ジュニアスキー

ジュニアアルペン競技とスキー全般についての情報ブログです。

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再び、お久しぶりです。

皆様、お久しぶりです。

新ブログの方ですが、本音をがんがん書きすぎてしまい、現在反省モードに入っております。(笑)

先日、思い立って、消してしまいました。

ご覧になっていた方がいらしたら、唐突ですみません。

しばらくは、大人しく仕事に打ち込んでいようと思います。

何かを書き散らかしていないと、退屈で仕方がない人間なので、ほとぼりが冷めるころには(笑)、いても立ってもいられなくなると思います。

再び何かを始めるときには、こちらにお知らせさせて頂きます。

それでは、また。

ジュニアスキー
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ブログ休止のお知らせ

ブログ休止のお知らせ

長らくご愛顧をいただいていた本ブログですが、スキーブログとしては、本日をもって休止としたいと思います。


スキーに関して、足かけ7年ほど、ジュニア競技に関わってきましたが、何せ人が少ないというのが実感でしたね。

少子化のせいなのか、不況が続いたためかは分かりませんが、競技人口が少なすぎるのが、全体のレベルアップには最大のネックになっているように感じました。

まずは、一般の方の認知度を上げるために、マスコミに取り上げてもらうようにしないといけないと思います。

「雪マジ」は良い企画でしたが、デフレ・ビジネスに傾きすぎていました。

スキー場の体力が持たないと思います。

リクルートも良いですが、電通や博報堂等と組んで、コンサルや企画屋のアイデアを借りないと難しいでしょうね。

また、競技を始めてからのインセンティブも足りないですね。

子供たちのあこがれになるような選手も必要でしょう。

人気と実力を兼ねそろえた選手がいれば、一番です。

あとは、育成方法の改善(品質管理)ですね。

アメリカやカナダの方法を取り入れて、ジュニアのアルペン導入期には、基礎スキーと協力しながらSkillsQuestのような検定制度を整備、実施していくべきでしょう。

基礎だ、競技だと対立していたら、本当にこの業界は終わります。

子供を実際に指導するイントラやコーチも、「接客意識」をもっと持つべきでしょうね。

体育会的な指導は、今の子供には無理です。

お客様として接しないと。(それが良いか悪いかは別として)

新しい企画を次から次へと出して、注目と人気を上げる努力をする必要があります。

まずは、子供たちに楽しんでもらわないと。

楽しいスポーツにしないと。

それが、原点ですね。


長い間、競技スキーには、楽しませてもらいました。

特に最初の数年間の「熱」を皆さんにお伝えでき、また共有できたことは本当に良かったと思います。

常に全力で打ち込みながらも、冷静な(メタ認知的な)視点は維持できていたと思います。

子供も、精一杯答えてくれたと感謝しています。

子供にとって二度と来ない、小学校から中学校までの人間形成期に、勉強と競技スキーの両立を目指して100%の力で打ち込めたことは、本当に良い経験になったと思っています。

ここまで継続できた精神力は、立派です。

そして、一期一会。

様々な紆余曲折のプロセスを、皆様とともに分かち合えたことを、心から良かったと思っております。

皆様、そしてお子様方の目標が、必ずや達成できますように。

それでは、お元気で。

いつかまた、お目に掛かりましょう。

世界的に見ても女子は男子より成績が良い これが続くと...【研究結果】

世界的に見ても女子は男子より成績が良い これが続くと...【研究結果】

女子の方が男子より学校の成績が良いというのは、日本の大学調査では知られていた結果ですが、世界的にもそういう傾向がありそうです。

もし、本当にそういう違いがあるのなら、文化などの環境要因ではなく、遺伝的理由としか言いようがなくなります。

トップクラスは、男子が多い気がしますし、入試などの大きな試験では、あまり違いは感じません。

普段の学習に関して、ウサギとカメの違いがあるのかもしれません。

アメリカでは、こうした性別による学力特性の違いを前提として、男女別教育の方が、共学よりも成績が上がったという報告もあるようです。

この結果、男子校、女子校が増えているとか。

The Huffington Post | 執筆者: Rebecca Klein

投稿日: 2015年04月18日 15時59分 JST 更新: 2015年04月18日 15時59分 JST

世界中の多くの国で、女子は男子よりも学業面で優秀な成績を収める傾向にあるようだ。女性が政治的、経済的または社会的不平等に直面している場所でさえも。

スコットランド、グラスゴー大学のギスベルト・ストット博士とミズーリ大学のデヴィッド・C・ゲーリー氏の報告によって、2009年に、調査対象74カ国のうち52カ国で女子高校生が国際標準テストで顕著に良い成績を収めたことが明らかになった。

研究者らは、学業成績と各国のジェンダー不平等度の相関を調べることを目的として調査を開始した。典型的に女子が不平等に扱われる国において、彼女たちの国際学生アセスメント・プログラムでの成績は相対的に劣るであろうというのが当初の彼らの想定であった。しかしその反対に、女性の処遇に関係なく、女子は過去10年間常に、男子を上回る成績を収めていた

研究では、特に男女間で機会の不平等性が見られやすい厳格なムスリム諸国でも、同様の結果となった。「こうした国の多くで、女性は多くの行動を制限されています。しかしこうした国でさえも、女子が学校でよりよい成績を収めていることは興味深いことです」。ゲーリー氏はハフポストUS版に対して語った。

研究の対象となった「PISA」は、OECDにより2000年から世界中で実施されているテストだ。2009年のテストでは、調査対象国の70%において、読解、数学、科学で女子が男子よりも成績が良かった。

ゲーリー氏は、男性の上位成績者は女性の成績優秀者よりも数学でよい成績を収める傾向にあると述べた。この事実は、理系職でのジェンダーギャップを説明しているように見える。しかし同時に、ゲーリー氏は全体では女子の成績がより高いという事実に対する視点が欠落していると指摘した。

「男子は理系に進み、数学に秀でているというような議論は、成績優秀な生徒たちの話にすぎません」。ゲーリー氏は述べた。「世界全体を見れば、そもそも理系に進むことができない子供たちの数の方がよほど多いのです。世界の子供の95%は、どの国であっても男子が女子の成績にひけをとっていることがわかります」。

ゲーリー氏は、ますます複雑化する労働市場に対し、研究の示唆するところには大きいと述べた。とりわけ途上国において、職業技能を持たない男性が増加する可能性があると言う。

「職業技能を持たない男性の比率が高い国では、暴力犯罪を含めた犯罪率が上昇します」とゲーリー氏は述べた。

ゲーリー氏はこの発見が、男女間の学業の差という問題への世間の関心を高めてくれることを望んでいると言う。

男の子の問題は見逃されています。これは重大な、世界レベルの問題であり、潜在的にも意味を持つものです。これまで言及される機会がなく、なぜそれが問題になりうるのか人々の関心を引いてこなかったテーマです」。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。


悪ガキは、男の子に多いのは実感します。

ただ、女子の方が成長が早いという要因もあると思うので、条件をそろえたのかどうかは気になります。

福岡伸一「文系と理系の溝が成果の共有を阻む」

福岡伸一「文系と理系の溝が成果の共有を阻む」

アエラの2015年4月13日号に掲載された文章です。

素晴らしいですね。

キャプチャ

キャプチャ1

グーグル人事マネージャーが「20代は専門分野なんて必要ない」と言い切るワケ

グーグル人事マネージャーが「20代は専門分野なんて必要ない」と言い切るワケ

「汎用性→専門性」という順番を守り、あまり早く専門分化をさせない方がスキー技術の到達度を結果的に高くすると言う主張(late specialization)は、本ブログの核心の一つでもありますが、キャリア形成でも同じような考え方をしている方がいるようです。

以下は、キャリコネNEWS2015.04.28より。


若者世代にとって、自分のキャリアをどう築いていくかは一大関心事。専門分野をこれと決めてしまい、会社から別のことを求められて「勝手に振り回さないでくれよ!」と思う人もいるかもしれません。

色々な分野の仕事に転職する人も「落ち着かない」と否定的な評価に。しかし米グーグルの上級副社長で人事部門を担当するラースロー・ボック氏は、これとはまるで対照的な考え方です。彼は30歳頃までは、専門を決めずにいることを勧めています。

「いろんな経験をしていれば、変わった存在でいられるのです。ユニークな視点を提供できることが、あなたの強みになります。素晴らしい仕事は、たいてい分野と分野の交差点で偶然起こるものです。ある専門分野の奥深くではないのです

ありふれた人ではダメ「いろんな会社で働いて」

キャリアマネジメントの方法として一般的に勧められるのは、「専門分野を持つこと」。ひとつの分野で深く、それ以外は浅く広くという「T字型モデル」と呼ばれるものです。

この考えでは、社会人になりたての最初の10年間は取り組むことを絞りこみ、10年経ってから活躍の幅を広げていくことが奨励されます。しかしボック氏は「私はまったく違う考えです」と言います。

キャリアの最初の10年間は様々なことに挑戦してください。考え過ぎてはいけません。実験しましょう。いろんな会社で働いてみてください。スタートアップでも大企業でも。有名企業でも、誰も聞いたこともないような会社でも。NPOで働くのも良いでしょう」
そうすることで、専門だけに取り組んできた人では得られないような「幅」を得ることができるのだと言います。30歳頃になると「この道一筋」の人と競争することになりますが、「彼らはありふれているから」と歯牙にもかけません。

6万人を入社させた経験「専門分野は30代から」

グーグル社といえば、「働きたい会社ランキング」では上位の常連企業です。無料のカフェテリアなど充実した職場環境や、エンジニアが勤務時間を業務外のことに使える「20%ルール」で知られています。

同社で働きたいと願う人は後を断たず、採用担当に送られてくる履歴書の数は1年で200万通に上るのだそうです。

ボック氏が人事担当の上級副社長に就任したのは2006年のこと。就任から現在までにグーグルの社員は6000人から6万人へと10倍に増加しました。数多くの社員や入社希望者を見てきた末に、ボック氏は「20代のうちは専門を決めない方が良い」という結論に至ったようです。

20代は幅広い経験とユニークな視点、30代は専門分野、40代はこれまでの成果を刈り取る時期だとします。「経営層にいるかもしれないし、起業しているかもしれませんね」

そんな彼は新著「Work Rules!」を出版しました。以上のコメントは出版を記念して行われた対談の内容です。対談の音声データは米ビジネスインサイダーにて掲載されていますので、興味のある方は聞いてみてはいかがでしょうか。(文:遠藤由香里)

(参照)Google HR boss shares his best advice for succeeding in today's workplace (Business Insider)

あわせて読みたい:ちきりん氏「キャリアの一貫性なんてマジ無用


「平成26年度近畿大学卒業式」 堀江貴文氏メッセージ

「平成26年度近畿大学卒業式」 堀江貴文氏メッセージ


2015/04/09 に公開
平成27年(2015年)3月20日(金)に挙行された、「平成26年度近畿大学卒業­式」での
実業家 堀江貴文氏のメッセージをご覧いただけます!


ちなみに下は、1年前の近畿大学の入学式とのこと。

全く、信じられませんね。

ここまで、学生に媚びないといけないのか?

