /栃木
毎日新聞 2012年06月03日 地方版
福島第1原発事故を受けた県の「放射線による健康影響に関する有識者会議」(座長、鈴木元・国際医療福祉大クリニック院長)が2日、県庁で開かれ、被ばく調査の結果「県民に将来、健康障害が起きるという結論には至らない」との見解を示した。ただし、今後も定期的な健康調査を継続するなどの提言を盛り込んだ報告書を福田富一知事に提出する。【中村藍】
この日、汚染状況重点調査地域の那須塩原、日光市など8市町をはじめ計10市町で行った外部被ばくの測定結果を協議した。
調査は幼稚園児から中学生(3~15歳)の約3700人を対象に2カ月間にわたり、個人線量計を身につけてもらうもの。期間内に3054人から線量計が返却された。
その結果、那須塩原市の3人の0・4ミリシーベルトを最高に、同市、那須町、大田原市の41人が0・3ミリシーベルトなど。10市町の1383人は0・1ミリシーベルト未満だった。
会議では、自然界からの被ばく線量などを加えた年間外部被ばく線量を最大3・9ミリシーベルトと試算。「ヨーロッパに居住した場合とほぼ同じ線量。健康障害が出るレベルではない」と報告された。
児童・園児の内部被ばく線量「健康に影響なし」栗原市
栗原市は1日、福島第1原発事故の影響による空間放射線量が高かった栗駒の鳥矢崎小と鳥矢崎幼稚園の児童・園児(事故当時)を対象に、ことし5月に実施した全身測定器「ホールボディーカウンター」による内部被ばく線量の測定結果を公表した。
対象となったのは、測定を希望した75人で内訳は5歳児4人、小学生53人、中学1年生18人。仙台市内の医療機関でセシウム137の線量を測定、データをコンピューターにかけて、50年間に被ばくする線量に換算した。
結果、実効線量の最大は22.0マイクロシーベルト、最小は0.0マイクロシーベルト、平均は4.58マイクロシーベルトだった。国際放射線防護委員会(ICRP)が定める「健康に影響が及ぶ放射線の生涯被ばく累計線量」の10万マイクロシーベルトを大きく下回った。
市によると、保護者には医療機関から「健康に影響する内部被ばくはなかった」と説明があったという。
佐藤勇市長は「想像していたより低い数値だったのでほっとしている。今後他地域から測定の要望が出るようなことがあれば、対応していきたい」と話した。
鳥矢崎小、鳥矢崎幼稚園では、空間放射線量が毎時0.36マイクロシーベルト、同0.23マイクロシーベルトと市内の教育施設の中でも高い方だったため、先導的に検査が行われた。
2012年06月02日土曜日
内部被ばくに関しての報告は、福島県のホームページに載っています。
ホールボディカウンタによる内部被ばく検査の実施結果について
平成24年5月30日更新
平成24年4月分の県が実施している内部被ばく検査については、下記のとおりで、全員、健康に影響が及ぶ数値ではありませんでした。
検査は、18歳以下の子ども、妊婦を優先に検査を実施しています。

(以下略)
これまで、地域の放射線量(空間線量率)などは測定されてきましたが、肝心の住民がどの程度被ばくしているのかというデータは、あまり報告されていませんでした。
今回、福島県及び隣接県で、一般市民が日常生活を送っているときの実際の被ばく量のデータが相次いで公表されています。
方法としては、外部被ばくはクリップオンタイプの線量計で、内部被ばくはホールボディカウンターで、各々測ることになります。
結果のポイントは、
①南相馬地区でも、平均2ミリシーベルト程度、隣県に至っては被ばく量は相当少ない。
②外部被ばく及び内部被ばくのいずれも、想定よりも少ない値
③同じ南相馬に住んでいても、生活環境によって被ばく量は大きく変わる。屋外滞在時間の短縮、鉄筋の建物などが効果的。
JR東海会長・葛西敬之 「再稼働がリーダーの使命」
原子力災害に伴う放射線被ばくに関する基本的考え方
原子力災害に伴う放射線被ばくに関する基本的考え方
2011年6月2日 社団法人 日本医学放射線学会
以下は抜粋です。
*放射線影響量と防護量