こういうビデオまで作って学生を集めようとする大学関係者の見識を疑います。


2014/04/14 に公開
ウェルカムパフォーマンス 
KINDAI GIRLS「そうだ!We're ALIVE」、吹奏楽部、応援部、よさこいサークル「近大のテーマ」「近大節~つんく­♂プロデュースVer.2014


実にあっさりと方向転換。

実にあっさりと方向転換。

まあ、何というか。

終わってみれば、あの熱は何だったのか、というぐらい、あっさりとスキー競技を終了しました。

中学校に入り、文武両道を目標に置き、スキーでトップを目指すことを止めてからは、①継続による自己鍛錬、②人格形成、という競技成績以外の精神的成長が次善の目標となりました。

競技を行いながら、競技成績以外にその意義を見つけようとした場合、スキーに関しては、

1,費用と労力が掛かりすぎるデメリット、

2,競技人口が少ないことに起因する、運動神経もそれ程優れず、かつ練習もそれ程していないのに、それでもある程度の成績が得られるというメリット(笑)、

の両面があるかもしれません。

県レベルでも競技をしている子供の数が大していないことから、その実力差は大きいにもかかわらず、順位差はそれ程つかないという結果になります。

少ない人数なので、皆仲良くなりますし。

我が家の場合は、親子とも未練なく、スムーズに区切りを付けられたのですが、もしかしたら諦められない保護者が多いのかも、という気もします。

でも、親の都合で、(少なくとも大会成績で)子供に苦痛を与え続けるのもどうかとも思います。

子供だって、小さい時からスキーばかりさせられていたら、他の道なんて考えられなくなるでしょうし。

「やっぱりスキーしかない」と思うのは、良いことか、悪いことか。

信念があるとも言えますし、視野が狭いと言えるかも知れません。

まあ、競技の結果がどうであれ、楽しめればそれで良いし、人間関係が広がるのは確かです。

ある程度の収入がなければ継続できないスポーツなので、人間関係的にも階層性を反映したものかもしれません。

小中学生の時期に、大人でも難しいような過密スケジュールをこなして、なおかつ友人もたくさん作れて、やりきったわけなので、これは凄いな、自分にはできないな、と感心しております。

尺度がないので、客観的に評価するのは難しいのですが、人間的に確実に成長したのは間違いないと感じます。

競技スキーに感謝ですね。

「レポート 売ります! 買います!」 ハッピーキャンパス

「レポート 売ります! 買います!」 ハッピーキャンパス

レポートや過去問が、500円から千円ぐらいで売買されています。

こんなサイトがあるとは、ひっくり返りましたね。

一方で、コピペレポート発見ソフトもあります。

剽窃チェッカーも。

もう何とも言いようがありません。

ズルく生きるのはやめましょうね。

京都大学 鹿島研究室 「お詫びと撤回のお知らせ」

京都大学 鹿島研究室 「お詫びと撤回のお知らせ」

八ッ橋レポートにかかる調査報告とレポートの撤回について

2014年10月22日に公開された「私たちはお土産にどの八ッ橋を買えばよいのか」に対して、被験者の数として示されている数が研究室メンバーの数と不自然に一致すること、ツとッが混在することで看過できない表記ゆれが発生していることなど、その信頼性・再現性を著しく欠くという指摘をうけ、2015年4月1日に内部有識者による調査委員会を設置して調査を行ったところ、硬いほうの八ッ橋も美味しかったことが発覚したため、2015年4月1日付で当該レポートを撤回することといたしました。

このような事態を重く受け止め、2015年4月1日に内部有識者による懲戒委員会を設置し、主として解析と執筆に関わった筆頭著者1名に対する厳重注意(※1)ならびにプロジェクトの責任者である最終著者に対する謹慎処分(※2)を2015年4月1日付で執行いたしました。

関係者ならびに一般の皆様に多大なご迷惑をおかけしたことを心よりお詫びするとともに、一日も早い信頼の回復へむけ一層の努力を行っていく所存です。

※1: 調査を生八ッ橋にのみ限定したことについて
※2: 向こう12時間に渡り一切のアンコの摂取を禁止すること

 以上


現在は、研究室のホームページからは、削除されているようです。

そういえば、理研の理事長に前京大総長の松本先生がなられましたね。

お久しぶりです。

お久しぶりです。

5ヶ月間、週末も、正月もなく、ぶっ通しで働き続け、山場の3ヶ月は、平日はすべて午前様というハードな毎日がやっと終わりました。

生活のすべてを仕事に当てていたため、スキーどころではなく、いつの間にかワールドカップも終わり、シーズンも終了、という時期になってしまいました。

良い結果がでると嬉しいんだけど。

そして、いつの間にか子供もスキーを引退していました。(ほとんど顔を合わせることもなかったため、こんな感覚が正直なところです)

高校では、勉強とクラブ活動に打ち込んでもらいます。

今までは、スキー6,勉強4ぐらいの感じでしたが、これからの3年間は勉強8,クラブ活動2ぐらいの感じでしてもらいたいと思っています。

大学で、スキーを再開するかどうかは、本人次第ですね。

中1ぐらいで、これは無理かな、という感じはありましたが、少なくとも中学は最後までスキーを継続すると話し合って決めていたので、練習計画等も本人が考えるやり方に変更し、これまで続けてきました。

最後は、小学校4年の時に出場した大会に戻っての引退でした。

6年間、お世話になった方々には、心から御礼を申し上げたいと思います。

どうもありがとうございました。

中学校に入ってからは、勉強との両立を図っていたことや、実力の伸びが停滞し始めたことから、スキーでは割と報われないことが多かったのですが、でも、これからの人生を考えれば、このぐらいのストレスは、経験しておいた方が良いだろうとも思っていました。

大人になれば、思うようにならないことだらけの中で、いかに最良と思われる方向にみんなを導けるか、が大事なわけで。

思うようにならないのは、当たり前なのです。

ただ、「当たり前」で終わってしまうのではなく、「メタ認知」的に言えば、第3者的視点から現状を分析し、自己分析を加えながら、弱点をどのような形で補って、さらに上を目指すか、あるいは、撤退を決めるか、といった状況であったと思われます。

主観的には、もっと頑張れば、もっといけると思いがちですし、日本的価値観からしても、最後まで諦めないのが良いことだとは思いますが、それをやり遂げて、一定程度の結果を出したとしても、やはり自己満足で終わってしまうとも思います。

オリンピックに出るとか、日本で1番になるという目標にこだわるならば、私のメタ認知は、小学校時に「無理」という判断でした。(笑)

そういう競技者としての高いレベルではなく、スキーを継続することで、体力増強、生活・学習習慣の確立、独立心、克己心、自信、並列する複数課題に対する処理能力、目標を設定した問題解決能力、協調性、リーダーシップなどの人格あるいは自我形成や、友人作り、将来の趣味作りなど、多くのメリットがあるだろうとは考えていました。

この意味では、実に素晴らしい効果があったと思います。

スキーを通して、子供の世界が大きく広がりました。

日本中に、友人ができました。

精神面でも貴重な経験になったと思います。


これからは、目標を変えて、再び努力の積み上げです。

まずは、シャルトルのベルナールが言う「巨人の肩の上に立つ」まで。

スキーと同じで、基本からの着実な積み重ねが大事だと思います。

偉大な先人たちの足跡をたどりながら、一歩一歩、山道を登っていくのです。

スキーの経験を生かしながら。

やがて、周りの木が低くなり、太陽が現れ、視界がだんだん開けてきます。

裾野の広い、高い山の頂に立つまで。

頂上に立てば、360度、地平線まで見渡すことができます。

世界を一望することができます。

もしかしたら、そこから空に羽ばたくこともできるかもしれません。

知の世界では、経験によらない知識の習得が人間の幅を無限に広げます。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」(ビスマルク)のです。

*愚者は自分の経験からのみ物事を判断しがちですが、賢者は(自分の経験に加え)先人が残した知性や真理を知識として自分の中に蓄積した上で、物事を判断していく(ので誤りが少ない)という意味だと思います。一生掛かっても、自分自身が体験できることは限られてますからね。(ベルナールの言葉と似てます)

「明日死ぬと思って生きよ。無限の命があると思って学べ」(ガンジー)なのです。

毎日を精一杯生きること、そして、命がつきるまで日々学び続けること。

これが、新しい目標です。

ご報告でした。

「なぜ日本の大学生は欧米の大学生に比べて勉強しないのか」

「なぜ日本の大学生は欧米の大学生に比べて勉強しないのか」

鈴木 典比古 公立大学法人国際教養大学理事長・学長

大学分科会(第108回)・大学教育部会(第20回)合同会議 配付資料より

日本人の大学生が欧米の大学生に比べて勉強していないという状況は東京大学・大学経営政策研究センター「全国大学生調査」(2007年、サンプル数44,905人)による大学1年生の週平均勉強時間数の比較でも示されているが、米国で10年、日本で26年程教鞭をとった私の個人的な経験からしても事実であると思う(ただし、私が学長を務めたICUの学生の名誉のために付け加えるならば、彼らの多くは米国の学生並みに勉強をしていると言える)。これには日米の大学生の生活・学習環境の違いに帰される面もある。日本の大学生が大学で勉強しない理由として、以下のような事情があるのではなかろうか。(ただし、以下のコメントでは、平均的な日米の学生を想定している)

○1 日本の大学生は高校での受験勉強(暗記型)で疲弊した後に大学に入ってくる。しかも、2~3月に大学に合格すると、その疲弊を回復する間もなく、4月には入学して大学生活が始まる。大学生活の最初から、自ら学習する習慣が身についていない。また、高校の時期に時間的な余裕や考える機会が余りないことから、大学に来る目的を明確に自覚していない学生が多い。大学生活を含めた自分の生き方を若い時期のどこかの時点で真剣に考えなければならない。しかし、その事を経験しないまま受験→大学生活→就職→職業生活→退職という人生のレールを歩いている。これは多くの日本人の一様な人生模様であると言ってよいであろう。

○2 米国のリベラルアーツ系大学では入学の時点では学生の専攻は前もって決まっていない。1~2年次に一般教育を履修しながら自分の専攻分野(Major)を決めてゆくのである。この段階は自分の適性、進路、職業、人生と専攻分野をいかに関連付けるか模索する時期で、大学生活にとって重要な体験の時期である。ところが、日本では大学の入学試験が専攻分野別の入試なので、高校の受験勉強(暗記型)のみで大学への進路決定が短絡的になされてしまうことが多い。高校での進路指導も偏差値による進路決定や志望校分別が強いて言うならば機械的に行われている。全人教育(後述)を行うとされる学士課程教育に入学してくる新入生が高校の段階で既にこのような機械的進路指導と分別を受けてくることの矛盾を考えなければならない。真の意味での高大連携が出来ていない。しかし、日本の各大学が独自の偏った入試問題によって入試選抜を行っている点にも大いに原因がある。この事が高校教育のあるべき姿を歪めていることは否定できない。

○3 米国の多くの大学は都会を離れた閑静な田舎に立地し、大学町を形成している場合が多い。特にキャンパスを州政府から供与されているthe land grant universityやリベラルアーツ系の小規模大学はそうである。この様なキャンパス環境では学生が勉学や日常生活に支障を来さないように、図書館、寮、体育施設、文化施設、医療施設、等が充実していて、学生が忙しく勉強に明け暮れる学期中や平日は生活がキャンパス内で完結している。アルバイトなども、大学に関係のある食堂の皿洗いや図書館の本の貸し出し・返却業務、キャンパス清掃等に限られている。大学院生はTAの仕事が可能である。キャンパスの立地と環境が、学生が勉強に専念できる基本設計思想になっている。