放射線影響量とは、放射線による人体への影響を生物学的ないし疫学的な研究に基づいて科学的に解析して得られた線量である。一方、放射線防護量とは、防護のための考え方から、基本的には社会的合意の上に定められたものである。被ばくにより何らの利益も受けない人が放射線を浴びる意味はないという観点から、公衆の被ばく限度は、自然放射線と医療被ばくを除いた被ばく線量が年間1mSvという、自然放射線被ばくを下回るほどのきわめて小さな線量に規定されている。また、放射線作業者に対しては、5年間で100mSv以下、単年度は50mSvを超えないように管理することが義務づけられている。これらの、線量限度と総称する規制値は、各種の施策を実行するための防護量であり、影響量とは区別されなければならない。
*低線量の放射線影響
放射線はそのイオン化作用でDNAに損傷を与えるので、放射線量の増加に伴い、がんなどの確率的影響が発生する危険性も増加する。しかし100mSv以下の低線量での増加は、広島・長崎の原爆被爆者の長期の追跡調査を持ってしても、影響を確認できない程度である(ICRP Publ. 103, 105)。原爆被爆では、線量を一度に受けたものであるが、今回は、線量を慢性的に受ける状況であり、リスクはさらに低くなる(ICRP Publ.82, 103)。そのため今回の福島の事故で予測される線量率では、今後100万人規模の前向き研究を実施したとしても、疫学上影響を検出することは難しいと考えられている。日本人のがん死が30%に及ぶ現代においては100mSv以下の低線量の影響は実証困難な小さな影響であるといえる。
今更ですが。
①線量限度(例:1mSv)は、社会的に決まっているもので、人体への影響度とは異なる。
②今後100万人を追跡調査していっても、がんによる死亡率の増加は認められないだろう。
放射線医学のプロ集団の見解です。
明快な考え方だと思いますよ。
2011年6月2日 社団法人 日本医学放射線学会
以下は抜粋です。
*放射線影響量と防護量
放射線影響量とは、放射線による人体への影響を生物学的ないし疫学的な研究に基づいて科学的に解析して得られた線量である。一方、放射線防護量とは、防護のための考え方から、基本的には社会的合意の上に定められたものである。被ばくにより何らの利益も受けない人が放射線を浴びる意味はないという観点から、公衆の被ばく限度は、自然放射線と医療被ばくを除いた被ばく線量が年間1mSvという、自然放射線被ばくを下回るほどのきわめて小さな線量に規定されている。また、放射線作業者に対しては、5年間で100mSv以下、単年度は50mSvを超えないように管理することが義務づけられている。これらの、線量限度と総称する規制値は、各種の施策を実行するための防護量であり、影響量とは区別されなければならない。
*低線量の放射線影響
放射線はそのイオン化作用でDNAに損傷を与えるので、放射線量の増加に伴い、がんなどの確率的影響が発生する危険性も増加する。しかし100mSv以下の低線量での増加は、広島・長崎の原爆被爆者の長期の追跡調査を持ってしても、影響を確認できない程度である(ICRP Publ. 103, 105)。原爆被爆では、線量を一度に受けたものであるが、今回は、線量を慢性的に受ける状況であり、リスクはさらに低くなる(ICRP Publ.82, 103)。そのため今回の福島の事故で予測される線量率では、今後100万人規模の前向き研究を実施したとしても、疫学上影響を検出することは難しいと考えられている。日本人のがん死が30%に及ぶ現代においては100mSv以下の低線量の影響は実証困難な小さな影響であるといえる。
今更ですが。
①線量限度(例:1mSv)は、社会的に決まっているもので、人体への影響度とは異なる。
②今後100万人を追跡調査していっても、がんによる死亡率の増加は認められないだろう。
放射線医学のプロ集団の見解です。
明快な考え方だと思いますよ。
除染の一部、国負担せず 重点地域 年5ミリシーベルトで線引き
除染の一部、国負担せず 重点地域 年5ミリシーベルトで線引き
2012年2月29日 東京新聞朝刊
東京電力福島第一原発事故で放射性物質に汚染され、除染費用が「原則国負担」となる汚染状況重点調査地域について、環境省が関係自治体に対し、放射線量が比較的低い場所では一部の除染作業を国負担の対象外とする方針を示したことが分かった。首都圏では栃木、茨城、群馬、埼玉、千葉の五県五十一市町村が重点地域に指定されているが、そのすべてで一部対象外とされる可能性が出てきた。