○4 このようにキャンパスで完結できる学生生活を送っている米国の大学生は、平日は勉強に集中し、週末は徹底的にリラックスするというメリハリの利いた学生生活をするのが普通である。平日は大学の外の街に出ることも少ない。また、夏休みは3か月あるが、多くの学生にとってこの期間は休みではなく、働いて(summer job)次の学期の学資をためる期間である。学期の期間中や週のうちの平日には勉強に集中するために図書館の充実が不可欠であり、開館時間は午前8時から夜12時まで、また24時間利用できる「24 Hour Room」が置かれている。学生は金曜日の夕方から土曜日の夜までは勉強しない。パーティや運動が盛んに行われる。この、週末のリラックスのためには寮、運動施設、文化施設などの完備が不可欠である。これに対して典型的な日本の大学生の学生生活は、大都会でアパートに暮し、通学に時間がかかり、図書館の利用頻度も低く、運動に汗を流せる施設も少ない。アルバイト優先の生活態度も少なくない。これを要するに、大学教育にかける資源の量が日米の大学では全く違うといってよい。

○5 この差の原因の一つに、授業料の差があることは間違いない。米国の大学の授業料は日本の大学の授業料に比べて非常に高い。私立大学では年間授業料は平均で35,000ドルくらいであろう。これに学生生活費が12,000ドルくらい必要である。州立大学の場合、リーマンショック以来、州立大学に充てられる州政府予算は大幅に削減されている(私立大学でも運用基金が大幅に損害を被った大学は多い)。このような状況下で、州立大学の授業料も、近年大幅に引き上げられている。州立大学でも州内出身の学生(父母が州税納入者)の授業料(In-state Tuition-年間平均9,000~10,000ドル)と州外出身学生の授業料(Out of state Tuition-年間平均20,000ドル)は異なる。このように高い授業料と州政府の予算によって米国の大学の教育の質は保たれているのである。また、米国における寄付文化の伝統も大学経営に資するところ大である。米国の平均的な家庭の収入ではこれらの高い学費を負担することはできない。当然、学費は学生自身が連邦政府貸与ローンなどを利用して賄うことになる。貸与されたローンは学生が卒業後に数十年をかけて返却するのである。

○6 米国の大学生が連邦政府貸与ローンを利用できるためには、通学する大学が大学認証機関(the accreditation agencies)によって認証された正規の大学であることが条件となっている。米国の大学がなぜ認証機関による認証を受けることを重視しているかの理由は、認証を受けなければ(accredited)学生が来ないということがあるからである。高校生も大学進学志望校を選択するに際しては、志望校が大学認証機関によって認証されているか否かを必ず確認している。

○7 米国では大学入試に際しては多方面からの評価によって選抜を行う。高校3年間の成績、SATの点数、クラブ活動、社会奉仕、高校担任の推薦状、などなど。従って、高校の通常の勉強が志望大学への合格にとって最重要である。高校の授業は対話型が多く、暗記型は少ない。予習のための宿題が多い。従って、大学入学時に、すでに対話型の授業に慣れている。日本の教育では小中高大学を通じて学生(生徒)が対話型の授業を受ける機会が極めて少ない。

○8 日本の大学教育は一度の大学入試を経て合格すると進学した大学で4年間を過ごし卒業する。すなわち学生の大学間移動がない。各大学が入試選抜によって受け入れた学生を囲い込んでいる。米国の大学では多様な大学間で学生の移動が可能であり、移動の際に目安となるのは大学間の授業科目間調整(articulation)と学生のGPAである。学生達は、例えば、とりあえずコミュニティカレッジに入学し、そこで勉強に励んで高いGPAを取得し、その高いGPAを持って、コミュニティカレッジよりもランクの高い州立大学に編入してゆく。いわば大学間横断が可能である。しかし、日本の大学にはこのような「大学間渡り鳥制度」がないために、学生は大学に囲い込まれたままで、勉学途中で移動するようなことはできない。日本のこのような硬直的大学制度はグローバルな規模で起こっている大学生の流動化(「学生渡り鳥制度」)に対応できない。

○9 日本の大学ではシラバスの作成と公表が義務化されているが、多くの場合、授業予定(工程)表としてのシラバスが学生にとって使えるような内容になっていない。すなわち、学生はシラバスによって授業の内容・進捗を確認し、毎回の授業に合わせて予習・復習をするのであるが、日本の大学のシラバスは、学生が予習・復習できるような工程表の要件を欠いている。(例:シラバスの中で「参考文献は授業中に指示します」などという参考文献の取り扱いを頻繁に見かけるが、これでは学生が予習をして授業に臨むことはできない。学生は受け身の受講にならざるを得ず、双方向の授業にはならない。)不完全なシラバスは学生の勉学を動機づけない。

○10 日本の大学で行われている大規模授業では学生が授業に出席する頻度は高くない。また、成績評価が学期末の筆記テストのみで行われることが多い。米国でも大規模授業はあるが、その場合には大教室での授業は専任の教員(多くはベテラン教員)が担当し、大人数の学生を少数グループに分けてディスカッション・セクッション制をとっている。ディスカッション・セクッションでは受講生たちを少人数グループに分け、大教室で専任教員が行った講義の内容を使って受講生たちがデイスカッションを繰り広げる。これは大教室での授業のこれを大学院博士後期課程で博士候補試験に合格した学生(the doctoral candidate=DC)がTA(the teaching associate=学内補助講師)となって指導するのである。TAの博士課程学生は授業料免除とともに奨学金を与えられることが多い。DCの多くは博士号取得後に大学で教職に就くことが多いので、博士課程在学中にTAを経験することは大学へ就職する際に重要な準備を行うことになる。

○11 ここで、TAにも2種類あることに言及しておく必要がある。これは博士課程の学生が勉学の進捗状況によって2段階に分けられることと連動している(しかし、ここでいう博士課程とは日本で言われている博士課程前期(修士課程相当)と博士課程後期(博士課程相当)の区分とは異なることに注意。後述するように、米国の大学院博士課程-日本の博士課程後期にあたる時期-は2段階に分かれている。すなわち、○1博士候補資格試験(the doctoral qualifying examination)合格前の博士課程の学生は博士課程学生(the doctoral student=DS)と呼ばれ、○2博士候補試験合格後の学生は博士候補学生(the doctoral candidate=DC)と呼ばれる。博士課程に入学して日が浅く、コースワーク(受講課程)受講中で博士候補資格試験(the doctoral qualifying examination)に合格していないDS学生は教員の授業準備を手伝う仕事などを行うが、ディスカッション・セクションを担当する学内補助講師にはなれない。他方、博士課程候補試験に合格したDC(さらに、博士論文プロポーザルに合格し、博士論文執筆中のDCであれば尚更)はディスカッション・セクションを担当し、学生の成績をつける権限と責任を付与される。
日本の大学の大学院では、このように博士候補資格試験(the doctoral qualifying examination)制度が厳格に確立されていないために、TA制度やTAの身分、仕事に関する議論もあいまいであり、TAといえば教員の授業準備を行う助手であるといったくらいの理解しかなされていないのは問題である。TA制度の未確立は将来の大学教員になるであろう大学院学生に対して、とくにDC段階の学生に対して、彼らが大学教員として効果的な授業を行うために必要な授業訓練の機会を与えられないことを意味している。このことが日本の大学教育の質の向上を妨げている。

○12 学生の学習成果(Learning Outcomes)の確認は、多方面からなされるべきである。たとえば、米国の大学では、成績の付け方は、中間試験(たとえば、全成績の10%)、最終試験(40%)、授業出席と議論への参加(20%)、グループプロジェクトとその報告(30%)、などを基礎にする。ビジネススクールの授業ではグループプロジェクト評価の場合、学生同士がグループプロジェクトへの各メンバーの貢献度を相互評価しあう。この相互評価の結果が学生の学期末成績に影響を持つことも多い。最終成績はアルファベットのA,B,C,D,Fなどを付されるが、Aは最終成績に換算される全得点の100~90%,Bは89~80%,Cは 79~70%, Dは69~60%, 60%以下はF(Fail)となる。成績は相対評価で、その分布は多くの場合正規分布的になる。したがって、Aは上位10%、Bは次の35%、Cは35%、Dは15%、Fは5%、と言った分布になる。米国の大学生の中には点取り虫的な学生も多いが、学生が勉強をしなければならない理由はこのように明確な成績付与方針(the grading policy)にもある。GPA換算ではA=4点、B=3点、C=2点、D=1点、F=0点、となり、Cummulative GPA(全学年を通じてのGPA)が1.00を下回る学期が3~4学期あると退学になる。このようにしてグレードインフレーションを防ぎ、学生の成績管理をしている。

○13 米国では大学生の学資を親が仕送りするという習慣はあまりない。米国の大学生の多くは奨学金や連邦政府貸与ローンで学費を賄っており、将来返還の義務がある。従って、大学に来ても勉強しないということは「借金をしながら返済のことを考えずに遊んでいる」ということであり、彼らにとって考えられない事態である。

○14 しかし、近年の日本経済の停滞を反映して親からの仕送りが減っていることも事実であり、親元を離れて大学生活を送る日本の学生は生活費の不足分をアルバイトに頼らざるを得ない。しかし、ここでも、明確な大学生活の目的や勉強の動機を持たない場合には、アルバイトが学生生活の中心になり、勉強に費やす時間がなくなることもまれではない。

○15 米国の大学生の就職では、専攻分野によって初任給が違う事が多い。また、大学時代の成績(GPA)や指導教授の推薦状が就職に際して重要視されている(指導教授は必ずしも推薦状に良いことだけを書くわけではない。公正で率直な学生評価が重要視されている。教員が了承すれば、学生は就職希望先に対し教員がどのような推薦状を書いたか、その開示を求めることが出来る)。従って、よく勉強し、よい成績を収めて、よい収入の職に就くということが直截につながっている

○16 日本の学生が勉強しないという事実を学生のみの責任に帰すことは彼らにとってフェアではない。学生が勉強をする現場は教室での授業が基本であり、授業に対して責任を持つべきなのは教員である。したがって、学生が意欲を持って勉強するような授業の環境を整えることは、まず第一に、教員の責任である。授業は(特に対話的授業は)教員と学生のコラボレーションによって構築されるものであって、学生の積極的参加を促すような授業を創りだすことは教員のクラスマネジメント能力による。ところが、日本の大学の教員の多くは授業の進め方やクラスマネジメントに関する訓練を受けていない。米国の大学の新任教員は、teaching clinic等で授業の進め方やクラスマネジメントに関する訓練を受ける。大学は教員にこのような訓練を受ける機会を提供しなければならない。大学行政側が行う教員評価は教員がこの様な訓練を受けていることを前提として行われなければ公正さを欠くものとなる。日本の大学で現今行われているFDの多くは、教員のセミナーや講習会等に限られており、FDの本来の在り方とは異なるものである。

○17 授業とは知識の伝達であると同時に、教員と学生間の、あるいは学生同士の対話や感性的交流や人格的な陶冶の場になることを期待されている。教育は学生の個性豊かな全人力を陶冶する全人教育(『学士課程教育の構築に向けて』の趣旨)であるべきである。しかし、このことは教員も同時に全人格的な能力を持っていなければならないことを意味する。これは幼小中高大学の全ての段階で教育に携わる者が常に求められる必須要件である。大学教員はこの要件を満たすべく努力することを求められている。