重点地域は、自然界から受ける以外の被ばく放射線量が年間一~二〇ミリシーベルトと見込まれる地域で、実際の除染作業は自治体が担当。費用についてはこれまで、原則として国が負担するとされていた。
しかし、環境省が一月下旬、指定自治体に送った文書では、地域内でも追加被ばく線量が「高い地域」と「低い地域」を分けるとし、低い地域では民家の庭の表土除去などが国負担の対象外になっていた。
高低区分の基準について、同省は本紙の取材に「年間追加被ばく線量がおおむね五ミリシーベルト」と回答。この基準では、高い地域は福島や宮城県内の自治体だけになる。
方針を決めた理由は「除染事業の内容を練る中で、線量が低いのに、高い地域と同じように国費で負担する必要はないと考えた」としている。
各地で除染が本格化する矢先に「例外」を持ち出してきた国に対し、千葉県の柏、野田など九市は、民家の庭の表土除去も国が費用負担することなどを盛り込んだ要望書を、環境省に提出した。
市民と協力して除染を進める予定だった柏市の担当者は「『原則』である以上、例外も予想していたが、これほど多いとは。国には失望した」と話す。
栃木県那須町の高久勝町長は「一般住宅では庭の表土と屋根の除染は重要だが、町が財政負担するのは難しい。子どもたちの安全を見捨てるような方針には納得できない」と批判。茨城県取手市の担当者も「民家の除染への要望は多い。表土除去が対象外となれば、影響は大きい」と心配する。
こうした自治体の声に、環境省は「それぞれの汚染濃度に応じ適正な除染活動がある。『原則』とは適正なものについて負担するという意味。各市町村が困っていることも理解しているので、個別に相談してほしい」と釈明している。
汚染状況重点調査地域 東電福島第一原発事故に伴う放射性物質汚染で、国の責任で除染を行う地域。放射性物質汚染対処特別措置法に基づき、自然界から受ける以外の被ばく放射線量(追加被ばく線量)が年間1~20ミリシーベルトと見込まれる東北や関東地方の8県104市町村が指定された。市町村の半数近くを関東が占める。指定は、除染費用を国が負担することが前提条件となっている。
1ミリシーベルト以上を除染するなど、出来もしないし、する意味もないことは、最初から分かっていたことです。
細野豪志大臣が自治体の反発を受け、十分な検討もせず「除染は国の責任だ。我々の目標は1ミリ以下にすること。対象は1ミリから5ミリの地域も当然含まれる。市町村で提案いただければ国が責任を持って財政的措置、技術的課題に取り組むと約束する」と発言したので、役所が尻ぬぐいをさせられている状況でしょう。
最初から、5ミリを変える必要は無かったのですよ。
政治家が介入すると碌なことにならない実例です。(下も)
菅首相が介入、原発事故の混乱拡大…民間事故調
東京電力福島第一原発事故に関する独立検証委員会(民間事故調、委員長=北沢宏一・前科学技術振興機構理事長)は27日、菅前首相ら政府首脳による現場への介入が、無用の混乱と危険の拡大を招いた可能性があるとする報告書を公表した。
報告書によると、同原発が津波で電源を喪失したとの連絡を受けた官邸は昨年3月11日夜、まず電源車四十数台を手配したが、菅前首相は到着状況などを自ら管理し、秘書官が「警察にやらせますから」と述べても、取り合わなかった。
バッテリーが必要と判明した際も、自ら携帯電話で担当者に連絡し、「必要なバッテリーの大きさは? 縦横何メートル?」と問うた。その場に同席した1人はヒアリングで「首相がそんな細かいことを聞くのは、国としてどうなのかとゾッとした」と証言したという。
翌12日朝、菅氏は周囲の反対に耳を貸さず、同原発の視察を強行。この際、同原発の吉田昌郎前所長(57)が東電本店とのテレビ会議で、「私が総理の対応をしてどうなるんですか」と難色を示す場面を目撃した原子力安全・保安院職員もいたという。
報告書は、官邸の対応を「専門知識・経験を欠いた少数の政治家が中心となり、場当たり的な対応を続けた」と総括し、特に菅氏の行動について、「政府トップが現場対応に介入することに伴うリスクについては、重い教訓として共有されるべきだ」と結論付けた。
(2012年2月28日05時02分 読売新聞)
2012年2月29日 東京新聞朝刊
東京電力福島第一原発事故で放射性物質に汚染され、除染費用が「原則国負担」となる汚染状況重点調査地域について、環境省が関係自治体に対し、放射線量が比較的低い場所では一部の除染作業を国負担の対象外とする方針を示したことが分かった。首都圏では栃木、茨城、群馬、埼玉、千葉の五県五十一市町村が重点地域に指定されているが、そのすべてで一部対象外とされる可能性が出てきた。
重点地域は、自然界から受ける以外の被ばく放射線量が年間一~二〇ミリシーベルトと見込まれる地域で、実際の除染作業は自治体が担当。費用についてはこれまで、原則として国が負担するとされていた。
しかし、環境省が一月下旬、指定自治体に送った文書では、地域内でも追加被ばく線量が「高い地域」と「低い地域」を分けるとし、低い地域では民家の庭の表土除去などが国負担の対象外になっていた。
高低区分の基準について、同省は本紙の取材に「年間追加被ばく線量がおおむね五ミリシーベルト」と回答。この基準では、高い地域は福島や宮城県内の自治体だけになる。
方針を決めた理由は「除染事業の内容を練る中で、線量が低いのに、高い地域と同じように国費で負担する必要はないと考えた」としている。
各地で除染が本格化する矢先に「例外」を持ち出してきた国に対し、千葉県の柏、野田など九市は、民家の庭の表土除去も国が費用負担することなどを盛り込んだ要望書を、環境省に提出した。
市民と協力して除染を進める予定だった柏市の担当者は「『原則』である以上、例外も予想していたが、これほど多いとは。国には失望した」と話す。
栃木県那須町の高久勝町長は「一般住宅では庭の表土と屋根の除染は重要だが、町が財政負担するのは難しい。子どもたちの安全を見捨てるような方針には納得できない」と批判。茨城県取手市の担当者も「民家の除染への要望は多い。表土除去が対象外となれば、影響は大きい」と心配する。
こうした自治体の声に、環境省は「それぞれの汚染濃度に応じ適正な除染活動がある。『原則』とは適正なものについて負担するという意味。各市町村が困っていることも理解しているので、個別に相談してほしい」と釈明している。
汚染状況重点調査地域 東電福島第一原発事故に伴う放射性物質汚染で、国の責任で除染を行う地域。放射性物質汚染対処特別措置法に基づき、自然界から受ける以外の被ばく放射線量(追加被ばく線量)が年間1~20ミリシーベルトと見込まれる東北や関東地方の8県104市町村が指定された。市町村の半数近くを関東が占める。指定は、除染費用を国が負担することが前提条件となっている。
1ミリシーベルト以上を除染するなど、出来もしないし、する意味もないことは、最初から分かっていたことです。
細野豪志大臣が自治体の反発を受け、十分な検討もせず「除染は国の責任だ。我々の目標は1ミリ以下にすること。対象は1ミリから5ミリの地域も当然含まれる。市町村で提案いただければ国が責任を持って財政的措置、技術的課題に取り組むと約束する」と発言したので、役所が尻ぬぐいをさせられている状況でしょう。
最初から、5ミリを変える必要は無かったのですよ。
政治家が介入すると碌なことにならない実例です。(下も)
菅首相が介入、原発事故の混乱拡大…民間事故調
東京電力福島第一原発事故に関する独立検証委員会(民間事故調、委員長=北沢宏一・前科学技術振興機構理事長)は27日、菅前首相ら政府首脳による現場への介入が、無用の混乱と危険の拡大を招いた可能性があるとする報告書を公表した。
報告書によると、同原発が津波で電源を喪失したとの連絡を受けた官邸は昨年3月11日夜、まず電源車四十数台を手配したが、菅前首相は到着状況などを自ら管理し、秘書官が「警察にやらせますから」と述べても、取り合わなかった。
バッテリーが必要と判明した際も、自ら携帯電話で担当者に連絡し、「必要なバッテリーの大きさは? 縦横何メートル?」と問うた。その場に同席した1人はヒアリングで「首相がそんな細かいことを聞くのは、国としてどうなのかとゾッとした」と証言したという。
翌12日朝、菅氏は周囲の反対に耳を貸さず、同原発の視察を強行。この際、同原発の吉田昌郎前所長(57)が東電本店とのテレビ会議で、「私が総理の対応をしてどうなるんですか」と難色を示す場面を目撃した原子力安全・保安院職員もいたという。