○18 以上、なぜ日本の学生が米国の学生に比べて勉強しないか、について思いつくままの諸要因と考えられるものを挙げてみたが、日本の教育制度や学生の生活ぶりについてその問題点を論じたために、基本的トーンが批判的なものになってしまったかもしれない。しかし私の考えの基本は、日本の教育制度を良くして次世代を担う学生に充実した学生生活を送ってほしいという願いに過ぎない。そのような教育制度を作ることは社会や大学や教員の責任であるし、誇りでもある。また、学生が充実した勉学に明け暮れ、学生生活を送ることは彼らの権利であり喜びでもある。


素晴らしいプレゼンだと思います。

本当にその通りです。

ブレインストーミングの4原則

ブレインストーミングの4原則

こちらのサイトからの引用です。

1,「批判をするな」:
他人の意見を批判してはいけない。批判があると良いアイディアが出にくくなる。

2,「自由奔放」:
こんなことを言ったら笑われはしないか、などと考えず、思いついた考えをどんどん言う。「上品な」ジョーク歓迎。

3,「質より量」:
できるだけ多くのアイディアを出せ。

4,「連想と結合」:
他人の意見を聞いてそれに触発され、連想を働かせ、あるいは他人の意見に自分のアイディアを加えて新しい意見として述べるというのが一つやり方。


以下は、Wikiに書かれている4原則。ニュアンスがちょっと違うところがあります。

1,判断・結論を出さない(結論厳禁)
自由なアイデア抽出を制限するような、判断・結論は慎む。判断・結論は、ブレインストーミングの次の段階にゆずる。ただし可能性を広く抽出するための質問や意見ならば、その場で自由にぶつけ合う。たとえば「予算が足りない」と否定するのはこの段階では正しくないが、「予算が足りないがどう対応するのか」と可能性を広げる発言は歓迎される。

2,粗野な考えを歓迎する(自由奔放)
誰もが思いつきそうなアイデアよりも、奇抜な考え方やユニークで斬新なアイデアを重視する。新規性のある発明はたいてい最初は笑いものにされる事が多く、そういった提案こそを重視すること。

3,量を重視する(質より量)
様々な角度から、多くのアイデアを出す。一般的な考え方・アイデアはもちろん、一般的でなく新規性のある考え方・アイデアまであらゆる提案を歓迎する。

4,アイディアを結合し発展させる(結合改善)
別々のアイデアをくっつけたり一部を変化させたりすることで、新たなアイデアを生み出していく。他人の意見に便乗することが推奨される。


上久保誠人「英国留学1年目の悲惨な経験を話そう」

「英国留学1年目の悲惨な経験を話そう」

ダイヤモンドオンラインからの抜粋です。

この状況と気持ちは、私も経験したので、非常によく分かります。

とにかく体力の続く限り、死にものぐるいで物事に取り組まないと、何かを成し遂げることなどできるはずがないと思います。

同時に、環境を変えることで、もう一度頑張れることが結構ある、というのも確かだと思います。

持っている能力を十分生かし切れていないのが、日本社会の最大の課題だと思います。

「残業代も払わずに働かせるなど、ブラック会社だ!」などと文句ばかり言っている人は、決して大成しないのは間違いないと思います。

成功は、「損得」からは生まれず、「信念」から生まれるものだ、と思いますよ。

上久保誠人 [立命館大学政策科学部准教授]

31歳で会社を辞めた時、英語はほとんど忘れていた。それでも、3ヵ月間ブリティッシュカウンシルに通っただけで、強引に渡英した。渡英3ヵ月後にはウォーリック大学大学院修士課程に入学。その1年後には、修士号を取ってPh. D(博士後期課程)に進むことができた。

 30歳を過ぎて頭の柔らかさを失った自分でさえ、わずか1年の「突貫工事的」勉強でここまでできたのだ。ちなみに、私は文学部卒で、語学だけでなく政治学の素養すらなかったのである。20歳くらいの、まだ頭が柔らかい若者ならば、私以上のことができるはずである。今回は、私の英国留学最初の1年の話を振り返り、「宇宙人」だけが国際舞台で働くことができるのではなく、誰にでも可能なことなのだと論じたい。

まず、大学院修士課程入学直後の悲惨な現実から話したい。後に、博士課程で私の指導教官となったイタリア人ローザ・ミューレ博士の「比較政治学」第1回目は、一生忘れられない屈辱的な体験だった。この授業は、私のほかに6人の英国人学生が参加する少人数セミナーだったが、周りの学生がなにを議論しているのか、一言も聴き取れなかった

 入学前の語学コースである程度英語を勉強したはずだった。だが、語学コースには英国人はいなかった。英語の得意でない外国人がゆっくり話す英語が、なんとか聴き取れるようになっていても、英国人が早口で議論をするとまるで別の言語だった

宇宙人が会話している中に1人ポツンと入った感じだった。私はずっと黙っているしかなかった。だが、30分ほど経過すると、ローザが私に向かって、「あ・な・た・の・『声』・が・き・き・た・い・わ」と言った。意見ではなく、「声」が聴きたいというのだ。それでも、私は黙りつづけるしかなかった。恥ずかしかった。私は寮の部屋に戻って、号泣した。

 語学以上に厳しかったのが「予習」だった。授業1回について、約20冊の参考図書を読まねばならなかった。ところが、いくら頑張っても議論についていけなかった。最初は語学力の問題だと思っていたが、コースがスタートして3~4週間くらい経つ頃、どうも大学院の勉強について考え違いをしていることに気づいた。

 私は、大学院を政治学の「知識」を習得するところだと考え、本に書いている知識を記憶しようと予習をしていた。だが、授業では、「知識」は当たり前のことで、その「知識」を批判的に考えた上で、1人1人の学生がどういう主張を持つかが議論されていた。

 例えば、ローザの「比較政治学」では、「ウェーバーとデュルケムの比較方法論の違い」という、比較政治の基礎を議論した。私は2人の方法論がどういうものか必死に覚えて授業に臨んだ。ところが授業では、学生たちが2つの方法論の批判を展開し、その優劣が喧々諤々議論された。私は、少しずつ英語が聴き取れるようになってきていたが、議論に入ることができなかった。

授業以外にも不安があった。授業の準備で図書館や自室に籠もって勉強するほど、他人と交流する機会を失ってしまい、英会話が上達しないことだった。焦りを感じた私は、ある日の夕方、寮生が夕飯を楽しんでいる寮のキッチンに行ってみた。会話の機会を得られるからだ。

 ところが、私のキッチンはギリシャ2人(男女)、トルコ2人(男女)、ブラジル1人(女)キプロス1人(男)、台湾1人(男)という「人生楽しまなきゃ系」の人種構成で、少しだけキッチンで会話して、また勉強に戻るというわけにはいかなかった。酒を次々と勧められ、会話が延々と終わらず、夜の12時過ぎまで続いた。これが毎日だ。こんなことを続けていたら、間違いなく落第すると思った。

外国人との交流は大事だ。だが他の寮生たちは、私とは違う。昼間か深夜に短時間集中して勉強して、修士号を取れるような秀才たちだ。彼らと同じことをしていたら、英会話はできるようになっても、修士号は取れない。私は32歳だった。「英国に留学して、多少会話ができるようになりましたが、学位はありません」では、ただでさえ難しい「社会復帰」が不可能になる。私は寮生たちとの交流を捨て、「英会話」をあきらめた。その代わり、「政治学」をできる限り学んで帰ろうと決めた。

 私は1日のすべてを勉強に費やすことに、迷いがなくなり、「覚悟」が決まった。朝は午前6時に起床し、シャワーを浴びて2時間くらい勉強。午前8時になったら朝食を食べて、図書館へ行く。12時に一旦寮に帰って軽く昼食を取ったら、再び図書館へ行く。午後5時になったらまた寮に帰って、寮生がキッチンに来る前にさっさと夕食を済ませてまた図書館へ行く。午前0時、図書館の閉館まで勉強して寮に帰って寝る。この生活パターンを、土日も含めて毎日ひたすら続けたのだ。

この生活パターンは、全く苦痛ではなかった。会社員時代、横浜の寮から会社に8時半頃に着く必要があった。そのために、6時前には起床して、満員電車に2時間弱揺られていた。深夜まで残業してタクシーで帰ることも多かった。寝るのは午前1~2時くらいで、睡眠時間は多くて4時間だった。それに比べたら、午前0時まで図書館にいても、寮まで歩いて10分で帰れる。6時間弱は毎日寝られる。なんと楽なのだろうと思った。会社員時代に鍛えられたおかげで、肉体的に楽だと思えたことが、私にとって、1つの救いになった。

 そして、周りを見回してみた。私ほど長時間勉強している学生がいないことに気付いた。しかも、私はこれを楽だと感じるタフさがあり、誰にも負けていないと思った。ならば、他の学生が1時間で読むところは、3時間かけて読めばいい。1時間で理解するところは、5時間かけて理解してもいい。それなら自分にもできると思った。これは、授業についていくのに苦しんでいた私にとって、「一筋の光明」となった。

私は勉強のやり方を変えた。コースが始まって2ヵ月ほど経つと、英語で読み・話し・書くことが少しずつできるようになっていた。だが、この段階で新たな悩みが生じた。英語では物事をきちんと思考できないということだった。セオリーでは、英語で学ぶ時は、英語で考えるべきとされる。だが、英語だとおそらく12歳くらいの思考力に落ちると感じた。セオリーは大事だが、それにこだわるばかりでは、小学生の作文のようなエッセイ(小論文)しか書けないと思った。

 修士課程をパスするには、32歳の思考力をフルに発揮するしかない。それには日本語で考えることだ。そこで、授業の準備やエッセイを書く際、まず日本語で自分の考えをまとめて書き、英語に翻訳するという作業をした。これは明らかに邪道で、膨大な時間を費やすことになる。

 しかし、私は「人の何倍勉強に時間をかけてもいい」と「覚悟」を決めていたので、時間のかかる作業は苦にならなかった。むしろ、より広く深く思考できることで、準備がしっかりできて、授業で自分の考えを先生や他の学生に伝えられるようになった。少しずつ自信らしいものが芽生えてきた。

 この時期、私は1日中「政治」のことを考えていた。ある日、図書館が閉館した午前0時。勉強を終えて寮に帰る前に図書館の外で、夜空を見上げながら、「しんどいなあ。でも、楽しいなあ」と思った。精神的・肉体的に厳しい日々が何ヵ月も続いていた。だが、決して嫌になることはない。本当に「政治」のことを考えるのが好きなのだと気づいた。「この仕事は絶対に手放さない」と決めた。この時の気持ちが、今でも自分を支えている。

 翌年3月、最初の課題であった3本のエッセイの成績が発表された。意外なことに、博士課程に進める好成績を収めることができた。そして、9月には修士課程を修了し、内部進学で博士課程に進むことができたのだ。

グローバル人材が「宇宙人」に見えて、なりたくてもどこから手を付けたらいいかわからず、あきらめている若者に言いたい。マニュアル本通りのプロセスを踏む必要はない。大事なのは、「覚悟」を決めて、とにもかくにも海外に飛び出して、やるべきことをやり通すことだ。2~3年もあれば誰でも国際舞台に立つことができると思う。

ただ、「覚悟」を持つのは、甘い環境に育った日本の若者には難しいことだとは思う。私が「覚悟」を決めて1年間なりふり構わずできたのは、「後には引けない状況」だったからだ。31歳という「高齢」で会社を辞めたら、海外の修士課程を出ても、まともに企業に再就職できるはずがない。英国の大学院に入ったからには、博士を取って学者になるしかなかった。