報告書は、官邸の対応を「専門知識・経験を欠いた少数の政治家が中心となり、場当たり的な対応を続けた」と総括し、特に菅氏の行動について、「政府トップが現場対応に介入することに伴うリスクについては、重い教訓として共有されるべきだ」と結論付けた。
(2012年2月28日05時02分 読売新聞)
【視点】絶対的安全求める社会に一石
【視点】絶対的安全求める社会に一石
(産経新聞) 12月27日(火) 08:00:00
なぜ「想定外」のことが起きたのか、なぜ東京電力は万全の対策を取ることができなかったのか。事故調の中間報告は、その一因として、「リスク情報開示の困難さ」とともに、「社会がリスクと向き合うことの難しさ」に言及した。
原発の安全対策の正当性を主張してきた電力事業者が新たな過酷事故対策を講じようとすれば、原発に絶対的安全を求めようとする社会からは「原発は安全ではない」との批判が起こりかねない。
こうした環境を、報告書は「パラドックス(逆説)」と表現。万全な安全対策を躊躇(ちゅうちょ)させるほど、事業者を萎縮させてきた社会風土が対策不備の遠因となったことを示すとともに、原子力関係者をして「想定外」と言わしめる“思考停止”状態を生んだ背景になったと考察した。
「リスク情報を提示し、合理的な選択ができる社会に近づく努力が必要」「今回の事故は『想定外』の事柄にどのように対応すべきかについて重要な教訓を示している」
こう指摘する報告書は原子力関係者だけでなく、社会全体へのメッセージともなっており、示唆に富む。
とはいえ、現在も「想定外」を繰り返す東電、安全対策を事業者任せにしてきた規制当局の「怠慢」が免除されるわけではなく、報告書は、この点も厳しく指弾した。あぶり出された問題点が、来春新設の「原子力安全庁」にどこまで生かされるのか。今後の原子力政策を進める上での試金石になる。(原子力取材班)
(産経新聞) 12月27日(火) 08:00:00
なぜ「想定外」のことが起きたのか、なぜ東京電力は万全の対策を取ることができなかったのか。事故調の中間報告は、その一因として、「リスク情報開示の困難さ」とともに、「社会がリスクと向き合うことの難しさ」に言及した。
原発の安全対策の正当性を主張してきた電力事業者が新たな過酷事故対策を講じようとすれば、原発に絶対的安全を求めようとする社会からは「原発は安全ではない」との批判が起こりかねない。
こうした環境を、報告書は「パラドックス(逆説)」と表現。万全な安全対策を躊躇(ちゅうちょ)させるほど、事業者を萎縮させてきた社会風土が対策不備の遠因となったことを示すとともに、原子力関係者をして「想定外」と言わしめる“思考停止”状態を生んだ背景になったと考察した。
「リスク情報を提示し、合理的な選択ができる社会に近づく努力が必要」「今回の事故は『想定外』の事柄にどのように対応すべきかについて重要な教訓を示している」
こう指摘する報告書は原子力関係者だけでなく、社会全体へのメッセージともなっており、示唆に富む。
とはいえ、現在も「想定外」を繰り返す東電、安全対策を事業者任せにしてきた規制当局の「怠慢」が免除されるわけではなく、報告書は、この点も厳しく指弾した。あぶり出された問題点が、来春新設の「原子力安全庁」にどこまで生かされるのか。今後の原子力政策を進める上での試金石になる。(原子力取材班)
被ばく避難基準:20ミリシーベルト「妥当な値」政府WG
被ばく避難基準:20ミリシーベルト「妥当な値」政府WG
東京電力福島第1原発事故で放出された放射性物質による低線量被ばくの影響を有識者で検討する政府のワーキンググループ(WG、共同主査・長滝重信長崎大名誉教授、前川和彦東京大名誉教授)は15日、年20ミリシーベルト程度の被ばくによる健康影響は低いとしたうえで、政府の除染方針と同様に年20ミリシーベルトの地域では2年後に年10ミリシーベルト、その後は年5ミリシーベルトを中間的な目標にすべきだとの提言をまとめた。細野豪志原発事故担当相に提出した。【久野華代】
◇段階的下げ提言
WGは、国際的な基準を参考に、避難の基準となっている年20ミリシーベルトについて「(喫煙などの)他の発がんリスク要因と比べて十分に低い水準だ」として、科学的に妥当な値だと結論付けた。福島県民の被ばく線量は年20ミリシーベルトを平均的に下回っていると分析する一方、「線量が高い地域から、優先順位をつけて徐々に下げていくべきだ」と提案した。