 トンネルの出口は全く見えない苦境だったが、だからこそ絶対にやり通すという「覚悟」を持てた。今の若者が「覚悟」を決めるには、日本的な環境を絶たねばならない。うまくいかなくても、誰かが助けてくれる。仲間と一緒に手をつないで頑張ろう。そんな日本の若者にありがちな依存心から「覚悟」は生まれない。依存心を絶つには、自分のことはすべて自分で解決する「独立心」「自立心」を持つことだ。

「覚悟」こそ、日本の若者が海外の若者と比べて最も劣っていることだと思う。アジアやアフリカなど途上国の若者は、政治的・経済的に不安定な自分の国に依存できない。だから、個人で道を切り開くしかないと「覚悟」を決めている。「秋入学で若者にギャップタームを与えよう」と社会が考えるような、甘ったれた国に育つ若者とは、全く違うことを知ってほしい。そのためには、とにかくまず海外に飛び出して、いろんな国の若者に会い、そのたくましさを知り、なにかを感じてみることだ。


山崎 元「センセイたちにお任せの大学教育 授業の「品質管理」が最大の問題」

山崎 元「センセイたちにお任せの大学教育 授業の「品質管理」が最大の問題」

以下は、山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員]さんによる、ダイヤモンドオンラインの記事から抜粋させていただきました。

全ての大学を知るわけではもちろんないが、筆者の知る大学ではどこでも、個々の授業の内容は基本的に授業を担当する教授や准教授に任せられていて、センセイたちはお互いの授業内容に細かく干渉することはない。個々にバラバラの自由が確保された上での、時には過剰なまでに民主的な自治の環境であり、センセイたちにとってはなかなか快適な環境だ。

 その結果、授業の内容や質がバラバラになっていることが、日本の大学における最大の弱点ではないだろうか。

 学生が自分の将来の目的や知的好奇心に合わせたカリキュラムを選択することができる点が、大学で学ぶことの醍醐味の1つではあるが、たとえば、同じ大学の学部学科の卒業生でも、受けた授業の内容にも学生の学力にも大差がある。

また、複数の授業が連携し合って、必要な知識を修得させないと、「不定型な内容について多様な知的経験を試行錯誤的に繰り返しながら血肉化していく」(浜田東大学長。前出記事より)といった、理想のはるか以前のレベルでさまようだけの役立たずの若者を量産することになるだろう。

 近年の東大生ならできるのかもしれないが、「血肉化」以前に、何も身に付かないで卒業する学生が、東大でもかなりの数いるのではないか。

(1)授業と授業の連携が取れていないこと

(2)授業内容が教師に任されていて、専門的な能力を持った第三者のチェックを受けていないこと

(3)教師自体の質の維持と競争環境に厳しさがないこと


 この3点がほとんどの日本の大学の根本的な弱点ではないか。つまり、「授業」という大学の根幹をなすサービスの品質管理が、まるでできていない(多くの場合、やろうともしていない!)ことが問題だ。

断っておくが、学生に授業評価のアンケートなどをするだけでは、全く不十分だ。専門家の相互チェックによる授業内容の向上と、複数の授業の連携が重要だ。

 また、多くの場合定年まで職が保証されていて、大学教員に競争とチェックが働きにくいことにも問題があるように思う。

 質の担保されていない、しかも相互の関係がバラバラの授業を提供する結果、卒業生の履歴書に「○○学部××学科卒業」とあっても、その学生が大学卒業生に期待されている知識を得て能力を養ったかについては、保証はおろか把握さえできていないように見える場合がほとんどだ。

授業の品質管理と相互連携の調整といった当たり前のマネジメントの他にも、日本の大学生は圧倒的に勉強の量が不足しているように見える。「日本版ギャップイヤー」などをつくって遊ばせるよりも、もっと厳しい知的基礎トレーニングを施すべきではないだろうか(その分の授業料は取ってもよろしい)。


終わりが見えてきた。

終わりが見えてきた。

11月から4ヶ月間休みなしのデスマーチを続けてきましたが、ついに終わりが見えてきました。

今回も過労死を免れそうだ。

最近は、スキー情報ブログでありながら、(スキーに行くどころか)スキー関係の情報を見る時間もなくて、記事も書けてませんでした。

あれ、もしかしたら国体は終わったのか?と先ほど気がつきました。(笑)

世界選手権もいつの間にか終わってしまったし。(録画だけはしてあります。見る時間はとても・・。)

でも、シーズン終盤に向けて、記事をアップし始めるとは、去年も思ったのですが、何とも間抜けなブログですね。

考える時間さえあれば、分析や提案はいくらでもできますので、(気の長い方は*)もう少し待ってて頂ければと思います。

*私は、仕事のメールを受け取ってから5分以内に返すのをモットーとしています。(笑)

コミュニケーションスキル

コミュニケーションスキル

コミュニケーション・スキルについて、少し前アメリカの調査会社ピューリサーチセンターが、興味深い調査結果を示していた。

調査は大人のアメリカ人に「子供たちが今日持つべきスキルとして何が一番重要だと思うか?」という調査を行ったもの。選択肢として「コミュニケーション・スキル」「読解力」「数学」「チームワーク」「文章作成力」「論理力」「科学」「運動能力」「音楽」「芸術」の10項目だった(複数回答あり)。

結果は「コミュニケーション・スキル」が90%の支持を得てトップ。2番目が「読解力」で86%、3番目「数学」79%、4番目「チームワーク」77%、5番目「文章作成力」だった。

興味深いことは、教育レベルの高い人ほど「コミュニケーション・スキル」を重視していたことだ。大卒以上の人の94%が「コミュニケーション・スキル」を一番と言い、大学中退レベルが92%、高卒以下では86%だった。

「ロジック」が理の世界だとすれば、「コミュニケーション」は情と直感の世界だ。ロジックで押してくることが多いと思いがちなアメリカ人だが、「コミュニケーション・スキル」を一番重要なスキルだと考えていることは興味深い。


という記事に対して、様々なコメントがついています。

●むのきらん

<「ロジック」が理の世界だとすれば、「コミュニケーション」は情と直感の世界だ。>
・・・この感覚は割と「日本的」だと思う。ロジックとコミュニケーションは、平面が異なる問題だ。コミュニケーションスキルには、相手のニーズを「察する」ことが大事なのだが、情、直感だけでなくロジック(論理的想像力)が不可欠だ。そして、どんな素晴らしい「ロジック」であっても伝わってなんぼである。ロジックはコミュニケーションによって磨かれ、進化していくものです。__

なので、ロジックを重視すればするほど、同時にコミュニケーションも重視することが、ロジカルなのです。
おそらく、「教育レベルが高い人ほどコミュニケーション・スキルを重視する」という傾向は米国に限らず、日本も含め、世界的に同様の傾向があるのではないかと思う。__

なお、日本でコミュニケーション力が下げっているかどうかは、なんともいえません。一昔前のコミュニケーション力だって大したことはなかった。どうも過去は美化されがちですが、「気が利かない」ことは結構ありましたし。

●mhn

コミュニケーションの重要性が高まってきていることについては同意します。

ただ、アメリカ的な教育観が必ずしも正しいとは限らないと申し上げたい。

アメリカの教育はビジネスベースであるという印象です。利益追求のために合理化を求めた結果、アピールやネゴシエーションといったコミュニケーションスキルの重要性が高まったのだと思います。(もちろん文化の違いやメディアの進化など他の原因もあると思いますが。)

懸念するのは、この傾向が近年非常に先鋭化してきていて、それが日本でもスタンダード化されつつあるということ。コミュ力は確かに重要ですが、コミュ力が無いと評価もされないし、成果も出せない社会というものを目指すべきではない

事実、コミュニケーションが苦手な方々にとっては、前途が閉ざされたような閉塞感を感じる社会になってきている。コミュ力が無くても優秀な方は多くいます。いわゆる「学者肌」のような人材の在り方も認め、活用できるような教育・社会システムを目指すべきであると私は思います。


●荒ぶるにゃんこ

コミュニケーション能力って、長い間「重要」と言われ続けてますが、
それがどんな能力なのか、未だにぼんやりしているんですよね。

本当に必要と考える人間が多いなら、
コミュニケーション能力向上のハウツー本が山のように出ていても
おかしくないと思うのですが。


●世捨て人

 サービス業や調整役の下手に出た対話による問題解決力
実力無きコミュ覇者による詐欺力
支配者の圧力対話による問題解決力の全てが
コミュニケーションスキルという単語に含まれているのではないか?
 あと何度謎細胞騒ぎを経験すれば
実力無きコミュニケーションスキルは有害であると理解できるのであろうか。


●melancholic

筆者とは反対の意見をもつものです。

 うちの業界だけかもしれませんが、周囲からコミニケーション能力の高いと評価されている人ほど、地道な仕事を嫌い、責任回避がうまく、功績を横取りするのが、お上手でしたね。
もちろん、そんな人ばかりじゃないでしょうが、私はいまだ会ったことがありません。

 かわりにコミニケーション能力が低いと評価されがちな人ほど、嫌なことでも地道にこなし、取引先としっかりした信頼関係を築いていることが多かったです。
ともに仕事をする上でずいぶん助けられました。

コミニケーション能力というふわふわした言葉が蔓延し始めた頃から、この傾向は顕著になった気がします。
個人的には、こんな言葉がもてはやされる時代は、さっさと終ってもらいたいと思っています。


同感ですね。

プレゼン能力とか、コミュニケーション能力とか、人とのつながりとか、強調しすぎると「詐欺的」に感じます。

「グローバル」とか、「改革」とかも、すっかり怪しげな言葉になってしまいました。

アメリカの概念を輸入して日本を良くしようと(新規性はないが)真剣に考えている人たちの周りに、その目新しそうな概念を利用して、コンサルをしたい、権威になりたいという人たちが多く出現してしまった状況と思います。

ただ、だいぶ手垢がついてきているので、次の流行りそうなネタを待っていると思われます。

しばらく一緒に居れば、その人の本性なんて、分かりますよ。

テクニックなんかでは、騙されません。

口の上手さ、弁舌のさわやかさよりも、中身だと思いますよ。(でも、中身ってなんだ?笑)

汎用的能力については、実態が分からないままに、産業界や役所から強調され過ぎますね。

安易に要求する前に、①定義と、②評価基準と、③育成方法と、④育成効果について、もっと地道に検証されるべきだと思います。

でないと、言葉遊びになってしまう。

キャプチャ

高校生の価値意識は志望分野でどう異なるか ①全体傾向

高校生の価値意識は志望分野でどう異なるか ①全体傾向

相変わらず、気力・体力の限界まで働いてますよ。

ここ1ヶ月ぐらいは、日付が変わる直前(門限)に職場を出るような生活です。

11月からほぼぶっ通しで働いています。(1日か2日は休みましたが)

時々歩いていて、よろけることがあります。(笑)

寝不足ですね。

でも、3月10日頃には解放されるはず。

それを楽しみに、最後の力を振り絞っています。

1回ぐらいは、スキーもしたいな。

こんな感じなので、スキー関係の記事は、3月半ばまでは、ほとんど更新ができないと思います。


今回は仕事がらみで、高校生の価値観とキャリア選択との関係についての記事です。

リクルート進学総研で紹介されていました。

リクルート進学総研では、2007年より「高校生価値意識調査」を実施し、高校生の社会観、ライフデザイン、キャリア観、進学観などを調査している。今回の2014年調査で4回目となる。「高校生」と一言にいえど、その属性や志向によって価値観は異なるため、ターゲットを明確にしたうえでの分析が必要となるが、今回はその中でも「志望分野別」での価値意識の違いについて見ていきたい。なお、この志望分野は大学・短大・専門学校の全てを包括した分野の区切りとなっている。

 高校生のキャリア観を志望分野別に見てみると【図1】、それぞれに傾向が異なることがわかる。

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「自分の趣味や好きなことができる仕事に就きたい」「自分の夢を叶えることができる仕事に就きたい」など、自分の夢や好きなことを重視するのは、マスコミや美容、観光といった分野である(波線囲み①)。自分の個性やセンスを生かし、好きなことを仕事にしたいという感覚であり、心に響くキーワードでは、「自分らしさ」や「自由な」「夢」といった言葉が上位を占める。また、意思決定の際には流行や周囲の意見に流されず、自分の判断を重視するのもこれらの分野の特徴といえる。

 自分の「好きなこと」に加えて、「社会貢献ができる仕事がしたい」「身近な人の役に立つ仕事がしたい」という社会貢献的な視点が加わるのが料理・栄養や教育系だ(波線囲み②)。いい会社に入りたい、お金持ちになりたいといった収入や地位には興味がなく、誰かの役に立てる生き方がしたいと考えている。料理系が入るのが意外な気もするが、高校生のインタビューの中では、昨今のヘルシー志向を受けて「健康で栄養面も考えられた料理を作りたい」など、好きなことをするだけでなくそれを通じて人々の生活の質向上に寄与したいという声も聞かれる。

 同じ社会貢献という視点を持ちながら、「資格」「手に職」といった、長期的な安定・安全志向を重視するのが医療系や福祉系だ(波線囲み③)。特に女子に関しては、結婚、出産後も医療・福祉系の資格を持っていれば働き続けられることができるという理由で志望する高校生も多い。これらの分野は、もともと他の分野と比較すると、進路選択時に家族や親族など身近な人の影響が高いという特徴もあり、周囲にそう言われているということも大きいだろう。

 目指す職業も明確なので、進学先に求めるのは資格取得であり、あらかじめ受ける授業が決められていて、補習やフォローがしっかりしている授業スタイルを支持する傾向が高い。 

 その他、理系を中心とした分野では、「将来はなるべく大企業や有名な企業に入りたい」「収入が高い仕事がしたい」など、地位や収入といったステイタスを重視する傾向がある(波線囲み④)。手に職をつけるよりも会社員になりたい、派遣社員や契約社員でなく正社員で働きたいという雇用形態についてのこだわりもあり、心に響くキーワードにも、「評判が良い」「技術」「先進性」「研究」という言葉が並ぶ。これらの分野志望者については、将来のビジョンや明確な職業はぼんやりしていることが多く、「将来のことは進学してから考えたい」と考え、「大学に進学するなら偏差値の高い大学に行ったほうがよい」と偏差値を判断基準にする高校生も多い。

 2月の月次特集では、17の分野のうち、特徴的な4分野をピックアップしてご紹介する。各分野別の詳細分析については、こちらに掲載させていただいているので参照されたい。

リクルート進学総研研究員 牧田綾子(2015/01/15)


自分の価値観や目標に合った職業に就けるような進学先を選んでいるというまっとうな結果に見えます。

実際には、職業はイメージなのでしょうけど。

公務員タイプと芸術化タイプでは、実際に行動特性も、見た目も違いますしね。

職業が持つイメージをたよりに、同じような指向の人が集まる、似たもの同士が吸い寄せられるということでしょうか。

学力レベルと高大接続―学力クライシス下の高大接続

高大接続の再設計 ~ 高校・大学、大学入試はどう変わるべきか

以下は、ベネッセ「教育フォーカス」に掲載された大多和 直樹先生の記事です。

元記事は、こちら

現在の中教審の大学改革の方向性は、非常に観念的で、データに裏付けられていない危ういものと感じていました。

日本的な教育を、画一的な詰め込み教育とみなして、これを否定し、アメリカを真似て創造性を生み出せる教育を、という意気込みは分かるのですが、本当にその認識や方向性が正しいかというと??という感じがします。

生きる力、学士力、社会人基礎力・・の汎用的能力を身につけさせたいのは分かります。でも、それがどういうもので、どのような指標で計れて、どうすれば伸びるのか、ということが漠然としていてよく分からないのでやりようがないのです。

方法論として、アクティブラーニングの有効性が主張されていますが、それだって幅が広すぎて、何とも。

教育改革と称してやっていることは、アメリカの小道具(GPA、授業評価、ナンバリング、アクティブラーニング、カリキュラムツリー、ルーブリック、3つのポリシー、コンピテンシー、FD、SDなど(みなさん、このカタカナたちはなんだか分かりますか?))を真似しているだけという新規性の欠如した上っ面の「改革(笑)」です。(創造性教育を主張する人が、自分の頭で考えられないというパロディー)

「グローバル!、イノベーション!」といったマッキンゼーやハーバード卒を売りにするコンサルが考えそうな軽薄な言葉が並んでいます。(笑)

少なくとも、もっと具体的なデータに基づいて、議論の対象を明確に捉え、相関性や因果性を踏まえて、地に足を付けた議論をしていかないと、「ゆとり教育」の二の舞になるぞ、という危機感があります。

筆者の主張も、「考える力は、知識・技術といった基礎学力がないと身につきにくい」という当たり前の結論です。

現在の教育が抱える最大の問題点は、「基礎学力が小・中・高で身についていない、勉強する習慣すらもない」という点です。

大学教育以前の話ですね。

それを示す具体性のある記述だったので、思わず引用させていただきました。

抽象的、理念的な思索(とアメリカの真似っこ)だけで、現実を直に変えてしまうのは、危険すぎると感じます。

Ⅲ.結語

1.「従来型の学力」の重要性


以上の分析結果をふまえ、若干の提言を行っていこう。大学での学びの前提という基準に照らせば、学力クライシスは終わっていないといわざるをえない。結局のところ入試難易度―語弊を恐れずにいれば「従来型の学力」―による序列構造の下位層で学びの前提を欠いた学生を抱えるという既に知られた問題の構図がみえてきた。これが現在の高大接続における最大かつ喫緊の問題であると筆者は考える。
また以上の分析からは、「従来型の学力」と新しい学力(活用や意欲)とは相関関係があるということが指摘できる。入試難易度が高い大学で新しい学力も身につけている学生が多いとしており、また、A群(偏差値60以上)だけをとってみても、基礎能力に問題を抱えている大学ほど主体的な学びに課題を抱えやすいことがみえてきた。「従来型の学力」と主体的学びとの関係は―近年、よく耳にする努力と成功の関係に似ており―「従来型の学力」を備えていても主体的学びが必ずできるというわけではないが、「従来型の学力」を欠いた人に主体的学びができるわけはないということなのかもしれない。だから、主体的学びを考える上で、まずは(選抜度の高いごく一部の大学を除く)大半の大学における高大接続問題は「従来型の学力」を軸に考えることを主張したい。
最もこうした主張は、巷では最も課題を抱える大学が「ボーダーフリー大学」(学生確保のため入試が学力水準のゲートキーパーとして機能しなくなった大学)と呼ばれるなど、入試難易度の最も低い大学群の学力問題は以前から度々指摘されてきたから、目新しさはないかもしれない。また、「答申」においても、「従来型の学力」の習得に困難を抱えている生徒が多い高等学校で「思考力・判断力・表現力等の能力どころか、その基礎となる知識・技能自体の質と量が、大学教育に求められる水準に比して不十分な段階にある学生が多いことが深刻な問題となっている」(「答申」p.4)ことが指摘されてはいる。しかしながら、現在行われている高大接続の議論においては、長期的な展望に基づき大学の姿を刷新していく方向性のほうが強くなっている。
文部科学省は、「学習意欲」「思考力・判断力・表現力等」「知識・技能」を「学力の三要素」と据えたうえで、この三要素からなる「確かな学力」を涵養する方向性を打ち出している。このうち「知識・技能」は「従来型の学力」と位置づけられ、高大接続の議論においては「従来型の学力」にとどまらない入試を必要としている。そこから「知識・技能」中心のセンター試験を廃止し、「知識・技能の活用力」を中心とした新テストを実施しようという論理になるわけである。
たしかに学習に意味を見いだせないにもかかわらず、入学試験のためだけに「知識・技能」を闇雲に暗記する学習や学んだ「知識・技能」を活用することが念頭に置かれていない学習が起きているとすれば、これは全くおかしなことである。学ぶ意味を見いだしたうえで「知識・技能」を学び、学んだらそれを活用するサイクルが初等中等教育段階から醸成されるべきであることは間違いないことであろう。こうした学びの環境を各学校段階で作り出していくことに筆者としては全く異論がない。
しかしながら、本稿の分析結果をみるに現実の高大接続が抱えている問題の核心部分の一つは、こうした学びのあるべき姿や「国家百年の計」的な教育政策構想とは、ひとまず別の次元にあるということができるのではないか。いま起きていることは、繰り返し指摘してきたように、大学での学びの前提となる学力水準をクリアしない学生が大量に高等教育に来ているということである。
高大接続の議論は、ともすれば教育刷新のために現場に新しい対応課題を抱え込ませるものとなっているように筆者には感じられる。だが、ひとまず、もっとシンプルに捉えたほうが実効的な改革ができるのではないかと筆者は考えている。それは、結局のところ、知識・技能の点で「従来型の学力」を欠いたり、そもそも履修していなかったりという大学での学びの前提を欠くような入学者を生み出さない仕組みをつくることに専念するというものである。
実際の大学間競争は、「従来型の学力」を軸としたシンプルな考え方で動いており、多くの大学では入試難易度を高めて、少しでも「いい学生」(=「従来型の学力」)を獲得しようとしのぎを削っている。だからというわけではないが、すくなくとも現時点では、大学での学びの前提条件をクリアするというところに焦点をおいた改革がまず必要なのではなかろうか。