また、放射線の影響を受けやすい子供の生活環境を優先して除染し、避難区域でも校庭や園庭は毎時1マイクロシーベルト以下を目指すべきだと訴えたほか、子供が口にする食品に配慮して放射性物質濃度の適切な基準の設定を求めた。チェルノブイリ原発事故(1986年)で増加した子供の甲状腺がんについては「福島第1原発事故では線量が小さく、発がんリスクは非常に小さい」と指摘した。【久野華代】
(中略)
◇WGがまとめた低線量被ばくの影響◇
・100ミリシーベルト以上は線量の上昇に応じて発がんリスクも増加することが分かっているが、100ミリシーベルト未満は影響が科学的に証明されていない
・低線量を長期間被ばくした場合、同じ線量を短期間で集中的に被ばくした場合より健康影響は小さい
・内部被ばくと外部被ばくの人体への影響は同じ
・低線量の内部被ばくによるぼうこうがんの増加は被ばくとの因果関係があると評価できない
毎日新聞 2011年12月15日 21時58分(最終更新 12月15日 23時35分)
「WGがまとめた低線量被ばくの影響」については、上3点は特に目新しいことではなく、教科書にも載っていることです。
上記4点を踏まえて、避難基準の方針を提言したことに意義があると思います。
その内容に関しては、科学的知見、被災者(国民)の感情、経済・財政状況、除染の効果に関する不確定要因を考え合わせた場合、妥当な判断だと思います。(時期に関しては、目標とせざるを得ない)
原文では、「解説」が記述されていますが、ピントが外れているので省略しました。
東京電力福島第1原発事故で放出された放射性物質による低線量被ばくの影響を有識者で検討する政府のワーキンググループ(WG、共同主査・長滝重信長崎大名誉教授、前川和彦東京大名誉教授)は15日、年20ミリシーベルト程度の被ばくによる健康影響は低いとしたうえで、政府の除染方針と同様に年20ミリシーベルトの地域では2年後に年10ミリシーベルト、その後は年5ミリシーベルトを中間的な目標にすべきだとの提言をまとめた。細野豪志原発事故担当相に提出した。【久野華代】
◇段階的下げ提言
WGは、国際的な基準を参考に、避難の基準となっている年20ミリシーベルトについて「(喫煙などの)他の発がんリスク要因と比べて十分に低い水準だ」として、科学的に妥当な値だと結論付けた。福島県民の被ばく線量は年20ミリシーベルトを平均的に下回っていると分析する一方、「線量が高い地域から、優先順位をつけて徐々に下げていくべきだ」と提案した。
また、放射線の影響を受けやすい子供の生活環境を優先して除染し、避難区域でも校庭や園庭は毎時1マイクロシーベルト以下を目指すべきだと訴えたほか、子供が口にする食品に配慮して放射性物質濃度の適切な基準の設定を求めた。チェルノブイリ原発事故(1986年)で増加した子供の甲状腺がんについては「福島第1原発事故では線量が小さく、発がんリスクは非常に小さい」と指摘した。【久野華代】
(中略)
◇WGがまとめた低線量被ばくの影響◇
・100ミリシーベルト以上は線量の上昇に応じて発がんリスクも増加することが分かっているが、100ミリシーベルト未満は影響が科学的に証明されていない
・低線量を長期間被ばくした場合、同じ線量を短期間で集中的に被ばくした場合より健康影響は小さい
・内部被ばくと外部被ばくの人体への影響は同じ
・低線量の内部被ばくによるぼうこうがんの増加は被ばくとの因果関係があると評価できない
毎日新聞 2011年12月15日 21時58分(最終更新 12月15日 23時35分)
「WGがまとめた低線量被ばくの影響」については、上3点は特に目新しいことではなく、教科書にも載っていることです。
上記4点を踏まえて、避難基準の方針を提言したことに意義があると思います。
その内容に関しては、科学的知見、被災者(国民)の感情、経済・財政状況、除染の効果に関する不確定要因を考え合わせた場合、妥当な判断だと思います。(時期に関しては、目標とせざるを得ない)
原文では、「解説」が記述されていますが、ピントが外れているので省略しました。