2.大学ならではの主体的学びとは

「従来型の学力」を軸に改革を考えているからといって、筆者は主体的な学びを軽視してはいない。筆者は現在の大学改革における主体的学びの議論に対して、その問題意識を共有しつつも、アンビバレンツな思いを持っている。
現在、大学における主体的学びの危機が叫ばれている。「答申」をみても「大学教育の質的転換の断行」(「答申」p.20)という強い表現が使われ、「大学教育を、従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、学生が主体性を持って多様な人々と協力して問題を発見し解を見いだしていくアクティブ・ラーニングに転換」(「答申」p.20))させる必要性が説かれている。アクティブ・ラーニングは、近年の大学教育改革の目玉であり、「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法」(文部科学省大学改革の用語集)のことである。研究が盛んになりつつあり、またFDなどでの研修の機会も増えている。現在の大学改革においては、これが主体的学びの中軸に位置づけられているとみてよい。
こうした動きに対して筆者は、授業改善のためにこうした手法を入れていくことの有効性を強く認識しているものの、それとは別の次元で強烈な違和感を覚えている。
筆者は、大学における主体的な学びとは、大学ならではの主体的な学びでなければならないと考えている。大学が学問の府―科学的な知的生産活動の府―であるとすれば、論理、批判、実証などを軸とした科学的思考に基づいた主体的な学びが、大学ならではの学びということができる。そうした科学的思考に基づき「自ら問題を発見し解を見いだしていく機会」が卒業論文であり、それを成立させる場がいわゆるゼミといわれる知的生産のコミュニティであった。したがって、筆者は卒論やゼミこそが主体的な学びの中心にあるべきであると考えており、また、実際これまでもそうであったように思われる。すなわち「自ら問題を発見し解を見いだしていく」ことは、個々の授業場面で分散的になされるというように考えられていたわけではなく、様々な授業を通じての得た分散的な学習経験を一つの研究に統合していくような経験であったといえよう。
一方、「答申」をはじめとする近年の大学における主体的な学びの議論においては、卒論やゼミといった言葉は、ほとんど出てこない。
語弊を恐れずにいえば、近年の主体的な学びの議論は、①授業場面を対象とした、②教育方法の問題に矮小化されてしまっているきらいがあるように思われる。大学における主体的な学びとは、本来、同じメンバーシップを有した者同士が学科やコース、ゼミなどのコミュニティに参加することで、学問に特有のものの考え方や態度を学ぶ―薫陶を受ける!―なかで、「自ら問題を発見し解を見いだしていく」ということになると筆者は考えている。ここでは、主体的な学びの範囲は授業場面に限定されているわけではなく、授業外の時間を含めてということになるし、単純に授業の方法上の問題によって能動的か受動的かが決まるわけでないということになる。講義や講演から知的生産活動のアイデアをもらった経験は、多くの学生がしてきたことだろう。したがって、「講義形式(受動的)vsアクティブ・ラーニング(能動的)」という二項対立的な認識があることや、授業改善のみに主体的な学びの焦点があてられていることには―さらには、その背景にある履修した授業の寄せ集めによってその人の学びが決まるという認識枠組みに対しても―問題があるといわざるをえない。
分析結果からは入試難易度の高いA群の大学でも科学的な思考力に弱点を持つことがみえてきた。科学的な思考の方法をきちんと身につけさせることが、学問の府である大学の使命であるとすれば、いわゆる文系の学部・学科ではその部分が弱いということになる。このままだとアクティブ・ラーニング的手法を用いても論理性や根拠に基づいた思考に基づかずに議論が行われるなどのことが容易に予想されるところである。ここでは科学的な思考力を育成するようなしくみが必要になっており、そうした機会の中心に卒論やゼミが位置していると筆者はみている。
ただし、多くの大学で主体的な学びが成立しづらいことは、本稿の分析結果をみても明らかである。このとき、学生を学びへと巻き込んでいくためにアクティブ・ラーニング的手法が重要になってくることは確かである。しかしながら、アクティブ・ラーニングをしていないから学生の主体的な学びが成立していないというような授業方法決定論的な考え方があるとするならば、やはり本質を見誤っているといわざるをえないだろう。
冒頭で述べたように高大接続とは、大学教育ひいては高校やそれ以前の学校段階の教育を再定義する大国家プロジェクトである。そうしたプロジェクトに意義を感じつつも、私立大学の教員であり教育社会学者である筆者は、なんともいえない空恐ろしさも同時に感じている。筆者が主張したいのは、目新しさのある転換の影で見えにくくなりつつある、学問そして科学の府としての地道な活性化の取り組みの重要性である。


「学校行かずに練習ばかりしていれば、強くなって当然だろ」という意見に対して

「学校行かずに練習ばかりしていれば、強くなって当然だろ」という意見に対して

ある意味、繰り返される意見ではありますが、メールを頂いたので、お返事から抜粋で。

以下は、私の返信。

返事が遅くなり、すみません。
11月から1日も休まず、もちろん現在も職場で働いている状況なので。(まあ、今は休憩中ですが)

お考え、完全に正しいと思います。
どう考えても正しいこと、合理的なこと、がなぜ実行されないのか不思議です。

個人の利害に左右されて、全体の利益を顧みない行為や判断が、なぜ当たり前のようにまかり通るのか。
ズルをしたものが(短期的にせよ)得をする、という仕組みは、教育的に非常によくありません。

「損・得」ではなく、「正しいか・正しくないか」の判断基準を持つべきでしょうね。

(中略。具体例を述べてます)

強くなって当然ですよ。
でも、ゴムが伸びてしまうんですよね。
10代後半から成長しなくなる。

分かっていながら、正せないのです。
みんな我が子に夢中だし、コーチは、自分が育てたと言いたい。
大学もだんだんそういう雰囲気に変わってきてますが、まあ「詐欺的」ですね。

「アピール」という名の詐欺。

うちは、最初からそういう中に入ってませんから。
ズルとかする気は始めからないし、勝てれば良いけど、勝てなくても仕方がない、と思っています。

先生方も参加する中体連の大会以外で、スキーのために休んだことはありませんでした。
大会が平日にある時は、すべて不参加。

(中略)

大事なことは、与えられた条件の中で、試行錯誤しながらも、ベストな成果を上げること。
それこそが、汎用性能力、生きる力につながるのだと思います。

学校の教育目標になってませんか?
コンプライアンス(ルールや倫理)を守りながら、与えられた様々な課題に同時並行的に取組み、各々に対して最大限の結果を残していく能力、それを経験させ、伸ばすことが、応用力育成には大事だと言うこと。

スキーと学業の両立は、まさに生きた演習科目だと思いますよ。

どう考えて、どう取り組んでいくのか、ある意味その人の生き方そのものを示しているのです。


アルペン競技を「学校制度という一定の枠組み・ルールの中での自由競争」と考えた場合、勝利至上主義は否定されるべきでしょうね。

実際には、小さいときに、学校が終わってから、夕方やナイターで練習できるかどうか、という地理的、環境的要因は大きいです。

ただ、意外に地元の人はスキーなどせず、熱を上げているのは首都圏の親子ばかり、という気もします。

ある意味、こういう(生活に直結しない)ことに熱心に取り組めるのも、経済的余裕の産物でしょうから。

さらに時間的余裕がなければ、送迎もできないですし。

サラリーマンでは難しいですよね。

雪国の選手育成能力(少子化と経済力の衰えから選手が少なくなっている)が低下していることで、首都圏選手の活躍が相対的に目立ってきているのかもしれません。

プロチームの成果と言えるかどうかは、まだ分かりませんね。

世界レベルで活躍できる選手が首都圏から生まれれば、初めてプロチームの存在意義が示せるのだと思います。

スキー場近くに住み、小さい頃から毎日スキーをして育ってきた子たちを上回る「育成技術」があるのだと。

まあ、どうでしょうか。

ただ、(現在の学校制度を前提とした)コンプライアンスを求めすぎると、日本のアルペンは終わるでしょうから、これも難しいでしょうね。

本来ならば、欧米のようにスキーを中心とした学校を作れるといいのでしょうけど。

二律背反的な難しさがある中で、どうすれば(全体として)最大限の成果を出せるか、という考え方が必要なのでしょう。

極めて高度な判断だと思います。

*以下は、「内部統制入門Navi」より

コンプライアンスを直訳すると『法令遵守』となり、文字通り解釈するなら、『法令違反をしないこと』つまり『法律や条例を遵守すること』となります。しかしながら、この様な意味だけならば、コンプライアンスなどとわざわざ取り上げる必要もなく、誰でもわかっていることです。
 コンプライアンスが重要視されるのは、その意味に『法令遵守』も含まれますが、法令だけに留まらず、社内規程・マニュアル・企業倫理・社会貢献の遵守、更に企業リスクを回避するために、どういうルールを設定して行くか・どのように運用して行くかを考え、その環境の整備までを含んでいるからです。

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自由競争社会とコンプライアンス経営

自由競争社会とコンプライアンス経営

*「内部統制入門Navi」は、いろいろためになる情報が書かれています。

少し引用させていただきます。

近年、次々発覚する企業不祥事に対し、テレビや雑誌などでは『日本人のモラルの低下』『高品質といわれた日本製品は過去のもの』などと嘆いていますが、本当に日本人はモラルが欠如してしまったのでしょうか?

 我が国は永年に渡って、『利益が上がるならば多少の違法行為は許される』という経営風土があり、その中で談合などは『必要悪』として当然の様に行なわれ、時には政治家に調整役として金銭の授受が行なわれるなど、これらはいわば業界の慣習でした。
 正義感でこれを拒絶すれば、業界から排除されるはめとなり、談合は法律より遵守すべき慣習ともいえました。

 近年は、経済のグローバル化により日本企業は海外に進出し、上場企業に限らず、多くの中小企業が海外で事業活動を行なうようになりましたが、そこで多くの企業が訴訟により多額の賠償金を課せられるなどの、洗礼を受けました。
 それでも、日本国内は護送船団方式といわれるように、規制で守られていましたが、バブル崩壊後の規制緩和により、日本市場は自由化へと舵を切り、行政の調整・指導による誘導方式をやめ、民間各社の生き残りを賭けた自由競争の時代へと移りました。
 自由競争には、適正なルールとその厳守が保たれなければなりませんので、事実開示の透明性や取締りの強化を図る事が必要となり、日本版SOX法や公益通報者保護法もこの流れによるものだともいえます。
 また、企業では生き残りのため、リストラや派遣社員の活用を進め、社員は急速に会社に対する忠誠心は薄れていきました。

結果、企業不祥事の大半が『内部告発』といわれるように、以前では家族的経営のもと内々で隠されていた不祥事が、次々と表に出てくるようになりました。今まで通りに、談合を行なっていたら、突然摘発されその罪を問われ、会社は市場から退場を求められる時代へと移ったのです。
 グローバル化による規制緩和、それに伴う法化社会へとの流れは、国際的に日本企業が生き残るためには避けらないものであり、その過程での不祥事多発は、今まで規制に守られてきた社会から法化社会に移るにあたり、その流れに乗り切れない企業で発生してしまうのは、ある意味当然ともいえます。
 このように、企業における犯罪行為そのものが増えてきたのではなく、日本人のモラルが低下したわけでもなく、国際化により、今までのやり方が通用しなくなった結果なのです。
 ダーウィンは、『この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ』と言いましたが、今これらの時代の流れに対応するために、コンプライアンス経営が、より重要性が高くなってきたのです。


日本人のモラルが最近低下したわけではなく、グローバル化によって、それまで当たり前のように行われていたことが、国際基準に合わないとされるようになったから、という指摘はおもしろいです。

これまでの「談合破り→村八分」は、いかにも日本的です。

終身雇用制度の変化が、(従業員にとって不本意な)雇用の流動化を生み、会社への復讐という形で、告発が行われるケースがあることが指摘されています。

告発側は、辞める代わりに、会社から慰謝料(あるいは謝罪の言葉)を得たいのでしょう。

これも会社側からは忠誠心の低下(従業員側からは、やられたからやり返す)と受け止められるのだと思います。

多くの企業でリストラが断行され、従来からの日本的経営である『家族的経営』が崩壊し、終身雇用が崩れ人材の流動化が進みつつある中で、会社への忠誠心や責任感が薄れ、派遣社員やアルバイトによる不祥事、転職した元従業員による不祥事の告発など、労働者の意識も大きく変化しているといえます。

 企業がコスト削減を押し進め『クビ切り』が行なわれることで、自己保身を第一に考えるようになり、違法行為をしてでも営業成績を上げようとする者が出てきてもおかしくはありません。
 また終身雇用の中では、どんな社内情報でも墓場まで持って行くという従業員が多かったが、企業はリストラや成果主義を進め、従業員はスキルアップを目指し企業を選別するという人材の流動化が進んだ事で、かつては仲間意識により守られてきた、日常的なルール違反が、表に出てしまう結果となりました。
 このように、終身雇用による忠誠心で支えられ、コンプライアンなど気にしなくてもよい時代から、雇用形態の変化によりモラルや結束が薄れたことで、常にコンプライアンスを強く意識し、その整備が求めらるようになりました。


(意図的であるかどうかにかかわらず)告発の「手段」としてのSNSの普及は大きかったと思います。

たった1回のツイッターが企業の存亡に関わる事態になるわけですから。(ペヤングなど)

学生の悪ふざけが、社会問題になり、大学が謝罪するとか。(笑)

新歓コンパでの飲酒とか昔からあったのですが(その場限りのものだった)、今は、個人が気軽にその様子を世界に発信でき、証拠として残りますから。

ネットの普及は、言論の極端化を招き、不寛容さをもたらしています。

現実を踏まえない「正論」の言い合いになっています。

そういう状況の中で、日頃からコンプライアンスを意識した業務管理が(防衛的にも)必要になっているのだと思います。

ただ、大企業ではかなり意識されている(コンプライアンスのコストを払える)のでしょうが、中小企業はまだまだなのでしょうね。

ましてや、(零細で、古い体質の)スキー業界では、ということでしょう。

検索フォーム

アルペン主要情報

<主要サイト>
全日本スキー連盟(SAJ)
アルペンチームジャパン
国際スキー連盟(FIS)
ナスターレース協会
日本職業スキー教師協会(SIA)
WeatherNews(スキーCH)
日本気象協会(tenki.jp)
ドラぷら
2014-2015 スキー用品カタログ

<2014-15 アルペンルール>
2014/15アルペンポイントルール日本語版
アルペン競技:各種ルール等について
SAJポイントに関する ルール等について

<2014-15 大会日程>
FISワールドカップ
SAJ公認大会(11/20現在)
ナスター公認大会
(参)FIS開催大会のカテゴリー

<2014-15 主要大会>
2月5-8日
全国中学校スキー大会(大鰐温泉)
2月6-10日
全国高校スキー大会(花輪)
2月20-23日
ぐんま冬国体スキー大会(尾瀬岩鞍)
2月26-28日
全日本Jrスキー選手権大会(雫石)
3月7-8日
ナスタージャパンカップ(苗場)
3月17-20日
全日本スキー選手権大会(苗場)
3月27-30日
ジュニアオリンピック(ほおのき平)

<アルペン・マニュアル>
YOUTH AND CHILDREN'S SEMINAR
正しい育成方針とは何だろう?
アルペンレーサーとして成功するには?
米国・ジュニア育成の取り組みの凄さ
米国・アルペンジュニア育成マニュアル
The USSA Training Systems (1)
The USSA Training Systems (2)
The USSA Training Systems (3)
The USSA Training Systems (4)
The USSA Training Systems (5)
SkillsQuest (1) 概要
SkillsQuest (2) Why SkillsQuest?
SkillsQuest (3) Activities by Phase
SkillsQuest (4) Skiing Skills Assessment
SkillsQuest (5) Conditioning Assessment
SkillsQuest (6) Pressure動画
SkillsQuest (7) Edging動画
SkillsQuest (8) Rotary動画
SkillsQuest (9) Balance動画
SkillsQuest Resorces
Afton Alps, USSA, SkillsQuest HD
米国・アルペンコーチングマニュアル
カナダ・アルペンジュニア育成マニュアル
カナダ・ジュニア育成マニュアル (1)
カナダ・ジュニア育成マニュアル (2)
カナダ・Drills and Exercises

<トピックス>
スキー滑走の「許容範囲」と「基準範囲」
クロスカントリースキーでアルペン
Loveland Ski Club Fall Lane Training
サーバント・リーダーシップとは
Rusutsu SuperNatural
Ligety vs. Hirscher- Solden 2014 2nd run
Rob Heule 凄いし、笑えます。
「上手くつなぐ」「滑らせる」
リゲティのミスの原因
Training videos from Shiffrin
「内足・外足荷重」と「意識と現実」
BMA: Tips with Mikaela Shiffrin
学校教育の中のアルペン競技
SJ 2014.10月号を読んで
朝日も謝罪しましたね。で、スキー界は?
2014南アフリカFISレース初開催
THE SKIER'S MANIFEST
ナスターレース協会:セミナー
シフリン:オフトレ
岩谷:世界の扉を開ける鍵
最近は、「スキーをたわます」ばかり。
ウィスラーカップで見えたチルドレンの課題
Warner Nickerson引退
ボン ベイルチケット売り場で働
Pharell Williams - Happy
競技における結果主義と過程主義
アルペン タレント発掘事業報告書
オリンピック選手に学ぶやり遂げる力
リゲティの内足ターン
多様性のためのトレーニング集
Carving vs. Stivoting
テッド・リゲティ 滑りの分析
P&G Thank You, Mom
SL 古い滑りと新しい滑り
シフリン 滑りの分析
無作為の罪
スポーツトライアングル 湯淺直樹
外向傾、外脚荷重、腰高姿勢は基本です。
ヘルメットの限界
最近のベース作り
ストックについて
脳損傷からの回復:アルブレヒト
基礎スキーの役割
Matteo Marsagliaの育ち方
木村公宣さんの滑走フォーム
ALPINE ROCKFEST:ミラー選手の360
Who Is Bode Miller?
Meet ski racer, Pinturault
Snowstars Level 1~Level 7
ボード・ミラーの育ち方
BLINK OF AN EYE
Be a Better Skier!
ジュニア時代に身につけるべき技術の基本
Lindsey Vonn's Top 5 Training Tips
Ted Ligety | P&G Thank You, Mom
シフリンの育ち方
クーシュ 大失敗
Shiffrinのキャプチャー画像
内足、外足、1本足?
Mikaela Shiffrin in Beaver Creek GS
新型ドローンによる練習動画
P&G オリンピアンを育てる ボン
P&G オリンピアンを育てる シフリン
アルペン関連の情報発信とその特徴
テッド・リゲティとは、何者なのか?
2014シーズンのマテリアル(SAJ)
見直される基本技術の大切さ
小学校低・中学年の正しい練習方法
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トッポリーノ大会優勝者のその後の活躍
ジュニアレーシング板、ブーツ選びの基準
ラディウス規制に関する個人的意見
「2010ウィスラーカップレポート」について
メンテナンスの手順
実践チューンナップ(安藤さん)
チューンナップ講習会(伊東裕樹さん)
スタートワックスの使い方(片岡さん)
大会のためのワックス選択
ワックス入門(本ブログの最初の記事)

<基礎練習動画>
BMA:Tips with Mikaela Shiffrin
子供に学ぶスキーの基本技術
Snow stars Lvel 1-6
Ski Racing Technical Drill for U12
Angulation and Pole Plant drill
U16 Fundamentals Camp
アルペンスキー基本練習
Ski Racing Drills
ジュニアがお手本にすべきWC選手は?
ミカエラ・シフリン トレーニング動画
ライヒのフリースキー動画
ヤンカのドリフト技術

<WC選手の滑り>
Mikaela Shiffrin wins first Giant Slalom
プレイバック 2014: Men's Slalom
Mikaera Shiffrin New Age 2014
Training European team
Hero GS Training
Hirscher & Shiffrin 2013/14
シフリン オーレの滑り
リゲティ クラニスカ・ゴラの滑り
ピントロー、リゲティ2013ダイジェスト
Ted Ligety training in Portillo 2012
Ted Ligety Training on Sochi GS Hill
Ted Ligety Amazing GS Run
カナダ女子SLトレーニング
リゲティGSフォームの分析
ピントロー、本人が選んだGS, SL, SG
2012 ソルデンWC男子GS完全版
2012 ソルデンWC女子GS2本目
2013世界選手権男子GSハイライト

<その他動画>
Didier Cuche, le come-back?
Felix Neureuthers Highspeed Orchestra
Alpine Skiing (Remi GAILLARD)
Bode Miller
The Best Of Sochi 2014 Olympics
Power combined with speed
総督閣下が新レギュレーションにお怒り
ボード・ミラー 面白?動画集
スビンダル9歳の滑り
ヒルシャー 16歳の滑り
ヒルシャー 14歳の滑り
Ligety - On The Quest For Glory
リゲティ GSフォームの変遷
GSスキー形状による滑走フォームの変遷
往年の名選手達の滑り

<スキー理論>
米国男子ヘッドコーチインタビュー1
米国男子ヘッドコーチインタビュー2
岩谷高峰「トレーニングを再考する」1
岩谷高峰「トレーニングを再考する」2
岩谷高峰「トレーニングを再考する」3
岩谷高峰「トレーニングを再考する」4
岩谷高峰「トレーニングを再考する」5
上林卓司「センターポジション」1
上林卓司「センターポジション」2
上林卓司「センターポジション」3
上林卓司「センターポジション」4

<技術解説本・DVD>
皆川賢太郎DVD
皆川賢太郎 スキー完全上達
皆川賢太郎 最速上達メソッド
浦木健太 GSテクニック
吉岡大輔 落とすGSテクニック
生田康宏 トップアルペンテクニック
竹節一夫 アルペンテクニック

<トレーニング論>
アスリート達は本当に速くなっている?
究極の鍛錬
俊敏性練習は、俊敏性を向上させるか?
「良いトレーニング、無駄なトレーニング」
「ゴールデンエイジ理論」の不思議
運動能力と遺伝、環境
筋収縮とエネルギー

<学ぶということ>
○科学的方法論
「仮説演繹法」再び。
アイスクリームを食べると、水死する?
科学的方法論のエッセンス
○学問のすすめ
米大学における多面的・総合的な評価
稲盛和夫「伸びる人、立派になる人、いらない人」
U.S. News Best Global Universities
いま注目されるリベラルアーツ教育
いちばんやさしい教える技術
人材育成の実践
新たな高等教育機関の制度化
快楽の人生、充実の人生、意味のある人生
全てリクルートから学んだ
創造性を発揮するには?
ノブレス・オブリージュ
大学入試成績と入学後の成績
修正版:博士が100人いる村
教えるということ
のめり込む力
ダニエル・ピンク:やる気に関する科学
ダン・アリエリー:仕事のやりがい
人間万事塞翁が馬:山中伸弥
人生はその時の最適解の積み重ね
量は質を生む
高い山を築くなら、裾野を大きく広げよう
最初の3年で仕事人生の大半が決まる説
根拠なき自信
ノブレス・オブリージュ
中高生のための勉強法
自分の頭で考え、勇気を持つこと。
頑張ったらご褒美があるメンタリティ
自浄作用
いじめについて
タイガーマザーと文武両道

<その他>
インプレッサ路肩から這い上がる
美味しいコーヒーの入れ方
身近なコーヒーあれこれ
スーパーで買える美味しいコーヒー
辞めたくても辞められない
外食産業が日本を滅ぼす?
シナノ:なつかし写真コンテスト
福井県立歴史博物館:昭和のくらし
解放値の計算

<大会ルール(和訳)>
FIS競技用品規格
アルペンスキー国際競技規則(2010-11)
同 決定事項及び指導事項(2010-11)
アルペンポイントルール(2010-11)

<ポイント関連>
ポイントとは?
SAJ ポイントリスト
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子供が小1の冬に家族でスキーを始め、すっかりその魅力にはまっております。小4から地元のスポーツ少年団に所属し、競技スキーを始めています。(現在中3)
ジュニアアルペン競技の情報ブログとしてスタートし、最近ではスキー全般、その他に関する話題も扱っています。
上欄のカテゴリから興味のある話題をお選び下さい。
(2009年7月25日開設)


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